第111話 見せつけられて
よりによって、剛介が彼女連れで帰省してきたところに、これから東京へ戻るあいなが鉢合わせてしまうなんて……。
僕たちケヤキは、ただ黙ってその場面を見届けるしかないけれど、この場面は、見届ける側からすればあまりにも残酷なものを見せつけられているように感じた。
『剛介、お前って奴は……本当にバカだな』
『どうして?どうしてこの二人が今ここで鉢合わせしてしまったの?』
『あいなちゃん!お願い!怒らないで……って、それは無理か』
苗木達からは悲鳴が上がっていた。こんな場面を見せつけられ、黙っていられないというのは分かる。
あいなは剛介の姿をふと見ると、しばらくその場に立ち止まった。剛介は彼女である野々花と相も変わらず雑談を続けていた。剛介は公園の入口に立つあいなの姿に気づいたのか、ほんの一瞬だけあいなのいる方向を向いた。
『あ、ヤバい!まずいよ!剛介もあいなちゃんも気付いたみたいだよ』
ほんの一瞬だけ目が合った二人。あいなも剛介も、神妙な面持ちでお互いを見ていたように感じた。
しかし、ある程度時間が過ぎると、そのまま何も無かったかのようにお互いにその場を通り過ぎて行った。
『あれ?何にも……無かったよね?』
『え?お互いの姿に気づいていたのに?』
あいなはキャリーケースを転がしながら、駅前の方向へとゆっくりと歩き出していった。そして僕の目の前に止まると、ふっと笑みを見せて「また来るね」とだけ言い残し、再び歩き出していった。
一方で剛介は、相も変わらず野々花と雑談を続けていた。それどころか、野々花は剛介と繋いでいた手を離すと、その手を剛介の腕に絡め、そのまま身を横に倒し寄り添った。
「ちょ、ちょっと!野々花。恥ずかしいだろ?ここ、結構人通りあるんだぞ。俺の友達や家族が見てるかもしれないだろ?」
いや、人だけじゃなく、僕たちケヤキも見てるんですけど……。
しかし、野々花は剛介の言葉に耳を貸さず、剛介の腕に自分の腕を絡めながら、背中まで伸びた長い黒髪をかきわけ、トロンとした瞳でじっと剛介を見つめていた。
「いいのよ、誰が見ていようと。逆に見せつけてやりたい!私が剛介の彼女でーすって」
「バカ言うなよ!」
「バカ言うなってどういうこと?私のこと、好きじゃないの?」
「ち、違うよ!何言ってんだよ」
「じゃあ、私のこと大好き?」
「そうだけど……」
「うれしい!私も大好きだよ」
そう言うと、野々花は剛介の頬にキスした。
「おい野々花!いい加減にしろって!」
「いい加減?私は剛介のことをいい加減に愛していないもん。とことんまで愛してるから……」
そういうと、野々花は剛介の首に手をかけ、顔中に口づけ始めた。
「わ、お、おい!マジでやめろ!やめろって!」
「アハハ、剛介の顔中に私のグロスがべっとりついちゃったかも。太陽の光が当たると、テカテカに光ってるよ」
慌てふためく剛介をよそに、野々花はいたずらっぽい笑みを浮かべると、今度は剛介の唇に自分の唇をそっと押し当てた。
「お、お前……!」
剛介は野々花から吸い取られるように口づけを受け、あわてて野々花の手を首から振り払うと、そのまま唇を離し、息を切らしながら後ずさりした。
「な、なんのつもりだよ。さっきも言っただろ?ここは沢山の人が見てるんだから、ヤバいって」
「へえ、何をそんなに気にしてるの?もういい。剛介がそんな冷たい男だと思わなかった」
「おい野々花!いい加減にしろって」
野々花は、剛介を置いていくかのように早足で公園の中を歩き去っていった。その後を、剛介は必死に追いかけて行った。野々花は立ち止まると、剛介の姿を振り向きざまに笑いながら見つめていた。
「しょうがないなあ、もう。素直じゃないんだから、剛介は。ウフフフ」
野々花は剛介の手を捕まえると、自分の手に重ね合わせ、しっかり握りしめたままマンションの方向へと歩き去っていった。
『ちょっと何なの?あの野々花って女。さんざん見せつけてきてさ。すごく不快なんだけど』
『そうだよ。剛介を手玉に取ってるみたいで、逆に剛介が可哀想だよ』
ナナとミルクは、怒りに満ちた声で二人の背中を見送っていた。
『いや、俺はあの位積極的に愛されたいかも。あんなにキスされて羨ましいなあ、剛介』
『そういう問題じゃないでしょ?ヤットにとっては嬉しいかもしれないけどさ』
ヤットのぼやき声を聞いて、ナナとミルクは金切り声で怒鳴り立てた。
『そんな怒ることないだろ?ルークさんやケビンさんだって、剛介みたいにとことん愛されてみたいよね?』
ヤットの詰問に、僕もケビンも無言を貫いた。そりゃ男としては、年頃の可愛い女性にあんなに目一杯愛されたら、飛び上がる位嬉しいだろうけど……。
『ちょっとみんな!あそこにいるの、あいなちゃんかな?さっきから動かないんだけど』
突然、ケンが大声で僕たちに呼びかけた。僕はじっと目を凝らすと、公園のはるか向こうに、キャリーケースを手にしてしゃがみ込んだまま、微動だにしないあいなの姿があった。
『どうしたんだろ?ここからじゃ表情が良く見えないよ』
『病気?熱中症?それとも……』
『くそっ。僕らにも人間みたいに足があれば、すぐ駆けつけるのに!』
マンションを出発するまで元気だったあいなに、一体何があったのだろう?僕は色々と憶測を巡らせたが……。
『あれ?シュウが出てきたよ』
『ホントだ!竹刀を手にしてるけど、こんな真昼間から練習するのかな?いつもは夜中に練習するのに』
苗木達の声を聞いた僕は前を向くと、竹刀を手にケビンの方へと歩くシュウの姿に気づいた。
「ふぁあ……眠いけど、今日は剛介が帰ってくるからな。あいつのことだから、久し振りに一緒に稽古したいって言うだろう。しばらくきちんと竹刀を振っていないけど、あいつにちゃんとカッコいい所見せられるように、練習しとくか」
そう言うと、シュウはケビンの真正面で竹刀を構えた。どうやらこれからケビンを相手に試し打ちをするようだ。
『ええ?これから僕を相手に試し打ちするの?ちょっと、止めてよ。唐突過ぎて心の準備が……』
しばらくシュウが練習をサボったおかげで練習相手にならずに済んでいたケビンは、シュウの突然の「練習宣言」に戸惑いを隠せなかった。
シュウは立ち上がると竹刀を高く振りかざし、風を切る鋭い真空音を立てて、そのままケビンに振り下ろそうとした。
『ギャアアアア……ア?』
突然ケビンの声が止まった。
いつもなら、僕の方まで響き渡る位の叫び声を上げるはずなのに、叫ぶ寸前で声が止まってしまった。一体何があったのだろうか?
