第110話 気まずい再会
真夏の厳しい陽ざしが照り付ける中、僕たちの身体にはセミが付着し、朝からけたたましい声を上げて鳴き続けていた。
その声のすさまじさで、ただでさえ暑さで弱っている僕たちの気持ちは打ちひしがれてしまう。耳を塞ぎたくても塞げないので、ひたすら耐えるしかない。
人間達は、僕たちの気持ちを分かっているのだろうか?
今日はこんな暑い日にも関わらず、黒い衣装に身をまとった人たちが続々と公園を通り過ぎて行った。
『ルークさん、人間達はえらいよね。こんな暑いのに、黒い服で……』
僕たちは彼らの姿を呆れながら見届けていたが、やがて同じように黒い服を着込んだシュウと芽衣、そして怜奈の姿が僕の目に入った。
『あれ?シュウたちも同じ格好をしてるね』
シュウたちは黒い服を着たまま、駅前の方向へと歩き去っていった。こんな暑い中、暑苦しい恰好でどこに行くというのだろうか?
すると、公園の入口から幼い樹里が一人で入り込んできた。樹里は親達と一緒ではなく、一人で家で留守番をしていたようだ。
『樹里ちゃん、大丈夫なのかな?公園の中にはたまに不審者も出るし、独りぼっちじゃ目を付けられちゃうよ』
樹里は片手に人形を持ち、ケビンの手前に設置されたベンチに腰をかけると、ひたすら人形に語り掛けていた。僕たちのことは目もくれず、じっと人形を凝視し、時には髪の毛をとかしたり、親し気に語り掛けたり……と、まるで友達と接しているかのように見えた。
『変なの。人形相手に言葉を話しても、何も答えてくれないのにさ』
『樹里ちゃん、この辺りで一緒に遊んでくれる子はいないのかな?隆也とかシュウは小さい頃から近所の親しい友達と遊んでたけど』
苗木達の言うことは分かる気がする。僕がここに来たばかりの頃は、近所の子達がつるんでこの公園で遊んでいる姿をよく見かけた。でも、最近はそんな姿を全く見かけなくなった。小さい子どもは親が必ず一緒にいて、子ども同士で遊ばせることはしなくなった。
「だいじょぶ?ローラのかみのけ、かわいいよ。じゅりがいつもそばにいるからねっ」
人形を手に独りで遊ぶ樹里は、それほど寂しそうには見えなかったが、僕たちはその姿を見ると、「誰か一緒に遊んであげてよ」と言いたくなってしまう。
「お姉ちゃん、一人で何してるの?」
樹里の後ろから、白い日傘をさした若い女性が声をかけた。
「え?だれ……?」
女性は肩までの長さの髪を片手でかき分けると、樹里の目の前にしゃがみこんだ。
「可愛い人形だね。名前は何て言うの?」
「……ローラちゃん」
「へえ、ローラちゃんか。かわいいね。私にもさわらせてくれるかしら?」
すると樹里は、人形をそっと女性に手渡した。
「かわいいなあ……こうやって髪をとかしてあげると、嬉しそうな顔してるよね、この子」
女性が微笑みかけると、樹里は嬉しそうな顔で大きく頷いた。
その後二人は、人形を手に色々語り掛けたり、一緒に髪の毛をとかしたりして、出会ったばかりとは思えないほど仲良くなっていた。
白い日傘と髪の毛の隙間から見える女性の顔は、若いけれど気品があり、そしてどこか見覚えがあった。
『ねえ、あの子……あいなちゃん?』
『あ、それは私も思った。傘を差してるからよく見えなかったけど、あいなちゃんだよね』
その時、僕の真後ろから黒い服をまとったシュウたちが戻ってきた。用件を終えて、これから自宅に帰るのだろうか?
「あれ?樹里、いつの間にあんな所に!」
「ホントだ!そして、樹里の隣にいる傘を差してる人は誰なの?」
シュウと芽衣は慌てた様子で樹里に駆け寄った。両親の姿を見て驚く樹里に、芽衣は鬼の形相で詰め寄った。
「樹里!ママたちはすぐ帰ってくるから、ちゃんと家にいなさいってあれほど言ったのに、どうしてここにいるのよ?」
「だ、だって……おうちにいたほうがさみしいんだもん」
「でも、ここにいたら知らない誰かに声を掛けられて、どこかに連れて行かれちゃうかもしれないでしょ?ママとのおやくそく、ちゃんと守ってよ!」
いきり立った様子でまくしたてる芽衣を見て、樹里は目から涙がこぼれ落ちた。
芽衣は樹里を抱きしめ、頭を何度も撫でた。そして芽衣は、すぐ隣で見つめていたあいなの方を振り向くと、眉間に皺を寄せ、鋭い視線を投げかけた。
「それと、そこのあなた!この子に何をするつもりだったんですか?」
あいなは驚いた様子で芽衣を見ていたが、ひるむこともなく、淡々と答えた。
「この子、ここでずっと一人で人形と遊んでたんですよ。独りぼっちじゃ寂しそうだったから、声を掛けて一緒に遊んであげようと思ったんです」
「とにかく、見ず知らずの子どもに声を掛けないでくれますか?警察呼びますよ」
あいなは金切り声で叫ぶ芽衣の前で、深々と頭を下げた。
「そうですね。私のしたことは不審者みたいですよね。ごめんなさい。一人ぼっちで寂しそうにしていたから、つい……」
芽衣は拳を握りしめ、あいなの目の前に歩み出ると、大きな目を剝き出しにして睨みつけた。
「余計なお世話よ!とにかく、これから警察呼ぶからね!」
