第115話 おぞましい計画

 時間が流れ、刺すような寒さの厳しい冬を越え、僕たちの枝に色鮮やかな若葉が芽吹く季節がやってきた。

 わずか数日の間に、丸裸だった僕たちの枝はあっという間に緑の葉に覆われ、鳥たちが楽しそうに声を上げながら枝の間を行き来していた。

 僕も歳をとったせいか、最近は時が流れるのが本当に早いように感じた。


 去年の冬、僕たちの公園をさまよっていた少女は、その後も時々姿を見せることがあったけれど、家に帰らないということもなく、どうやら新しい家族ともうまくやっているようだ。辛い気持ちは僕たちにも伝わって来たけれど、僕たちはこの場所から「がんばれ!」と声にならないエールを送ることしかできない。

 僕たちの声がちゃんと彼女の耳に届いているかは分からないけれど、きっと届いているはずと信じて、これからも彼女にエールを送り続けようと思う。

 暖かい風が公園の中を吹き抜ける中、少女が制服姿でこちらに歩いてくるのを目にした。その隣には、スーツを着込んだ茶色い髪の毛の中年男性と、パーマをかけた長い髪をなびかせる厚化粧の女性がいた。女性はおそらく、少女の母親だろう。そして男性は、母親の新しい相手……つまり、去年少女が拒絶していた「新しい家族」だろう。


「未華も今日から中学生か。時が経つのは早いよね。今度はちゃんと勉強しないと、あっという間に落ちこぼれるわよ」

「はいはい、わかってますよーだ」

「大丈夫だよ。未華は性格がしっかりしてるから、俺たちみたいに落ちこぼれることはないよ」

「ど、どういう意味よっ」


 両親は見た目は大人としての自覚が無さそうだけど、少女を交えてとても楽しそうに会話をしていた。以前少女が言っていたほど、仲が悪いようには見えなかった。


『何だかいまいち会話がかみ合ってないけど、仲は良さそうだね、あの三人』


『そうだね。僕たちが心配する必要はなかったよね』


 苗木達は相変わらず色々と噂話をしているけど、僕が見た限りでは、彼らはしっかりと「家族」という枠組みに収まってきているように感じた。一見みんな自分勝手でバラバラだけど、外見ではわからない部分ではしっかり繋がっているというべきか。

 僕たちケヤキも一見するとみんな独立した木であり、家族であるようには見えない。苗木達も僕やケビンのことを、親と言うよりも仲間として感じているように見受けられた。それでも、台風や冬の北風などに晒された時には、苗木達は僕たちを頼り、一緒に乗り越えてきた。

 そして、僕たちの間にはいつの間にか家族としての絆が生まれていた。


 少女とその両親が公園から遠ざかっていった後、入れ替わるかのように作業衣を着た若い男女が公園に入り込み、カメラを片手にゆっくりと園内を歩き始めた。

 着ている作業衣や首からぶら下げている名札を見ると、どうやら二人は市役所の職員のようだ。

 男性は僕たちの写真を撮り、女性は図面を見ながら時折ペンを手にして何かを書き綴っていた。

 公園内をほぼ一周すると、二人はケビンの前のベンチに腰を下ろした。

 男性はカメラを覗き込みながら、撮影していた写真を点検していた。


「この木達、もう大分成長してきてますよね。今はまだお互いに干渉しあうことはないけど、このまま放置していたら、枝同士がぶつかり合うから間引く必要はありますよね」

「そうだね。これからもこのまま同じ場所っていうのは難しいだろうね」


 僕は二人の会話に耳をそば立てて聞いていたが、彼らの口から出る言葉はぞっとするほど怖いものを感じた。二人の真上にそびえ立つケビンも僕と同じものを感じていたようだ。


『ルークさん、この二人何だか怖い話をしてるよ。間引くとか、同じ場所は難しいとか……』


 僕はルークの話を黙って聞いていたが、この二人、一体何を企もうとしているのだろうか?


「ねえ、どうだった?やっぱり、計画は変えられないの?」

「あ、櫻子先生!そうですね。今はまだ良いけれど、これからのことを考えると、ちょっと……」


 ベンチに座り込む二人の横に、いつの間にか作業衣を着た樹木医の櫻子の姿があった。樹木医になりたての頃は、理佐の陰に隠れどこかおどおどしていた櫻子だったが、理佐から独り立ちしてからはすっかり貫禄がつき、仕事もてきぱきとこなすようになってきた。櫻子は女性から渡された大きな図面を見て、しばらくの間何か考え事をしていた。


「苗木たちの植えられた間隔が狭いからね。植樹してからの年数を考えると、この苗木達はこれから枝も幹も伸びて行くだろうから、あっという間にお互いの枝が重なり合うようになるよね……でも、何とかならないかな?ここのケヤキ達は親子関係に当たるって聞いたから、出来ればバラバラにしたくないのよね」


 櫻子は困り果てた様子で図面をたたむと、女性に手渡した。


「どうします?計画はこのまま進めていいんでしょうか?」

「いや、安易に結論出すんじゃなくて、もうちょっと検討してみてよ。今日の結果を踏まえて木の配置図を見直して、出来る限り木の移動のないようにしましょうね」

「わかりました。ただ、公園の広さがそんなにないので、このままにしておくのは難しいと思います。近隣のマンション住民からも、木に群がるセミやムクドリの声がひどいし、糞が地面にいっぱい落ちてきて汚くて困っているという声も出ていますしね……」

