第113話 理佐先生の一問一答

 暑かった夏も終わりを迎えたのか、次第に鈴虫の鳴き声が公園のあちこちから聞こえ始めた。僕たちの幹にへばりついて鳴き続けた蝉達も姿を消すと、僕たちの気持ちも不思議と落ち着き始めた。

 暑くも無く寒くも無く、心地よい空気に包まれた朝。剛介は野々花とともにキャリアケースを引きながら、公園の中に現れた。

 二人は相も変わらず仲睦まじいようで、至近距離で楽しそうに話をしながら駅の方向へと歩き出していった。


『ああ、やっぱりこないだのシュウの言葉、剛介には届いていないんだな』


 ケビンはため息交じりにつぶやき、二人の様子を後ろから見守っていた。今の剛介があいなを悲しませているのは事実だが、この問題は最終的には剛介が決める問題であり、いくらあいなが悲しんでいるからと言って、周りの人たちが野々花との付き合いを止めさせようというのは、何だか変な話である。


『まあ、しょうがないよ。これからどうするかは僕たちじゃなく、剛介の心の中で決めることだ。今の剛介にとっては野々花が不可欠な存在なんだよ。それをただ見守っているしかないんだよ』


 ずっと楽しそうに会話していた二人だったが、突然剛介は野々花に背中を向けると、息を弾ませながら全速力で駆けだし、僕たちの方向へ走ってきた。

 剛介はキングの前で足を止めると、幹に片手を当て、笑顔で語り掛けた。


「じゃあ、行ってくるよ。お前も元気でいるんだぞ。また会おうな」


 キングは相も変わらず無口のまま、その場に立ち尽くしていた。

 剛介は別れを惜しむかのようにしばらくキングの傍にいたが、やがて手を離し、再び全速力で公園の中を駆け抜け、野々花の元へと戻っていった。


『剛介、キングにだけは優しいんだな。俺たちのことは無視かよ』


『しょうがないよ。昔はお互いいじめられっ子だったんだから。今も剛介にとっては、同志のような存在なんだろうね』


 キングの存在が、北海道で楽しく充実した毎日を過ごしている剛介の心を、この町に辛うじて繋ぎとめているように感じた。剛介はキングに会いにまた帰ってくるかもしれない。キングは無口でどこか頼りない存在だが、剛介を繋ぎとめることができる唯一無二の存在であった。


 剛介たちが居なくなり、しばらく静まり返っていた公園の中に、列をなして子ども達がぞろぞろと入り込んできた。先生らしき大人たちに率いられ、子どもたちは僕や苗木達、そしてケビンの周囲を取り囲むように集まりだした。


「わあ、大きい木だね」

「たくさん葉っぱがついて、すごいよね」


 子ども達は僕たちを見上げると、感想を言い合いながらノートに鉛筆を走らせていた。


「はい皆さん、この公園の木を見た感想を書きましたか?」

「はーい!先生」

「それじゃあ、ここからはこの木たちを守るボランティアの仕事をしている町田理佐先生にお話してもらいます。みんな、静かにお話を聞いてね。あとでみんなから質問や感想も聞きますからね」


 先生は長い白髪の女性を自分の隣に迎えると、女性はにこやかな表情で手を振っていた。


『理佐先生だ!久しぶりだなあ。まだ元気そうだね』


 目の前にいるのは、かつて僕たちの樹木医をしていた理佐だった。あれから年月がたち、顔立ちはすっかり老けてしまったようだが、まだ元気に仕事をしているようだった。


「みなさん、はじめまして。町田と言います。私はみなさんが生まれるずっと前から、木のお医者さんとしてこの木たちのことを守ってきました。ここに立ってる木は『ケヤキ』と言います。一番古い木は、ここに来て五十年くらいになるかしら?」

「ええ?そんなすごいの?もうおじいちゃんかおばあちゃんだよね?」


 子ども達は、理佐の説明に耳を傾け、時には大きな声を張り上げて感想を伝えていた。


「そうよ。私がまだ若くて男の人にモテまくった頃、この木がここに植えられたの。その時にはここにもう一本、ケヤキが植えられていたのよ。その木は今生きているならば、百歳になるかもね?」

「すげえ!そんなに長生きするの?」

「そうよ。その木は昔ここで大きな地震が起きた時に傷がついて、今は違う町に移されたの」

「そうなんだ……かわいそうだね。今も生きてるといいなあ」

「そうね。私も心の中でそう願っています」


 どうやら理佐は、おじさんのことを話しているようだ。しばらく話を聞かないけど、おじさん、今も元気に生きてるんだろうか?


