第114話 家族のありがたみ

 夏が過ぎ、北風が容赦なく吹きつける冬を迎えた。

 僕たちはすっかり葉が抜け落ち、いつものように寒さに耐える過酷な時期に入った。以前であればこの時期になると苗木達が心配だったけど、今は強い風にも耐えられるようになっていた。彼らは背丈が伸び、しっかりと根を張り、幹が太くなり、いつのまにか大人になったように感じた。

 僕とケビンは、いつまでも彼らを子ども扱いしていればよいのだろうか。

 僕たちの子どもであることは間違いない。でも、自分達と遜色ない大きな木になった時、彼らを今までと同じように扱えるのか?

 僕は先日、理佐が小学生の子達に話していたことが頭から離れなかった。彼らはいつの日かこの公園を離れて行くのだろう。その日は、僕たちが決めるわけではない。人間達が決めるのだ。そのことは正直癪にさわるけれど、大きな木が立ち並び、この小さな公園をびっしり埋め尽くすことは、僕たちにとってもそして彼らにとっても良いことではないと思った。

 苗木達はそんな心配もどこ吹く風のように、おしゃべりに興じていた。

 相変わらずくだらないことばかり話しているけれど、離れ離れになったら、このおしゃべりも聞けなくなるのだろう。

 苗木達は、今日も道行く人たちを眺めては、楽しそうに噂話を始めていた。


『ねえねえ、あの子。さっきからずっとこの公園ウロウロしてるんだけど』


『あれ?あの子、こないだここに来なかったっけ?』


『そうだ!理佐先生に家族がどうのこうのって質問してた子だよね?』


 苗木達の声を聞き、僕は目を凝らすと、そこにはフード付きのコートを着込み、首にはマフラーを巻いた小学生位の少女が公園の中をウロウロと歩いていた。その表情は、どこか寂しく、元気がないように見えた。

 少女は僕たちを遠くから見つめると、目を逸らし、再びウロウロ歩き始めた。そんなことを何度も繰り返し、やがて日が暮れて辺りは真っ暗になっていった。


『ねえ、まだあの子帰らないよ。どうしたいのかな?こんな暗闇の中で』


『親が心配しないのかしら?隆也さんやシュウさんの一家だったら大騒ぎするよね?』


 少女はケビンの前のベンチに座り込むと、しばらくうつむいたまま、何も言わず座り込んでいた。

 その後、少し気分が落ち着いたのか、真上に立つケビンに向かって少女は語りだした。


「あなたたちケヤキの木はいいよね。すぐそばに家族がいて」


 少女は意味深な言葉を残し、その場で立ち上がった。苗木達の前を通り過ぎると、


「楽しそうね。たくさんの兄弟がいてさ。私、一人っ子だから」


 と言い、やがて僕の方へとだんだん近づいてきた。


「あなたがお父さん?いや、お母さんかな?家族がたくさんいて、きっと幸せよね」


 実際の所僕は苗木達のお父さんでもあり、お母さんでもあるわけだが、説明が長くなるので、とりあえず彼女の話には頷いておこう。少女は家族の話ばかりしているが、自分の家族に何か不満でも抱えているのだろうか?先日少女が理佐と話していた時に、自分は片親だと話していたのは聞いたことがあるけれど。


「私、もう自分の家に戻りたいと思わない。家にいても毎日つらくて悲しいんだもん」


 少女はそう言うと、片手で顔を何度も拭った。そして、やがて両手を顔に当て、その場で泣き崩れてしまった。


『どうしたの?急に泣き出して。ルークさん、あの子に何か気に障ることを言ったの?』


『いや、何にも言ってないって!』


 やがて少女は赤く泣きはらした顔を上げると、僕たちを羨ましそうに見つめた。


「家族がある人達がうらやましい。私、今の家族は家族じゃないと思ってるの」


 え?一体どういうことなんだろう?

 確か少女は父親か母親のどちらかと一緒に暮らしているはずだけど、一緒に暮らしている親も家族として認めていないっていうのだろうか?


