第104話 君に会えて

 あいなから剛介の名前を聞き、シュウは驚きを隠せなかった。

 シュウは剛介が中学生の頃から剣道の指導を続けていたが、剛介は高校を卒業した後、この町を去っていった。剛介はその後この場所に顔を出すことも無く、シュウは内心寂しさを感じていた。


「あ、剛介君だ。ここだよ!久しぶり~!」


 あいなが大きな声を上げて手を振ると、はにかんだ笑顔を浮かべながら剛介が二人の元へと近づいてきた。紺色のスーツを着込んだ彼は、背丈も顔つきも昔と変わらなかったが、スーツを着ているせいか、大人びた雰囲気が漂っていた。


「あいなちゃん、おはよう。待たせちゃったね」

「剛介!久しぶりだな。元気にやってるのか?」

「あれ?シュウさんも一緒なんですか?」

「まあな、たまたまというか、このお姉さんが悪い奴らに絡まれていたから、ちょっとからかってやろうと思って出てきたんだよ」

「悪い奴ら?」

「坊主頭でタコみたいな顔した兄ちゃんだったな。あ、似合わねえ金髪やら赤い髪にしてる奴らもいたな。俺がこの袋を渡して、いますぐ散らかしたゴミを拾えって言ったら、ふて腐れて帰って行ったよ。ガハハハハ」

「そ、そうなんだ。あいなちゃんを助けてくれて、ありがとうございます」


 剛介はシュウに向かって深々と頭を下げた。


「バ、バカ言うなよ。俺はこの公園でゴミを散らかす奴らが許せなかっただけだよ。その後、このお姉さんから剛介の名前を聞かされて、『え?剛介と?』って驚いたけどさ」


 シュウはゴミ袋を持って照れ笑いを浮かべていた。

 剛介はあいなの隣に立ち、あいなの着物をじっと見つめると、しゃがみ込んで片手で何度か撫でまわしていた。


「ここら辺、汚れているね。せっかくの綺麗な晴れ着なのに、どうしたの?」

「さっきここでゴミを散らかしてた人達に蹴り倒されたの」

「ええ!?何て奴らだ。あいなちゃん、ケガは大丈夫なの?」

「大丈夫よ。正直、絡まれるのが怖かったけど、許せなかったんだもん。成人式にかまけて身勝手なことばかりして」

「そうなんだ……あいなちゃん、昔から正義感が強いところは変わってないよね」

「まあね、お父さん譲りなのかな?」


 そう言うと、あいなは苦笑いしながら着物の帯に手を当てた。


「あいなちゃん、相変わらず弁護士目指してるの?」

「そうね。今も大学に通いながら専門学校で勉強してるんだ」

「すごいよな。あいなちゃん、現役で八ツ橋やつはし大学受かったんだろ?母さんから話を聞いたよ」

「うん。まあ、たまたま受かったという感じかな?他にも三田みた大学も受かってたから、私的にはもういいやと思ってたんだけどね」

「ええ?三田大学も!?すごいな……僕、昔から勉強はまるっきりダメだったからさ。ずっと剣道をやってたから、大学の推薦入学を狙ったけど、県大会止まりでインターハイに出たわけでもないし、おまけに内申点が全然ダメだったからね。で、普通に勉強して受験したけれど、ことごとく落ちたし」

「え?じゃあ、今はどうしてるの?浪人とかしてるの?」

「浪人したかったけど、うちはそれほど裕福じゃないからね……ちょうど再募集していた北海道の私立大学にやっと引っかかって、今はそこに通ってるよ」

「北海道なんだ……東京からはすごく遠いなあ」

「でも、毎日楽しいよ。剣道も続けてるし、友達とジンギスカンパーティやったり、十勝や知床までドライブに行ったり」

「いいなあ。私も行ってみたい!剛介君とドライブに行きたいな」


 二人で仲睦まじく話す様子を、シュウは腕組みしながらじっと隣で見つめていた。

 やがて会話が途切れたのを見計らって、シュウは腕時計を指さしながら二人に語り掛けた。


「俺がこんな言うのもなんだけどさ……成人式の時間、大丈夫なのか?」

「あ、まずい!あと二十分で始まりますね」

「ええ?行かないとまずいじゃん」


 あいなは剛介の手を握ると、そのままぐいぐいと引っ張っていった。


「え?あいなちゃん、ちょっと、恥ずかしいんだけど」

「何言ってるの?急がないと!」


 あいなに手を引っ張られ、剛介は公園の中を引きずられるように走っていった。やがて剛介は苗木達の手前にたどり着いた時、何かに気づいた様子で突然両足で踏ん張りながら足を止め、二言三言話しかけると、再びあいなに手を引っ張られるままに公園の外へと走り去っていった。


『キング、良かったわね。久しぶりに剛介とお話が出来て』


『そうだよな。ずーっと離れ離れだったからな。お前が戻ってきた時には、剛介がこの町を出て行った後だったもんな』


 苗木達がにわかにざわめいていた。

 剛介が足を止めたのは、キングの植えられている場所だった。

 キングは弱ってしまった体を養生するために、数年間別な場所へ移植された。

 そして剛介がこの町を出た後、入れ替わるかのようにこの公園へ戻ってきた。雰囲気的にはまだどこか弱々しさを感じたものの、うつむいたような「しなり」がなくなり、地面にしっかりと根を張って身体も空に向かってまっすぐと伸びていた。

