第119話 僕がそばにいるからね
猛烈な暑さとなった今年。そろそろ秋になろうとしているのに、未だに蝉が鳴き続けている。そして、たまに雨が降ろうものなら、滝のような激しい雨が降り続け、公園のあちこちに沼のような水溜りが出来上がり、地鳴りを響かせながら激しい落雷が起こる。
僕がこの公園に来た頃とは、明らかに気候が変わってきているように感じる。
心落ち着かない日々が続く中、今朝は早くから造園業者のトラックが公園の手前に停まり、作業員たちがチェーンソーを手に続々とキングの周りに集まってきた。
キングは落雷の被害を受け、幹の上半分が切断されることになったのだ。直撃を受けた部分が黒焦げになり、幹に亀裂が入ったことから、切断はやむを得ない判断だったのかもしれない。
チェーンソーの音が鳴り響き、キングの枝や幹が切断される場面はあまりにも痛々しく、僕も目を覆いたくなった。キングのそばに立つ苗木達からは、すすり泣く声や悲痛な声が聞こえてきた。
『かわいそう、キング……すごく痛そう』
『キング、ごめんね。俺たちは何もしてあげられなくてさ……』
『キング、痛いなら痛いって声を上げていいんだよ。どうしていつも黙ってるの?
私だったら耐えられないよ』
僕も苗木達の気持ちは痛い程分かる。
キングは幼い頃は生育が遅く、他の苗木達にからかわれてきた。ようやく少し成長したかな?という時に台風の被害を受け、造園会社で
どうして彼ばかりが、こんなにひどい目にあうのだろうか?僕は彼に何もしてあげることが出来ないけど、何とかして守ってあげたい、彼の代わりに自分が犠牲になってもいいと思っていた。
夕方近くになり、作業を終えた造園業者の人達がトラックに乗り込み、足早に公園を後にした。
残されたキングは、上半身が見事に切断され、幹には何重にも保全用の菰が巻かれていた。落雷直後のみじめな姿ではなくなったけれど、せっかく成長した幹が切り取られ、僕たちは何ともいたたまれない気持ちになった。
『ごめんよキング。すごく痛くて、みじめで、悔しいだろうけど、いつかきっと僕のような立派なケヤキになれる。そう信じて、今は耐えるんだ』
僕はキングを勇気付けようとしたものの、キングは相も変わらず無口のままだった。
キングが無口で、たまに口を開いても数言しか話さないのは分かっていたけれど、思っていることを口にしてほしい、痛い時には痛い、悔しい時には悔しいって言ってほしかった。
翌朝、厳しい陽ざしが照り付け、地面から陽炎が立ち上る中、遠くからキャリアケースを引いた一人の男性が、徐々に僕たちの方へ近づいてきた。
男性は額の汗を何度もぬぐいながらも、ゆっくりとした歩みで公園の中を進んでいた。
『あ!ルークさん、剛介だよ。やっぱり帰ってきたんだね。シュウさんの言う通りだったね』
剛介は僕のそばを通り過ぎると、キングの手前でぴたりと足を止めた。
幹が切り取られてみじめな姿のキングを見て、剛介はケースから手を離すと、両手で顔を拭い始め、しばらくの間その場ですすり泣いていた。
「ごめんよ。僕がそばにいたら、すぐにでも助けたのに。遠く離れた場所で、自分のことで精一杯で……」
剛介は涙ながらにキングに語り掛けていたが、キングは何一つ言葉を発することは無かった。
『おい、キング!剛介はお前のことを心配して、遠くの町から帰って来たんじゃないのか?それなのに、どうして黙ってるんだ?』
ケンが叱り飛ばすような口調でキングに問いかけた。
しかし、キングは何も言い返さず、剛介の言葉を黙って聞き続けていた。
剛介は手を伸ばすと、キングの幹をそっと触った。ゆっくりと撫でながら、何度も小声で「ごめんな」と言い続けていた。
すると、剛介の気持ちが伝わっているのか、キングの幹からほんのわずかながら樹液が漏れているように見えた。キングは普段は全く感情を表に出さないものの、剛介の気持ちが嬉しかったのだろう。
「キング、僕、しばらくこっちにいるよ。お前が辛い時こそ、僕がそばにいなくちゃいけないと思うから。昔、僕がいじめられて辛かった時、お前がいつも僕のそばにいてくれたようにね」
剛介はそう言うと立ち上がり、キャリアケースを引いて実家のあるマンションへと帰っていった。
『ありがとう……剛介』
その時、公園を去る剛介の背中に向かって、キングが言葉を発しているのを僕はしっかり聞き取った。
『今、キングがしゃべったよね?』
『あ、ホントだ!私にも聞こえたよ』
苗木達はざわめいていたが、剛介の姿が見えなくなると、キングはいつものように口を閉ざしてしまった。
その後、剛介は朝昼晩とキングのそばに来ては、しゃがみ込み、何かを語り掛けていた。それも一日だけではなく、翌日も、そのまた翌日も。毎日のように公園に来ては、キングのそばに寄り添い続けていた。
「ねえねえあの人、今日も来てるよ。何だかキモいよね。木を相手に何かブツブツしゃべってるし」
「うちのお母さん、あの人は変質者じゃないかって言ってたよ」
「あたしもママからあの人に近づいちゃダメだって言われたよ」
