第106話 私が守らなくちゃ

 昨晩は成人式と呼ばれる行事に参加した若者たちが夜遅くまで騒ぎ、僕たちケヤキはどことなく落ち着かない一夜を過ごした。

 夜が明け、次第にまぶしい朝の光が差し込んでくると、寝不足の僕はまだ眠さが残る中少しずつ目を開けた。その時、まだおぼろげな僕の視線の中に、マンションから一人で出てくる剛介の姿が入ってきた。剛介は大きなケースを手で引きながら、無言のまま僕たちの傍を通り過ぎ、そのまま駅の方向へと足早に去っていった。


『おや?剛介だよね……今の人』


『どうしたんだろ?こんな朝早くに帰っちゃうんだね。僕たちに挨拶も無しに。なあキング。一番仲がいいお前にも挨拶していかないなんて、ひどいよな』


 不満そうに語る苗木達をよそに、キングは何も言わずじっと剛介の背中を見送っていた。剛介の背中はいつの間にか公園から遠ざかり、その姿は既に豆粒のように小さくなっていった。昨日の挙動不審な姿といい、剛介の心はこの町から、そしてこの公園からも離れてしまったのだろうか?

 朝陽から差し込む光が次第に僕たちを包み込み、僕たちの視界には公園の全体像が目に入ってきた。その時突然、僕の耳に苗木達の叫び声が飛び込んで来た。


『ねえねえルークさん、公園の中、すっごく汚くなってるよ!一体誰がこんなに散らかしたんだ?』


 我に返った僕は自分のぐるりと見渡すと、公園の中には沢山のゴミが散乱しているのが目に入った。押しつぶされた空き缶、お菓子の袋、煙草の吸殻……僕は思わずため息が出てしまった。


 しばらくすると、シュウが母親の怜奈とともに公園の中にやってきた。

 シュウはズボンのポケットに手を入れたまま公園の中を歩きながら周回すると、しかめ面で大きな袋を広げ、散らばったゴミを一つ一つ拾いだした。


「何だよ、この散らかりようは。昨日の成人式に参加した若い奴らだな、きっと」

「ひどいわね。昔はこんなにゴミが散乱していなかったよ」

「最近の奴らは親からきちんとマナーを教わらないからだよ。俺は親父とおふくろから嫌になるほど『道路や公園にゴミを投げ捨てるな』って教わったからさ。でも、会社の若い奴らに聞くと、今の親はそういうことをあまり言わないらしいな」

「どうしてなのかしら?社会で生きていく上で基本的なマナーだし、大事なことだと思うけど」

「さあ?小言を言って子どもに嫌がられたくないからじゃねえか?甘やかしすぎなんだよ、全く」


 シュウと怜奈の持つ袋は、ゴミであっという間に満杯になっていた。

 シュウはテンポよく次々とゴミを拾い集めていたが、怜奈は高齢のためかシュウよりも歩みが遅く、何度も足を止めては腰の辺りを何度もさすっていた。


「おふくろ、無理すんなよ!俺の真似なんかしないで、休みながらやるんだぞ」

「バ、バカ言わないでよ。私だって隆也が寝込んでいた時は一人でやってたんだから」

「それだってもう五年以上前だろ?年には勝てないんだから、無理は絶対するな」

「ちょっと、私を年寄り扱いしないでよ!」


 お互い憎まれ口を言い合いながらも、二人の手はしっかりとゴミを拾い集めていた。そして、袋は二つ、三つと次々に満杯になっていった。

 地面に落ちていたゴミは徐々に無くなってきたが、植栽などがある公園の物陰の方には、まだまだ多くのゴミが残っているのが目についた。


『あれ?あいなちゃん?』


 ミルクが突然声を上げたその時、白いコートを着込んだ若い女性が僕の目の前に現れた。両手を後ろで組みながら、靴音を鳴らしてゴミ拾いに勤しむシュウと怜奈の元へと近づいていった。昔とは髪型が変わり、全体的に大人っぽい雰囲気はあるものの、どことなくあどけなさの残る横顔を見て、僕も女性があいなであることに気付いた。


