第105話 三つの夢

 成人式と呼ばれる大人になった人間達を祝うイベントが行われた夜。

 僕たちの暮らす公園は、夜が更けた頃になっても若者たちが楽しそうに声を上げながら行き交っていた。酒を飲んだ帰りなのか、肩を組んで大声で叫んだり、この世の物とは思えないほど大きな笑い声を上げたり、彼らの姿はとにかく楽しそうに見えた。

 駅前の繁華街から公園の中へ続々と戻ってくる若者達に交じり、仲睦まじく歩く、僕たちが見慣れた二人の男女の姿があった。


「ふぁ~……酔っちゃった。私、フラフラかも」

「じゃあ、そこでちょっと休もうか?」

「うん……ごめんね、剛介君」


 剛介はケビンの真下にあるベンチの前にたどり着くと、あいなの手を取りながら、ゆっくりと腰を下ろした。


「ふう~、気分が落ち着いた。ここに来るまで目が回りそうだったもん」

「何だよ、目が回りそうだなんて。あいなちゃんらしくないぞ」

「だって、普段はそんなに酒を飲む機会なんて無いんだもん。剛介君は全然酔わないよね?」

「僕は、まあ……部活とかバイトの仲間とよく飲みに行ってるから、そこそこ強くなったかな?」

「羨ましいなあ。部活やバイトで友達もいっぱいできたんだ?」

「まあ、それなりにね」


 そう言いながら、剛介は時折ポケットの中を何度もまさぐっていた。何か気になるものでも入っているのだろうか?

 あいなは、自分の方を向かずポケットを気にしている剛介に、やや不満そうな表情を浮かべていた。


「ねえ、どうしてポケットばっかり気にしてるの?」

「い、いや。ハンカチを探してたんだけど」

「ホントに?さっきも居酒屋で時々私の視線を盗んでスマホいじってたでしょ?」

「そうかな?気のせいじゃない?」

「気のせいじゃないもん。ちゃんと見てたよ。ねえ、誰から連絡来てるの?」


 剛介はやや気まずそうな表情で、あいなから視線を逸らした。


「バイト先からだよ!シフトどうするんだって。それに、剣道部の仲間からも時々練習日程の確認の連絡が来るからね」

「へえ、そうなんだ。ならばいいけどさ」


 あいなは安堵としたのか、表情を緩めると、あくびをしながら両手と両足を前方へ伸ばした。足を伸ばすうちにコートの裾とブーツの隙間から長い脚が露出し、それを偶然目にした剛介は両手で口を押えたまま顔を赤らめた。


「あれ、どうしたの?顔が真っ赤なんだけど」

「いや、その……」

「ひょっとして、これ?」


 あいながいたずらっぽい笑顔を浮かべてコートのボタンを外し、短いスカートから大きく露わになった脚を、まるで見せつけるかのようにそっと剛介の方へ傾けた。


「や、やめろよ!見せつけるなんて」

「だって、見てもらいたいんだもん、剛介君に」

「普段もそんな恰好してるのか?」

「してませんよ~。普段はもっとですよーだ。剛介君だけ、特別に見せてあげてるんだよ、感謝しなさいっ!」

「そ、そんな、僕の方から見せてくれなんて言ってないよ」

「ホント?そう言ってる一方で、私の脚に目が釘付けなんですけど?」

「ち、違うって!僕は、その……東京は遊ぶところがいっぱいあるから、あいなちゃんもそういう派手な恰好して毎日遊んだり、合コン三昧してるんだろうなって思ったから……」


 するとあいなは口元を押さえながら、声を上げて笑い出した。


「そ、そんなに笑わなくたって」

「アハハハハ、まあ、確かに遊ぶ場所は沢山あるし、出会いの機会も求めれば沢山あるわよ。実際、友達と合コンに何度か参加したこともあるし。でもね、今の所彼氏が出来たことは無いから、安心してよ。それに、学校ではサークルに入らず勉強ばっかりしてるから、男の人と知り合うチャンスも少ないしさ」

「ええ?あいなちゃん、勿体ないよ!折角大学生になったんだし、もっと遊んだほうが良くない?」


 あいなは剛介の問いかけに対し、無言のままだった。そして、剛介にそっと身を寄せて、膝を抱えながら夜空を見つめていた。


「遊ぼうと思えばいくらでも遊べるわよ。でもね、今の私には絶対に叶えたい夢があるんだ。夢が叶うまでは、遊ぶのはほどほどにしようと思ってるの」

「夢?」

「そう、夢。今の私には、夢が三つあるんだ」


 あいなは夜空を見つめながら白い息を吐いて、ゆっくりとした口調で語りだした。


「一つ目の夢は、弁護士になること。あ、これは昔、剛介君にも話したよね?」

「そうだね。あいなちゃん、小学生の時にはもう弁護士になるって言ってたから、すごいって思ってたよ」

「アハハハ、そうだったね。私のお父さんが弁護士だけど、いつも弱い立場の人のために夜遅くまで一生懸命仕事していた。訴訟の相手から脅迫を受けた時も、ひるむことなく必死に戦っていた。この公園に無理矢理遊具を作ろうとした時みたいに、たまに暴走しちゃうこともあったけど、お父さんが仕事している姿はすごく好きだった。そして自分も大人になったら、お父さんと同じ仕事をしたいって自然に思うようになったんだよね」