「あのね。それを理由に移植するのは反対だよ。私たち樹木医からすれば、どうしてこの木達のせいにして、セミや鳥を駆除しないんだよって思うもん」

「ま、まあそうですけど……。それに、この公園の再整備についてこないだ上司と話し合ったら、木ばかりじゃなく、花を植えるスペースを作りなさいって言ってましたよ。木を動かした跡を花壇にして、近くの子ども達に花を植えてもらえば、公園や地域に対する愛着が湧く、と言ってました」

「はあ?花を植えたところで愛着なんて湧くのかしら?ほんのわずかの間しか咲かない花よりも、ずっと同じ場所に立ち続ける木の方が、子ども達の記憶に残ると思うけど」


 三人は、僕たちが聞いていないと思っているのか、今後のこの公園の在り方について、そして僕たちを植える場所について、必死に議論していた。その議論の内容を聞けば聞くほど、僕は根元がむずがゆく感じてしまった。

 かねてから僕が感じていたとおり、僕たちの運命は人間達が決めているのだ。ここでずっと生きていきたいという希望は全く持って通らない。僕たちは自分の宿命を恨めばいいのだろうか、それとも自分勝手な人間達を恨めばいいのだろうか。


「あ、ごめんなさいね。次の現場があるから、私はこれで帰るね。この木たちの運命がかかってるんだから、この件は簡単に結論付けず、しっかりと話し合ってね」

「はい……」


 しばらくすると、櫻子は別な仕事があるらしく、慌てた様子で公園を後にした。残された若い男女はため息をつきながら、上司に報告する言葉をどうするか話し合っていた。


「どうでしょうね?櫻子先生の言うことも一理あるけど、やっぱりこの木達、動かすしかないんでしょうね」

「そうだね……上司の意見もそうだけど、近隣の人達からも、もっと綺麗な公園にしてほしいって要望が出てるからね」


 肩を落としながら帰っていく二人の背中を見つめながら、僕はこれからの自分達の

 行く末に対する心配が募っていった。

 このまま何事も無く済むのだろうか?それとも、この中の誰かが移植されてしまうのか?


『ねえ、櫻子先生、何だか心配そうな顔してたよね。あの二人、何を企んでるんだろ?さっきから図面ばっかり見てあーだこーだ言い合ってさ』


『僕たちが成長してきたとか、あと「間引く」なんて言葉を言ってたよね。間引くって、何をするんだろうね?』


 苗木達はしばらくざわめいていたが、僕は彼らがしゃべり終わるのを見計らってから、口を開いた。本当は今言うべきことかどうか迷ったけれど、いつか言わないといけない、と思っていた。


『あの人達はこの公園の手直しを計画していてね、その時、僕たちケヤキの植える場所を変えようとしてるんだ』


『え?ということは、僕たちはここにいられないの……?』


『そうだね。誰も動かないかもしれないし、誰かがどこか違う所に移されるかもしれない。それは僕たちが決めることは出来ない。人間達が決めるんだよ』


『そ、そんな……じゃあ、僕たちはずっとここにいることはできないの?』


『まあね。人間の考え一つで僕たちの居場所が決まってしまうからね』


 僕の言葉を聞いて、騒がしかった苗木達のおしゃべりはピタリと止まった。

 彼らはようやくこれから何が起ころうとしているのか、そして自分たちの身がこれからどうなるのか理解してきているように感じた。


『僕はまだここにいたいよ。みんなと楽しく話をしていると、寂しさを全然感じないからね。それに、ルークさんやケビンさんがいるから、恐ろしい台風や身体ごと吹きとばされそうな強い北風が来ても、守られているように感じているんだ』


 苗木達の中でもリーダー格のケンが口を開くと、他の苗木達からも続々と同じような言葉が聞えてきた。


『そうよ、どうして私たちがここから離れなくちゃならないのよ?私は絶対反対!今度あの若い人たちがここに来たら、どやしつけてやるわ』


『人間が住みやすくなるために僕たちが犠牲になれっていうのか?人間はいつだって身勝手だよな。僕たちが何もしゃべれないからって、平気で僕たちの足元にゴミを捨てたりしてるじゃないか!』


 苗木達の怒りの声は収まらなかった。

 彼らの気持ちは痛い程分かるけど、怒った所で僕たちの声は人間に届かないし、彼らの行動を阻止することもできない。


『ルークさん、どうしよう?本当のことを言わなくちゃならないのは分かるけど、苗木達、このまま収まりそうにないよ』


騒ぎ立てる苗木達に対し、ケビンは何も言えずひたすら動揺していた。


『ごめんよケビン。でも、いつか僕たちは散り散りになる時はやってくる。僕もケビンも、生まれ育った場所から見知らぬこの場所にやってきただろ?僕たちはいつも、自分たちの意思に関係なく動かされる覚悟を持たなくちゃいけないんだよ』


『そ、それはそうだけど、でも……』


今回の計画は、どういう結論になるかはまだ分からない。

けれど、別れの日は予期せぬ時に、予期せぬ形でやってくると思う。

悲しいけれど、苗木達にはいつその日が来てもいいように、ちゃんと心の準備をしてほしいと願いたい。

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