「手伝いましょうか?」

「え?」


 シュウは眼差しを上げると、あいなは笑顔で腰をかがめ、シュウの袋に目を遣っていた。しかしシュウは極まりの悪そうな顔であいなから視線を逸らした。


「ああ、昨日ここで悪い奴に絡まれてた剛介の幼馴染の子か。ご心配なく、俺たちだけで十分やれますから」


 それだけ言うと、シュウは地面に視線を落としてゴミを拾い始めた。


「だって、昨日私たちが成人式で浮かれて、羽目を外して散らかしたゴミだもん。せめて私だけでもお手伝いしたいです!」

「お姉さん……気持ちはわかるけど、汚れますよ?そんなに上品なコート着てるのに」


 シュウはうつむきながら、あいなに忠告するかのように言葉を返した。


「いえ、やらせてください」


 あいなはそう言うと、手袋を外してコートに仕舞い込むと、コートを脱ぎ、ケビンの真下にあるベンチに置いた。


「そこに置いてあるポリ袋、一枚頂きますね」

「ちょ、ちょっと!大丈夫だから!俺たちだけでやれるから!」


 あいなはシュウの忠告を無視し、袋の中に植え込みに捨てられた吸い殻やお菓子の袋を次々と拾い集めた。


「やるわね、あのお姉ちゃん」

「そうだけどさ、あの子がこの公園にゴミを捨てたとは思えないよ。なのに、なぜあの子が一人で罪を背負ってゴミ拾いをする必要があるんだ?」


 シュウは一心不乱にゴミを集めるあいなの姿を見て、いまいち腑に落ちない様子だ

 ったが、あいなはシュウの心配をよそにひたすらゴミを袋の中に詰め込んでいた。

「やだぁ!何なのよ?これ……!」


 その時、苗木達の周りのゴミを集めていた怜奈が何かを見つけたのか、突然悲鳴をあげて後ずさりした。


「ど、どうしたんですか?」

「こ、ここに……誰かが吐いた跡が!」


 怜奈は両手で口を押えながら、駆け寄ってきたシュウとあいなに訴えていた。

 どうやら植栽の中に誰かが嘔吐していたようだ。


「全く、慣れない酒を調子に乗って飲むからだよ。こういうのは、本当に無責任だよなあ」


 シュウは鼻をつまんで眉間に皺を寄せていた。一方、あいなは吐いた跡を見つけると表情が一変し、強い口調で隣に立っていたシュウに声を掛けた。


「すみません!水とブラシ、ありますか!?」

「え?ああ、家に帰ればあるけど」

「ちょっとお借りして良いですか!?」

「え?君がやるの?」

「そうです!」


 あいながそう言うと、シュウは驚きつつも、自宅の玄関へと駆け足で走り去っていった。あいなは口を押えて立ち尽くす怜奈にそっと寄り添った。


「大丈夫ですか?」

「私は大丈夫よ。お姉さんは平気なの?」

「はい。私、帰り道に駅で酔いつぶれた人を介抱したことは何度もあったので。そう言う人を見かけると、放っておけない性分なんですよ」

「すごい!そんなに若いのに……偉いわね」


 やがてシュウがバケツとブラシを手に、小走りで二人の元へと戻ってきた。


「これでいいのかい?というか、本当に君がやるの?」

「はい、そうです。早速お借りしますね!」


 あいなは笑顔でシュウの手からブラシを奪い取るように掴むと、バケツに入った水に浸し、ブラシで何度も吐いた跡をこすり続けた。

 怜奈はあまり目にしたくないのか、口元を押さえて背を向けていたが、あいなは吐いた跡を直視しながら平然とブラシを動かしていた。


「すげえ……若いのによくやるな」


 やがてあいなはブラシをシュウに手渡すと、軽く一礼した。


「出来る限り綺麗にしたつもりです。ただ、なかなか跡がへばり付いて取りにくい所もあるので、そこは私の力じゃ無理でした。ごめんなさい」

「い、いいんだよ、ここまでやってくれて、すごく助かったよ」

「じゃあ私、そろそろ行きますね。今夜には帰らないと、明日からまた学校だから」

「えらいわね。そんなに可愛い顔して、素敵なコートを着てるのに、ゴミ拾いや吐いた跡の始末までするなんて、なかなか出来ることじゃないわよ」

「あははは、可愛いだなんて、ちょっと照れますね」


怜奈があいなを褒めると、あいなは両手を振って照れ笑いを浮かべた。


「君、剛介の幼馴染って言ってたよな?実家はこの辺りなの?」

「そうです、そこのマンションなんですよ。剛介君と同じマンションに住んでます」

「ほお、そうなんだ。マンションの人達は公園が汚れても草ぼうぼうでもなかなか掃除を手伝ってくれなくてね。私たちが暑い日も寒い日もがんばってやってるのにさ」

「私は違います。私はこの公園が汚されていくのは見ていられないし、汚す人がいたら絶対に許せないんです。なぜなら、ここには私の思い出がいっぱい詰まってるから。ここでケヤキの木を見つめながら学校に通ったことも、両親と一緒に鬼ごっこして遊んだことも、そして……」


 あいなは最後に何かを言おうとした時、突如言葉が詰まり、ちょっとだけ顔を赤らめていた。


「剛介君と出会ったことも……」


 あいなは髪を片手で掻きながら、照れ臭そうに小さな声でつぶやいた。


「剛介君は小学校の時のクラスメートで、気が弱くていじめられてばかりいたけど、私にとってはずっと気になる存在だったんです。彼は強くなろうと、暑い日も寒い日もずっとここで剣道の練習をしていた。そんな彼の一途な所に私はすごく惹かれたんです」

「え?そ、それって……」


 怜奈はあいなの言葉を聞き、まさかと言わんばかりの表情を見せた。


「あ!そろそろ私帰って支度しないと、帰りの電車に間に合わなくなるんで、これで失礼しますね」


 あいなは腕時計に目を遣ると、頭を深く下げ、ベンチに置いたコートを片手に持ってそそくさと公園の外へと走り去っていった。


「いい子だね。剛介君、あんなかわいくて芯のしっかりした彼女がいたんだね」


 怜奈が感心した様子であいなの背中を見送っていたが、シュウはいまいち浮かない顔をしていた。


「どうしたの?シュウ、ひょっとして剛介君のこと、羨ましいのぉ?」

「ち、違うよ!そうじゃなくて、あの子が可哀想だなって思ったんだよ」

「はあ?それ、どういうことなの?」


 怜奈は驚いた表情でシュウを見つめると、シュウはポケットから電話を取り出し、指でなぞりながら何かを確認しているようだった。


「あいつとは今でもLINEで時々やり取りをしてるから、色々近況を聞いてるんだけど……最近、バイト先で彼女が出来たみたいでね。最近のあいつからのメッセージは、彼女と飲みに行った話とか、一緒にデートした話ばかりだから」

「ええ?じゃ、じゃあ、あの子の片想いってこと?」

「悲しいけれど……現状ではそうなるのかな」


 シュウはそれ以上何も言わなかった。剛介に彼女が出来たのはどうやら本当の話のようだ。そんなことはつゆ知らず、剛介と結ばれることを夢見ているあいなに、どんな言葉をかけてあげれば良いのだろうか?もちろん僕たちはケヤキの木だから、人間の言葉は話せないけれど……今は余計なことは言わず、静観した方がいいのかな?

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