「ねえ、みなさんはここの公園の木を見て、どう思った?」


 理佐が問いかけると、子ども達は顔を見合わせながら色々考えている様子だったが、しばらくすると、一人の女の子が手を挙げて発言した。


「みんな元気そうです。葉っぱもいっぱいついてるし、幹も太いし」


 すると理佐は白い歯を見せて笑みを浮かべた。


「ここの公園のケヤキたちは、この町に住む人達が一生懸命守ってくれて、みんな長生きしています。でも、他の公園や大通りに植えられた木は、いたずらされたり人間の都合で無理やり切られたりして、不幸な終わり方をしています。私は不幸な木がこの世から一本でも減るように、今はボランティアで木を植える仕事や、木を守る仕事をしてるんです」


 理佐は公園内に響き渡る位に大きな声で、この場にいる子ども達全員に伝わる様に話していた。

 理佐が話し終わると、列の後ろの方で聞いていた女の子が、そっと手を挙げて口を開いた。


「でも、大きな木があるとそこに鳥がいっぱい集まってくるのがこわい。鳥の鳴き声がすごいし、フンもいっぱい落ちてくるんだもん。私のママは大きな木は迷惑だから切った方が良いって言ってます」

「それはどうかな?汚いから、迷惑だから切っちゃえと言って、無理やり切られた木を私はいっぱい見てきました。だから私は、そんな話が出た時には『切らないで!』と言って、市役所の人達、近くの住民の皆さんと一緒に対策を話し合ってきました。木は何も悪くありません。集まってくる鳥たちが迷惑をかけているんですから、鳥たちを追い払う方法を考えなくちゃ」


 女の子は理佐の言葉に納得したのか、「ママにも話してみます」と言って頭を下げた。


「他には何かあるかしら?」


 理佐が問いかけると、子ども達は再び顔を合わせて誰が手を挙げるのか探っている様子だった。すると、理佐のすぐ近くに立っている大きな体の男の子が手を挙げた。


「理佐先生、さっき『若い頃はモテまくった』と言ってましたが、それ、本当なんですか?」


 木に関する質問ではなく、理佐に関する興味本位の質問でがっかりしたが、理佐は突き放すこともせず、ポケットから分厚い手帳を取り出すと、一枚の写真を抜き取り子ども達の前に見せた。

「え?こ、これ、理佐先生ですか?」

「そうよ。もう五十年前……そう、このケヤキの木がここに植えられた頃に撮った写真なの。どう?今よりずっとスタイルがいいし、髪の毛もツヤツヤしてるでしょ?」


 僕もそっと遠目で写真を見ていたが、そこには作業衣を着込み、長い髪をなびかせる昔の理佐の姿があった。周りにはまだマンションが無く、すぐ後ろにおじさんの姿がかすかに写っていた。


「すっごい美人!うちのママなんか目じゃないよ」


 子ども達は木の話よりも、理佐の昔の写真に食いついているように見えるのは気のせいだろうか?


「さ、もういいでしょ?今日は私の写真を見るために集まってもらったわけじゃないんだから」


 理佐は照れくさそうな顔で写真を手帳に戻すと、大きく咳ばらいをした。


「ねえ、先生みたいなかわいい人が、どうして木を守る仕事をしようと思ったんですか?」


 おさげ髪の女の子が、理佐の顔をまじまじと見ながら尋ねてきた。


「そうね……小さい頃、私にとって思い出の木があったから、かな?その木は台風の被害を受けて根元がぐらついて、結果的に切り倒されちゃったの。その時の悲しさと悔しさが今も忘れられなくてね。木のお医者さんを辞めた今も、一本でも木を助けてあげたいって思って、自分に出来る色々なことをしてるのよ」


 理佐はハンカチで目頭を押さえながら、訥々と話していた。子ども達は神妙な面持ちで理佐を見つめていた。


「この公園の木たちは今も大事にされています。それは、私のようにこの町に住んでる人達の心の中にこの木たちがいるからだと思います。木は何も言葉を話せません。でも、私たちの背中をずっと見守ってくれています。私たちがそのことに気付いた時、私たちは木を大事にしなくちゃって本気で思うようになると思います。これからの時代、この木たちを守るのは皆さんにかかってます。木を大事にしてください、今日はありがとうございました」


 理佐は白髪をだらりと垂れ下げながらお辞儀すると、子ども達からは大きな拍手が沸き起こった。理佐は子ども達の拍手に送られながら、にこやかな表情で手を振って公園から立ち去ろうとした。


「先生!最後に一つだけ、いいですかあ?」


 突然、少し背の高い女の子が大声で理佐を呼び止めた。


「あのね未華ちゃん、質問の時間はもう終わったのよ。先生だって忙しいんだから、また今度にしてくれる?」


 先生に制された女の子は、納得できない様子で立ち尽くしていた。

 すると理佐は足を止め、小走りで女の子に駆け寄ってきた。


「いいわよ。どんなことかしら?」

「私、小さい時に両親が離婚して、家族がある人達が羨ましいんです。私たち人間のように、この木たちも家族があるんでしょうか?」

「いい質問ね。そのとおりよ。そこに立ってる背の低い木たちは、この公園に立ってる大きな木から生まれたのよ」


 理佐はそこで言葉を止めると、僕たちの方を向いて、少し浮かない顔をしながら口を開いた。


「彼らもね、私たち人間と一緒で、いつかは親元から旅立っていくんだよ。公園とか、道路の街路樹とかになるためにね」


 理佐は質問した女の子に対してではなく、ここにいる僕たち……特にもうじき大人になる苗木達に向かって語り掛けているように感じた。


『理佐先生、何だか私たちに言ってるみたいに聞こえるけど、気のせいかな?』


 苗木達も同じように感じているようだが、それがどういうことなのかは、よく分かっていない様子だった。

 僕もケビンもそうだったように、いつかは生まれ育った親元を離れなければならない。苗木達も今より身体が大きくなったら、この公園にいることは難しくなるだろう。旅立ちの日は、徐々に僕たちに近づいてきているのは間違いない。

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