どうやらシュウは何かに気づいた様子で、ケビンの手前に竹刀を置くと、そのまま全力疾走で公園の中を駆け抜けていった。苗木達や僕の傍を駆け抜けると、シュウは勢いを保ったまま走り続け、あいなが座り込んでいる辺りで急ブレーキをかけるかのように止まった。
シュウはあいなの隣に座り込むと、二言三言話しかけ、やがて肩に手を回して抱き起した。そして、片手であいなが手にしていたキャリーケースを持ち、そのまま僕たちの方へと戻ってきた。
あいなは僕たちの目の前を通り過ぎる時、片手で何度も顔の辺りを拭っていた。
『あいなちゃん……泣いてる』
シュウはあいなをケビンの前のベンチに座らせると、その隣に座り、何度も背中をさすってなだめていた。
「しばらくここで休んでいきなよ。今のまま駅まで行っても、心が落ち着かなくてまた泣き崩れちゃうだろ?」
「……すみません、お気遣いありがとうございます」
額から顔に掛けて覆うかのように垂れ下がった髪を掻き分けもせず、あいなは鼻をすする音をたてながらしばらく何も言わず座り込んでいた。シュウは、あいなの隣に座って何度も背中を撫でていた。やがてあいなは顔を拭うことも鼻をすすることもなくなり、徐々に生気が戻ってきているように感じた。
「少しは落ち着いたかな?」
「はい。お気遣い頂き、ありがとうございました」
「確かに心が折れるよな。見たくないものを見せつけられて、本当に辛かったよな……」
シュウの問いかけに、あいなは軽くうなずいた。
僕の予想通り、あいなは剛介と野々花がいちゃつく姿を見てしまったようだ。
「剛介は、親元を離れて心のタガが外れているのかもしれない。あいつが帰省した時には必ず俺と一緒に剣道の練習するから、会った時には俺の方からキツく言っておくよ」
「いえ、それは結構です」
「どうして?心を傷つけられて、辛かったんじゃないのか?」
「大丈夫です。というか、私も悪いから」
「はあ?どうして?」
「私、マンションの前で剛介君とその彼女に出会ったんですけど、剛介君が私に気づいてないみたいだったから、そのまま知らないふりして通り過ぎて行ったんです。でも、未練がましく剛介君の姿を遠くからずっと目で追ってたんです。そしたら、見たくない場面を色々見ちゃって……あのまま振り返らず、そのまま駅に行っちゃえばよかったのに」
シュウはあいなを心配そうに見つめていたが、あいなは大きく背伸びをし、二・三度大きく深呼吸をすると、笑顔を見せた。
「今日はすごく悲しかったし、すごく悔しかったけど、私、まだ心の奥底では希望を持ってます。剛介君、いつかきっと私の方に戻ってくるって。いつになるかは分からないけど……その日が来るのを信じて待とうと思います」
「そうか……今は辛いだろうけど、がんばってな。俺も君の所に、剛介が戻ってくるって信じてるよ」
「ありがとうございます」
あいなはシュウに手を振ると、腕時計を目にし「あ、ヤバい!電車に遅れちゃう!」と呟き、慌てながらキャリーケースを引いて公園の中を走り去っていった。
『健気だなあ……あいなちゃん、何ていい女なんだろう』
『ホントよね。俺、今回の件で剛介のことが嫌いになりそうだよ。キングもそう思うだろ?』
『……』
怒り心頭の苗木達だったが、キングだけは相変わらず無口のままだった。
そう言えば、剛介はあいなに出くわした時も、ずっと野々花と雑談に興じていたが、僕が見た限り、おそらく剛介はあいなの姿に気づいていたはずだ。あいなの姿に気づいていながら、野々花の誘いを断り切れずあのような行為をしたのであれば、僕は剛介を心から許せないと思った。
一途に剛介を慕っているあいなを、ここまで悲しませておきながら……。
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