 そんなキングの姿を見て、以前は小馬鹿にしていた他の苗木達も、今は何も言わず、自分達と同じケヤキの仲間として受け入れているように感じた。

 堂々と聳え立つキングの姿は、かつて弱虫でいじめられ続けていたものの、周りの人達に助けられ、剣道を覚えてたくましく成長した剛介の姿に重なって見えた。

 以前は弱いもの同士で慰め合っていたように見えたが、今日は久しぶりに再会し、お互いの成長をたたえ合っているように見えた。


『剛介もキングもきっと強くなれるよ。私、信じてるから』


 幼い頃のあいなが言った言葉がふと僕の頭の中を過った。

 あいなの見立ては今の所、間違っていないと思った。


「くそっ、いいなあ、剛介は。俺に隠れて、あんなかわいい子と付き合っていたのかよ」


 シュウはため息をつきながらそう呟くと、ポリ袋を手に公園内に散らばったゴミを一つ一つ集め始めた。袋の中は、吸い殻や酒瓶、空き缶やお菓子の袋であっという間に埋め尽くされ、大きく丸々と膨れ上がっていった。


 ☆★☆★


 昼過ぎ、剛介とあいなが公園の中を歩いて戻ってきた。


「式は退屈だったけど、昔の友達に結構会えたから、楽しかったよね」

「まあね。僕は昔いじめられっ子だったし、今も当時いじめてた連中には正直あまり顔を合わせたくなかったけどな」

「でも、みんな立派になってたよ。昔はワルだったけど、今は土建屋の現場監督とか、美容師の見習いしてる子とかいたし」


 そう言うと、あいなはマンションの入口で剛介に手を振った。

 そのすぐ傍には、あいなの両親の姿があった。


「ごめんね、これから両親と一緒におじいちゃん家に挨拶に行ってくるんだ。私、しばらくこっちに帰ってなかったし、私の晴れ着姿を見たいって言うからさ」

「わかったよ。じゃあ……元気でな」

「え?剛介君、もう北海道に帰っちゃうの?」

「僕は明日帰るけど……」


 あいなはしばらく何かを考え込んでいたが、その後やっと口を開いた。


「ねえ、今日の夕方、一緒に何か食べに行かない?お酒でも飲みながら、ね」

「いいの?おじいちゃんの家に行くんでしょ?」

「おじいちゃん家は同じ市内だし、夕方までには帰ってくるよ。それより私、剛介君と色々お話したい。今まで会えなかった間の、積もり積もった話を沢山したいから」

「あいなちゃん……」

「約束だよっ。今日の夕方五時に、このケヤキの木の下で待ち合わせね!」


 あいなはそう言うと、両手を振って両親とともにマンションの中へと戻っていった。


「ふう……自分の意見でグイグイ引っ張っていくところは、昔とかわらないなあ」


 剛介はズボンのポケットから小さな電話機を取り出した。


「あれ?着信……あったんだ」


 剛介は慌てた様子で耳に電話機を当てると、その後、僕の真下に来て通話を始めた。


「あ、野々花ののかちゃん?どうしたの?え?僕?成人式で実家に帰ってるんだ。明日夕方までにはそっちに戻るからさ。ええ?明日じゃなきゃダメなの?どうして?映画なんていつだって見れるだろ?バイトがあるから明日しか会えない?もうちょっと待てないの?」


 剛介の通話を真下でずっと聞かされていた僕は、思わず耳を塞ぎたくなった。

 どうやら剛介の話している相手は、あいな以外の女性のようだ。しかも、相手は剛介が通う大学のある北海道に住んでいるようだ。


「とにかく、明日ちゃんと帰るって!明日の夜だったら大丈夫だからさ。な、約束は守るよ。え?野々花ちゃんのこと、愛してるかって?大丈夫だよ、僕を信じてよ!」


 剛介の口から思わず漏れた言葉に、僕は仰天してしまった。


『剛介、今、愛してるって言ってたよね?剛介は一体誰と話してるの?ルークさん』


 心配そうな様子で、苗木のケンが僕に尋ねてきた。


『さあ。僕たちが会ったことのない人みたいだよ』


『な、何だって?』


 僕も正直、信じたくはなかった。長らく離れていたとはいえ、あいなと剛介はこのまま順風満帆に交際を続けていくと信じていた。だからこそ、剛介の話していた言葉には、思わず耳を疑った。

 この町を離れている間もずっと剛介に思いを寄せていたあいなは、もし剛介に付き合っている女性がいることを知ったら、どう思うのだろうか?


 夕闇が西の空を赤く染め上げる頃、あいなが僕の真下へとやってきた。

 襟に綿のような毛の付いた白地の長いコートを着込み、黒いブーツを履いたあいなは、着物姿の時と違った大人びた雰囲気がただよっていた。

 あいなは白い息を吐きながら、僕の身体にもたれて陽が沈むのをじっと見ていたが、やがて剛介が姿を見せると、白い歯を見せて両手を大きく振りだした。


「剛介君!」

「ごめんね、待たせちゃって。寒かっただろ?悪いね」

「ううん。私もまだここに来たばかりだよ。さ、行こうか」


 そう言うと、あいなはコートの裾をそっとめくって、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「ミ、ミニスカート?」

「そう。ちょっとだけ脚を出してみたんだ」

「寒いんだから無理しなくていいのに」

「だって、久し振りに剛介君に会えたんだもん。大人な私を見て欲しいと思って」


 剛介はあいなの姿を見て、顔を赤らめていた。

 あいなは剛介と触れ合う位の至近距離で、寄り添うように歩き出した。

 満面の笑顔、そして楽しそうに弾む声。

 その一方で、剛介は時折笑顔を見せても、どこか作り笑いをしているように感じてしまった。

 さっきまで、剛介の通話を聞いてしまったからかもしれないけど。

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