『ルークさん!誰かが灯りを持って公園に来てるよ。あの子を探しに来たのかな?』


 僕は目を凝らすと、電灯を手にした警察官と思しき制服姿の中年男性が、分厚いコートを着込んだ茶色い髪の女性とともに公園の中に姿を見せた。


「未華!そこにいるの!?」


 女性が大声で少女に呼び掛けた。女性は僕から見ても派手目な容貌で、この公園で良く見かける普通の母親と違っていかにも遊び人という感じに見えた。


「帰ってよ。何しに来たのよ」

「何しに?あなたのことを探しに来たんでしょ?何か怖い事件に巻き込まれたらいやだから、おまわりさんにも付き添ってもらったのよ」


 警察官は少女に近づくと、

「さ、帰ろうか。お母さんが凄く心配してるよ」と言って、肩に手を当てた。

 しかし、少女はその手を突っぱね、鋭い眼光で睨みつけた。


「帰ってよ。私、あの家にもう帰りたくないもん」

「お母さんが心配してるのが分からないのかい?それにこんな真っ暗な場所にいたら、不審者に声を掛けられてどこかに連れ去られることもあるんだ。さ、早く帰ろうか」

「イヤだ!絶対にイヤ!」


 少女と警察官、そして女性の間で激しい押し問答が始まった。

 相変わらず僕たちは何もできず、傍から眺めていることしかできなかった。

 僕が人間ならば、少しは少女の気持ちを分かってあげてよ!って叫びたいところだけど……こんな時、ケヤキである自分を恨みたくなる。


 少女は警察官に強引に手を引かれ、母親の元へ引き渡された。


「心配したんだよ、未華。さあ、帰ろうか。夕飯も用意したから、で食べようね」


 母親は少女を抱きしめると、厚い化粧が剥がれ落ちるくらい涙を流して喜んでいた。


?まだあいつが家にいるの?だったら、帰らない!」

「あいつって、ひどいことを言うのね。あなたのこともすごくかわいがってるでしょ?」

「かわいがってるわけないよ。あいつ、私のこと邪魔者扱いばっかりしてるもん。たまに帰ってきてはいつも酒ばっかり飲んで、お母さんにちょっかいばっかりだして」

「でも、お母さんはあの人と再婚したいと思ってるの。未華のことも大事にするって言ってるわよ」

「いいかげんにしてよ!私、あいつのことなんかお父さんとしては認めないから!だいたい、どうして離婚なんてしたの?最初のお父さん、すごく優しくていつもどこかに連れてってくれる人だったのに」


 すると母親は少女を両手から突き放し、少女は地面に倒れ込んだ。


「あんたは前のお父さんの表の部分しか知らないんだよ!前のお父さんがどれだけ借金つくって、そのために私がどれだけお金の工面をしたのか。あの時お母さんは、あんたが寝た後に仕事に行ってたんだよ。ちゃんと返さないと取り立て屋に脅されるからさ」


 少女は倒れ込みながら、腕を震わせて語る母親をじっと見つめていた。


「あの人はね。酒ばっかり飲んでるけど、ちゃんと仕事もしてるし、何より私のことを第一に考えてくれる。私を本気で愛してくれてる」

「お母さんのことを?本当に?」

「そうだよ。確かに酒癖は悪いけど、私を第一に考えてくれてる。前のお父さんとは大違いだよ」


 少女は地面から起き上がらず、そのまま垂れ下がった髪をかき上げることもせず、全身を震わせ泣き出した。

 警察官は母と娘どちらに付いたらいいのか悩んでいる様子で、しばらくその場に棒立ちになっていたが、やがて少女の隣にしゃがみこむと、顔を覗き込んで声を掛けた。


「どうする?お家に帰る?嫌ならば、今夜だけ交番にくるかい?」


 すると少女は頷き、警察官に支えられながらようやく立ち上がった。


「お母さん、今夜だけこの子を預かります。気分が落ち着いたら、また自宅に連れて行きますので、ご安心ください」


 母親は警察官を睨んでいたが、「じゃあ、一晩だけね。ちゃんと帰ってくるのよ」とだけ言って、背中を向けて公園を後にした。


「ごめんなさい、おまわりさん」

「いいんだよ。色々辛いことがあるようだね。僕でよかったら聞かせてくれるかな?」

「……はい」


 少女は警察官に背中を支えられながら、少しずつ前に歩き出した。


「ねえおまわりさん。私、この公園の木達がうらやましいです」

「どうして?」

「この公園の木達は一つの家族なんです。両親がどっしりと立って、その隣に子ども達がしっかり向き合うように並んでいて。子どもたちは賑やかにおしゃべりして、それを両親が隣から楽しそうに眺めてるみたいで……私もこういう感じの家族に生まれたかったなあって」

「ふーん、言われてみたら、そうだよね」


 昼間から少女は僕たちをじっと観察していたが、それは、僕たちが一つの家族のように見えたのだろう。


「でもね、いつか子ども達はここを巣立っていくんですって。私はすぐにでもあの家を出て行きたいのに」

「アハハハ。木もここを巣立っていくんだね。どっかに移植されるのかな?」


 警察官と話すうちに、少女は次第に笑顔が戻ってきているように感じた。


「おまわりさんも、家族がいるんですか?」

「まあね。僕は仕事で一人でこの町に来てるんだ。家族は違う町に離れて暮らしてるんだよ」

「そうなんだ?寂しくないんですか?」

「寂しいよ。正直言うとね」


 そう言うと、警察官は真下から僕たちの姿を見つめた。


「でも、僕みたいに仕事で離れて暮らしていても、親元から巣立って違う場所に暮らしていても、家族は家族なんだって思うよ。それは離婚した君のお父さんも、今度一緒に暮らす新しいお父さんも、心の片隅でそう思ってるはず」

「そうなんだ……」


 少女も警察官の隣で、じっと僕たちを見つめていた。


「さ、寒いから交番で温かいものでも飲んでいきなよ。落ち着いたら家に帰るんだよ?お母さん、ああ見えてもかなり心配していたんだからな」

「そうかなあ?自分勝手なことばかりしてるのに……」


 二人が遠くへ歩き去っていくと、僕は少女が何とか心を落ち着かせていく様子を見てホッと胸をなでおろすとともに、少女が時折口にしていた「巣立ち」という言葉がどうしても気になってしまった。


『あの子、大丈夫かなあ?またここに逃げてくるような気もするけど』


『その時はその時だよ。あの子が新しいお父さんに慣れるまで、見守るしかないよ』


『家族かあ。僕ら、そんな仲がいいわけじゃないんだけどね』


『でも、いつか巣立っていくって言ってなかった?どういうことなんだろうね?』


 苗木達は相変わらず雑談に興じていた。

 彼らはまだ「巣立ち」という言葉が良く分かっていないようだ。彼らはやがて、その言葉の意味を知る時がくるかもしれない。その時になって初めて、今一緒に暮らしている家族のありがたみを感じるのだろうか?

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