第8章 巣立ち

第103話 待ち合わせ

 隆也がこの世を去ってから、五度目の冬を迎えた。

 あれから何事も無く年月が経ち、この公園のために尽力していた隆也の存在はこの公園に立つ僕たちケヤキの中でも、そして公園を行き来する住民達の間でも、段々忘れ去られているように感じた。


 公園の中に立ち並ぶ苗木達はすっかり大きくなった。以前は僕の足元位だった彼らの背丈は、いつの間にか僕の半分位にまで伸びていた。

 隆也が亡き後は、妻の怜奈と息子のシュウ夫妻が公園の掃除を続けていた。

 怜奈が徐々に年老いてきたので、シュウ夫妻は怜奈に無理をさせないように、必死に草刈りや落葉拾いをこなしていた。シュウは隆也が生きていた時代、公園の掃除をほとんど手伝うことも無かったが、今は家族の中心になって動いている。

 芽衣は幼い一人娘の樹里の相手もしなくてはいけないので、それほど公園の掃除に時間が割けるわけではない。そうなると、シュウがその分もこなさなくてはいけなかった。

 今日は昨日までの強烈な北風は収まり、シュウは朝早くから公園に姿を見せた。寒さしのぎのため、見るからに重たそうなジャンパーを着こみ、竹ぼうきを使って園内を掃除していた。


「くそっ、今日もゴミが多いなあ。どこの誰が捨てるんだろ?」


 最近は公園の中に平気で飲みかけの缶やびんを捨てて行く人、煙草の吸殻を捨てて行く人が増えてきている。中には僕たちケヤキの根元に袋ごとゴミを捨てて行く人、缶やびんを置き去りにしていく人もいる。僕たちは拾うことができないので、ずっと放置されたごみを見せられて、いつも嫌な気分になっていた。

 昔からこの公園で飲み食いする人達は沢山見てきたけれど、こんなにゴミが捨てられていたことは無かった。時代の変化とともに、ゴミを捨てる場所をわきまえない人が増えたのだろうか?


「どうしてこんなに捨てるんだ?親父の生きてた時だってこんなには無かったよな?」


 シュウはゴミを拾い終えると、苛ついたような表情で透明な袋の上部をしばり、片手で持ち上げるとそのまま自宅へと戻っていった。

 ケビンは、シュウが自宅の玄関の扉を思い切り閉めた音を聞いて、驚いた様子で僕に話しかけてきた。


『ねえ、ルークさん。シュウ、すごく機嫌悪そうだったよ』


『そりゃそうだよ。こんなにあっちこっちにごみを捨てられて、拾って綺麗にしてもまた捨てられてさ』


『こないだは、僕の足元に弁当の箱が沢山捨てられてたよ。おまけに食べかけのおかずがまだ残っていて、カラスがいっぱい来て、僕の枝にもカラスが集まってきて、すごく嫌だった。何とかならないのかなあ?』


 僕とルークがため息をつきながら愚痴を言い合っていたその時、苗木達が歓声をあげながら何やら興奮している様子だった。


『ねえねえ、あのお姉さんすごい!花柄の着物、かっこいい!髪の毛のかんざしもお洒落よね?』


『あのお兄さんの白い羽織り、決まってるな。髪の毛は金色だけど、それがまたカッコいいよなあ』


 苗木達は、公園を行き交う若者たちの服装を見て、興奮気味に感想を言い合っていた。男性はスーツか羽織袴、そして女性はほとんどが着物姿だった。

 毎年のこの時期になると、若者たちが着飾ってこの公園を通り過ぎて行く。

 何であんな派手な恰好をするのか、僕は当初理解できなかったが、どうやら人間の世界では、二十歳になった若者をお祝いする習わしがあるらしい。

 これからお祝いの式に向かうため、派手に着飾った若者達は続々と公園の中を通り過ぎて行った。

 彼らは賑やかに語り合い、仲間たちと所かまわず小さな電話機を片手に写真を撮っていた。その光景はとても微笑ましかったし、内心ちょっと羨ましく感じていたが、一方で、飲んでいたペットボトルを植え込みに捨てたり、煙草の吸殻を平気で地面に捨てていく者も目についた。

 折角綺麗に着飾っているのに、どうしてこんな見苦しい行動ができるのか?もう子どもじゃないのだから、もう少し自分のしていることに責任と分別を持ってほしいのだが……。

 やがて、彼らの後ろから、ものすごい轟音を立てて数台の車が公園沿いの道路へと突っ込んできた。車は僕のすぐ近くに停まると、派手ないでたちの若者たちがぞろぞろと僕の前にやってきた。

 坊主頭にサングラスをかけ、白色のスーツをまとった男、髪の毛を真っ赤に染め、黒いスーツをまとって不気味な笑いを浮かべた男、そして髪を金色に染めた体格の良いオレンジ色の着物姿の男……。

 彼らは片手に酒の瓶を持ち、公園中に響き渡る位の声を上げて大笑いしながら徘徊していた。

 男達はケビンの真下に置かれたベンチに腰かけ、仲間同士で酒瓶を回し飲み始めた。

 煙草を吸っては地面に捨て、お菓子の袋をまき散らし、最後には飲み終えた瓶を真下に投げ捨てて行った。


『ルークさん……こいつら、ひどすぎる。酒臭いし、こんなに散らかされて。ちくしょう!くやしいよぉ』


 ケビンは男達の残したゴミを見て泣きわめいていたが、男達はゴミには気にも留めず、そのまま公園の中をさまよい始めた。行き交う女性には肩に手を回しながら大声で話し掛け、男性には睨みをきかせて威嚇し、公園内が一気に騒然とし始めた。