芽衣が本気で怒っているのが、僕たちにもありありと伝わってきた。けれど、樹里のために一緒に遊び相手になってあげたあいなの気持ちもわかるし、芽衣もなぜ幼い樹里を一緒に連れて行かなかったのか、いまいち合点が行かなかった。
「あれ?君、ひょっとして、こないだ俺たちと一緒に掃除をした……」
「え?」
シュウは芽衣と対峙するあいなの顔をじっと見るうちに、ようやく過去の記憶に思い当たったようである。
「あ、本当だ。私たちと一緒に掃除した子よね」
怜奈は目を丸くし、口元を押さえながら驚いていた。
「そうです。すみません、ちゃんと名乗らなくて」
あいなは日傘を閉じると、三人の前で深々とお辞儀した。
「ごめんなさい。この子が寂しそうだったから、私なりに何かできないかと思い、声を掛けて一緒に遊んでました。誤解されても仕方ないですよね。もし警察を呼ばれるのでしたら、呼んでくださって結構です」
ひたすら謝り続けるあいなを見て、芽衣は腕組みして大きくため息をつくと「しょうがないわね」と小さな声でつぶやいた。
「さ、樹里、おうちに帰るわよ。そして、帰る前に『一緒に遊んでくれてありがとう』って、ちゃんとこのお姉さんに言いなさいね」
樹里は満面の笑みを浮かべ、人形をあいなの前に差し出した。
「わたしとローラちゃんといっしょにあそんでくれて、ありがとう」
するとあいなはしゃがみこみ、樹里の目線に合わせながら「またあそぼうね」と言い、笑顔で手を振った。
「さ、帰るわよ。樹里」
芽衣はあいなが手を振っているにもかかわらず、樹里の手を引き、そそくさと自宅へと帰っていった。
あいなは申し訳なさそうな表情で立ち上がると、ヒールの音を響かせながら歩き去っていった。その時、怜奈は慌ててあいなの背中を追いかけた。
「ごめんね。近くの親戚での法事だったから、すぐ帰ってくるだろうと思って樹里をお留守番させていたんだよ。本当は樹里も連れて行くべきだったのに。ごめんね、芽衣もママとして樹里を守りたい一心だったと思うから、許してあげてね」
「アハハ、私、子どもの頃、私はこの公園でお母さんとよく遊んだ記憶がありました。それが今でもいい思い出になっています。だから、あの子と一緒に遊んであげようって自然に思えたのかもしれません」
あいなは髪の毛を掻きながら、照れ笑いを浮かべた。
「ところであなた、剛介君のことが好きなんでしょ?今も付き合ってるの?」
「まあ、一応は……本当にたまにしか会えないんですけどね」
怜奈は目を細めてあいなの顔を見つめていた。
「私、明日には帰っちゃうんですけど、剛介君のこと、見かけませんでしたか?剛介君もお盆にはこっちに帰ってくるって聞いていたから」
「いや、まだ見かけないわね。シュウは剛介君に会った?」
「会ってないな。帰ってきたら、いつもこの公園で剣道の練習してるはずだけど、最近そんな姿も見ていないし」
「わかりました。じゃあ、このお盆は会えないかもしれませんね」
あいなは寂しそうな顔をしていたが、頭を下げると、マンションの方向へと歩きだした。
「本当にいい子だなあ。剛介、どうしてあの子と付き合わないんだろう?勿体ないとしか言いようがないよ」
「ねえシュウ、こないだも私にその話をしたけれど、それって本当の話なの?というか、いいの?あの子に直接そのことを言わなくて」
「言えるわけねえだろ!あんなに一途に剛介を好きで慕ってるのに。彼女の夢を壊すようなことなんか言えるわけねえじゃん!」
シュウは苦虫を潰したような表情で叫んだその時、ポケットからけたたましい音が鳴り響いた。
「剛介からのLINEメッセージだよ。明日帰ってくる。しかも、彼女を連れて!?マジかよ!」
そう語るシュウと怜奈は、心配そうな表情を浮かべながら、マンションへと向かうあいなの背中を見届けていた。
翌日、朝からまぶしい陽ざしが照り付ける中、駅の方向から二人の人影が僕たちの方へ近づいてきた。
二人はお互いにキャリアケースを持たない方の手を繋ぎ、仲睦まじそうにゆっくりとした足取りで歩いていた。
「ふーん、剛介の住んでる町って、こんな綺麗な公園があるんだね。大きな木もあって、雰囲気もいいよね」
「そうだろ?俺、あそこの木で毎日剣道の練習をしていたんだよ」
「へえ、そうなんだ。木を相手に練習?」
「まあね。僕にとってはいい練習相手になっていたんだ」
二人の正体は剛介と、おそらく北海道で付き合っている野々花という名の彼女であろう。
『なんだよ剛介、彼女連れでの帰省かよ。羨ましい奴だな』
『あいなちゃんが知ったら悲しむよね。ひどい奴だなあ』
苗木達がヒソヒソと噂話をしている丁度その時、マンションから両親とともに、キャリアケースを手に出てきたあいなの姿があった。
「じゃあね、今度は正月に帰ってくるね」
あいなは大きく両手を振って両親と別れると、キャリアケースを引いて公園の中へ姿を見せた。そこには、手を繋ぎながら仲睦まじく歩く剛介と野々花の姿があった。
『ま、まずい!まさかの……鉢合わせ?』
『どうして、こんな時に……!』
僕たちは固唾を飲みながら、剛介とあいなの再会を見届けるしかなかった。
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