 あいなはちょっと照れた表情を浮かべながら、言葉を続けた。


「二つ目の夢は、いつかこの町に戻ってきて、この公園を守る仕事をしたいこと。私の幼い頃の記憶の中には、いつもこの公園があった。大きなケヤキの木があって、たくさんの思い出の詰まっていて、何より心から落ち着ける場所だから。この場所をずっと守り続けるために、私が出来ることは何だろうって考えたら、まずはこの町に戻ってくることかなって。そして、弁護士の立場を生かして、この公園を壊したり侵したりする人達から守りたいって思ってるんだ」

「そうなんだ……偉いなあ、あいなちゃんは。もう二度とここには帰ってこないって思ってたよ」

「あれ?剛介君は帰ってこないの?」

「いや、いつかは……ね」

「いつかは?そんな曖昧な考え方なの?」

「だって、今はまだそこまで考えてないんだもん。将来のことなんて、就職活動が始まった頃にでも考えればいいやって」

「はあ!?私は絶対ここに帰ってくるつもりなのに!」

「でも……仕事する場所もないし、今住んでる北海道の方が楽しいし」

「ちょっと、ふざけないでよ!」


 あいなは怒りのこもった激しい口調で剛介をたしなめた。大きな瞳をさらに大きく見開き、興奮気味に息を切らしながら、剛介をじっと睨みつけていた。


「そ、そんなに興奮しなくてもいいだろ?今すぐじゃないけれど、いつかはここに帰ってくるっていうことなんだから」

「本当?」

「本当だよ!信じてくれ」


 剛介は両手を前にかざし、おののきながら後ずさりしていた。

 あいなは興奮気味に剛介を攻め立てていたが、剛介の言葉を聞いて少し冷静さを取り戻したのか、胸に手を当てながら呼吸を整えていた。


「で、最後のもう一つの夢は……?」


 剛介が尋ねると、あいなは顔を赤らめ、無言のまま胸に手を当てていた。


「あれ?どうしたの、急に」


 その時あいなは、何かを思い立ったかのように突然剛介の肩に両手を置いた。あいなに身体を触れられた剛介は、しばらく金縛りにあったかのように全身が固まっているのが僕の目からも見て取れた。


「三つ目の夢は……いつの日か、剛介君と一緒になること」

「ええ?ぼ、ぼ、ぼ、僕と?」


 驚いた剛介は、しどろもどろな口調であいなに問いかけたが、あいなは微笑みを浮かべて頷いた。


「剛介君とは離れて暮らしてもう十年近くなるけど、その間、彼氏が出来そうなタイミングは何度かあった。でも、私が自分から進んで付き合おうとは思わなかったし、告白されたこともあったけど、『好きな人が居るから』って言って、全部断ってきたんだ」

「あいなちゃん……」

「剛介君のことが、ずっと忘れられなかったから。この公園と同じで、私の中ではかけがえの無い存在だから」


 そう言うと、あいなは剛介の肩から手を外すと、そのまま剛介の手をそっと握りしめた。


「剛介君と今日こうして会えて、本当に嬉しかった。再び離れ離れのなるのは寂しいけど、いつかまたここで会えるって信じてるからね。私、絶対に自分の夢を叶えるから」


 あいなは唇を剛介の元に近づけると、やがて二つの唇は暗闇の中でそっと重なり合った。


「大好き、剛介君」

「僕も……だよ。あいなちゃん」


 しばらく二人は唇を重ね合っていたが、やがて金属が地面に落ちた時のような着信音が鳴り、剛介は慌ててあいなから唇を外し、ポケットに手を入れた。

 電話を取り出すと、剛介は驚いた様子でベンチから立ち上がった。


「どうしたの?」

「ごめんね、あいなちゃん。至急電話するようバイト先からLINEでメッセージが来たんだ。今日はこれで帰るね」

「うん。じゃ、またね。いつか絶対ここで会おうね。私、自分の夢のためにまた受験勉強がんばるから」


 あいなは剛介の頬にキスをすると、笑顔で片手を振りながら、足をふらつかせつつもマンションの中へと走り去っていった。剛介は頬を押さえて照れながら、片手を振ってあいなの背中を見送っていた。


『ひゃあ!剛介、やったね!これって、あいなちゃんはいつか剛介と結婚したいって暗に言ってるんでしょ?』


『そうだね。でも……剛介の本心はどうなんだろう』


 ナナは二人の仲睦まじい様子を見て感嘆していたが、僕は剛介のいまいち煮え切らない態度に、下世話ながら不安を感じていた。案の定、あいなの姿が視界から見えなくなるのを見計らったかのように、剛介はポケットから電話を取り出した。


「あ、野々花ちゃん?ごめん。え?誰かと会ってたのかって?うん、昔の友達と久しぶりに飲んだんだ。その中に女の人はいたのかって?バカ言うなよ、いないよ。あ、ああ、もちろん明日の夕方の約束、ちゃんと守るから、信じておくれよ。じゃあ、また明日ね!」


 剛介はポケットに電話を仕舞い込むと、極まりの悪そうな表情を浮かべながらマンションへと戻っていった。


『ねえ……今、剛介はあいなちゃんじゃない誰かと話をしてたんでしょ?』


 ナナは心配そうな声で僕に語り掛けてきた。


『そうみたいだね。あいなちゃんじゃない人の名前を言ってたよ』


 僕がそう答えると、苗木達は一斉に剛介への不満を言いだした。


『な、何て奴だ!あいなちゃんの一途な気持ちを踏みにじるなんて』


『剛介と言い隆也と言いシュウと言い、人間の男って薄情な奴が多いよね?』


 僕は思わず耳を塞ぎたくなったが、僕自身も剛介の気持ちや行動がいまいち理解できなかった。あいなの一途な気持ちを知れば知るほど、剛介に対する猜疑心が次第に強くなっていった。

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