「ちょっと、公園の中に捨てたものはちゃんと自分で拾って持ち帰りなさいよ」


 その時突然、後ろから女性の甲高い声が響き、男たちは仰天した様子で後ろを振り向いた。


「誰だよ、おめえは」

「さっき自分で捨てたものを拾って持ち帰るの。私が言ってること、分からない?」


 白地にたくさんの花柄をあしらった着物をまとった女性が、腰に手を当てて男達をじっと睨んでいた。


『あいなちゃん……?』


 ナナが声を上げて驚いていた。僕はじっと目を凝らして女性を見ると、後ろに立つ女性は確かにあいなだった。僕が最後にあいなを見たのは彼女がまだ小学生の時で、もうおぼろげな記憶しかなかったし、髪型が昔と違って顔の真下までの長さのショートカットだったので最初は判別ができなかったが、正義感溢れるところは、昔のままであった。


『ホントだ!帰ってきたんだね。しばらく見ない間に立派になったもんだな』


 あいなは腕組みをして、男たちの顔を睨んだ。


「ほお、近くで見るとなかなか美人だな?これから俺たちと一緒にドライブにいかないか?いっぱい楽しませてあげるからさ」

「そうそう。俺たちは今日でめでたく大人になったんだから、一緒に『大人の遊び』をしようぜ。ウヘヘヘヘ」


 男達は不気味な笑い声を上げながら、徐々にあいなに迫ってきた。


「大人だって?あんた達は大人でも何でもない。大人だったらもっと分別があるし、ゴミはちゃんと拾うし、持ち帰るし」

「うるせえな。黙ってりゃ言いたい事言いやがって。ふざけんなよ、コラ」


 男の一人が真横から足を振り上げ、あいなの膝の辺りを蹴り飛ばした。

 あいなは膝を抱えて、そのまま地面に倒れ込んだ。

 男達はしゃがみこみ、あいなの髪の毛を掴むと不敵な笑みを浮かべた。

 周りを取り囲むように沢山の若者たちがいたが、怖がって誰も手を出そうとしなかった。


「あ、あんた達のやってることは、暴行罪よ!わかってるの!?」

「はあ?ぼうこうざい?ぼうこう炎?ギャハハハ。ちゃんとオシッコは出るから安心しろや。何なら、今ここでオシッコしてやろうか?」


 白いスーツを着た坊主頭の男が、ズボンのチャックを下げ始めた。


「お姉さん、そんなに俺のオシッコが見たいなら、すぐ目の前で見せてやるよ」


 周りにいた男達は手を叩いて笑いながら、真上からあいなを見下ろしていた。

 坊主頭の男はズボンを下げると、あいなの目前で放尿しようとしていた。


「やめろ!」


 その時、男達の真後ろから大きな声がした。

 男達が振り向くと、そこにはジャンパーのポケットに手を突っ込んで立つシュウの姿があった。

 シュウは苛立った様子でサンダルの音を立てながら男達に近寄ると、男達の目の前に立ちはだかり、鬼のような形相で睨みつけた。


「お前たちか?最近公園にゴミをまき散らしてるのは」

「最近?俺たちは今日初めてここに来たんだけど」

「黙れ。さっきから騒がしいから玄関から見てたんだ。お前らが酒の瓶やらお菓子の袋やらを捨ててたのを、俺はちゃーんと見てたんだぞ」


 男達の間からは、「見られたのか」という声も聞こえたが、やがて坊主頭の男がシュウの前に立つと、へらへらと笑いながら口を開いた。


「そうだよ?別にいいじゃん。俺たちにとって今日は特別な日だしさ。今日ぐらいはとことん羽目を外しても大目に見てくれるかなあ?な?おじさん」


 シュウは、腹を抱えて笑い出した。


「アハハハ、お前らは今日から一端の大人として認められたわけだろ?で、大人が平気でゴミをポイ捨てしていいのか?自分勝手な行動で周りに迷惑をかけていいのか?勘違いも甚だしいな」

「な、なんだと。さっきから聞いてりゃ、てめえ!」


 男達はいきり立ち、シュウの元へと顔を近づけてきた。


「あの、私のことはいいから、早く逃げて下さい!」


 危険な雰囲気を感じ取ったあいなはシュウの背中に向かって叫んだが、シュウは一歩も引かず、男達を睨みつけた。


「悔しかったら、俺の前で大人の自覚を見せてみろや」


 そう言うと、シュウはポケットから透明なゴミ袋を取り出し、男達に手渡した。


「今すぐ、俺の見てる前で自分たちの捨てたゴミを集めろ。ケンカの相手なら、その後で何時間でもなってやるから」

「グッ……」


 男達は歯ぎしりをしながらシュウを睨んでいたが、やがてゴミ袋を地面に投げ捨てると、無言のまま公園から立ち去り、車に乗り込んでいった。


「ちょっと!あんた達飲酒運転じゃないの?待ちなさい!」


 あいなは大声で呼び止めようとしたが、男達は爆音を立ててエンジンをふかし、猛スピードで立ち去っていった。


「しょうもないな、あれで大人だなんて良く言えたもんだ」


 シュウは呆れた様子でゴミ袋を拾うと、男達が投げ捨てたゴミを拾い集め始めた。


「手伝いましょうか?」

「いや、いいよ。お姉さんはこれから成人式に出席するんだろ?早く行かないと始まっちゃうぞ」

「いえ。会場に行く前に、ここで待ち合わせの約束をしてるんです」

「へえ、誰と?高校の時の友達とか?」

「いえ、剛介っていう幼馴染の男の子です」

「え?剛介……!?」


 シュウはあいなから出た名前を聞いた時、驚きのあまりゴミを集めていた手がピタリと止まった。


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