剛介は、下校中の通りすがりの小学生から奇異の目で見られていた。それでも剛介は気に留める様子も無く、キングのそばに座り続けて時々何かを語りかけていた。
その時、キングからも、聞き取れないながらも何かをつぶやいているように聞こえた。剛介とキングの間には、僕たちが入り込むことのできない独特な空気が流れていた。それは、家族や友達と呼ばれる者たちの間に流れているものと同じように感じた。
そんな空気を切り裂くように、けたたましい音が剛介の方向から流れてきた。
剛介は突然流れてきた音にちょっと不機嫌そうな表情を浮かべながらも、ポケットに手を入れ、携帯電話を取り出した。どうやら音の発生源は剛介の携帯電話のようだ。
「もしもし、あ、野々花?うん……大丈夫だよ、僕はこっちにしばらくいるからさ。一人ぼっちにしちゃって悪いけど、もうちょっと待ってくれないか?え?こっちで女が出来たんじゃないかって?違うよ!勝手な妄想するなよ!」
電話の主は野々花のようだ。剛介と野々花は北海道で一緒に暮らしていることを、僕もよく覚えていた。
「いい加減にしてくれよ。毎日電話してくるようだけど、心配するなって。僕にとって大事な兄弟のような存在が、とんでもない致命傷を負ってるんだ。ほったらかしにしたまま帰るなんて、僕にはできないよ!」
そう言うと、剛介は携帯電話をポケットに仕舞い込んだ。その表情には、以前のような揺るぎや戸惑いは見られなかった。たとえ野々花に何を言われようと、今の剛介にはキングが大事な存在であることが、僕にも伝わってきた。
その後も数日間、剛介は北海道に帰ることもなく、キングの所にやってきては色々と語り掛けていた。
キングは、剛介がそばにいるからなのか、以前よりも元気になっている様子で、それはそれで嬉しいことなのだが、僕は剛介のことが心配でならなかった。
自分の仕事はどうするのだろうか?そして、結婚まで約束している野々花のことはどうするつもりなのか?
時折携帯電話に着信があると、剛介は表情を一変させてがなり立てるような声で話をしていた。
「大丈夫ですよ!必ずそちらには帰って休んだ分の残務も処理しますから。本当にもう少しだけお待ちください」
「野々花か?心配するなよ。子どもじゃないんだから、独りで寝れるだろ?もう少しだけ待ってくれ、な?頼むから!」
電話に出て必死に「待ってくれ」と弁明する剛介の表情は鬼の形相で、僕たちには近寄りがたいものを感じた。
「剛介、お前何やってんだ?まだ帰らないのか?」
ちょうど公園を通りかかったシュウが、地面にしゃがみ込む剛介の姿に気が付き、すぐそばまで近づいてきた。
「僕、キングが元気になるまで、ずっとここで見守っていたいんですよ」
そう言うと、剛介はシュウに背中を向けて再びキングに何かを語り掛けていた。
「ヘンな奴だな。この木のことが心配でわざわざ北海道から帰ってきてくれたのは嬉しいし、この木がお前にとって兄弟みたいな大事な存在だっていうのは分かってるけど、木を相手にいつまでもブツブツ話してる姿は、傍から見たら不気味だぞ」
シュウは腰に手を当てながら、傍から見た剛介の印象を冷静に伝えていた。
「まあそうかもしれませんね。でも、僕はキングの気持ちが分かるんです。せっかく伸びた幹や枝が雷で黒焦げになって、泣く泣くバッサリと切り取られて、キング、すごく気分が落ち込んでるんですよ。僕には全て話してくれましたよ」
「はあ?お前……わかるのか?木の言葉が」
「まあ、空耳かもしれませんけど……でも、僕には聞こえるんですよ。キングの言葉が」
剛介は笑顔で答えていた。
シュウはしかめっ面でいまいち信じられないような様子だったが、いつも一緒に暮らしている僕たちも剛介の言葉には驚かされた。
いくら僕たちが語り掛けても、無言か一言くらいしか返してくれないキングが、剛介には胸の内を全て語ってくれているようだ。
幼い頃から兄弟のように付き合っていると、人間も僕たちケヤキの言葉を理解できるのだろうか。そう言えば、亡くなった隆也は以前ここに立っていたおじさんの言葉を理解していたような記憶がある。
「まあ、せいぜい仲良く語り合ってろや。ただ、そろそろ現実の世界と現実の自分にもちゃんと目を向けろよ」
そう言い残すと、シュウは「理解できない」と言わんばかりに両手の手のひらを上にかざしながら自宅へと帰っていった。
翌日、普段は誰もいない平日の公園に、剛介はいつも通りにキングの目の前に姿を見せた。
「今日も元気か?傷も徐々に良くなってきてるね。もう少しだから、いっしょにがんばろうな」
にこやかにそう問いかける剛介の前に、キャリアケースを引いた一人の女性が突如立ちはだかった。
「こんにちは、剛介。こんなところで何やってんの?木を相手にブツブツ独り言しゃべって」
「え?の、野々花!?」
剛介は大声を上げて目を見開き、後ろを振り返った。そこには、腰に手を当て上から睨みつける野々花の姿があった。
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