第100話  君と過ごした日々

 今年も秋が深まり、僕たちの枝に付いている葉は軒並み北風に飛ばされてしまった。枝と幹だけになった僕たちは、寒さに凍えながら容赦なく吹き付ける北風にじっと耐え続けていた。

 こんなに寒いにも関わらず、今夜も剛介は竹刀を片手に僕の前に現れた。

 そして、まだシュウが姿を見せていないにも関わらず、自主的に素振りを始めた。


『偉いよなあ、剛介。昔のひ弱な剛介とは全然違うよな』


『県大会では全然勝てなかったから、もっと強くならなくちゃダメだって思うようになったみたいだよ』


 苗木達がささやく中、ようやくシュウが竹刀を手に公園の中に現れた。


「悪い、遅くなっちまったな。さ、練習始めようか」

「はい、シュウさん」


 シュウと剛介は向かい合って一礼すると、お互いの竹刀がぶつからない程度に離れて素振りを始めた。寒い夜にも関わらず二人の額には汗がじわっと滲んでいた。


「疲れたな、剛介。ちょっと休もうか」

「そうですか?僕はまだまだできますけど」

「俺はもう若くないんだよ。ここからは剛介一人でがんばれよ」

「じゃあ、もう少しやります」


 座り込むシュウを横目に、剛介は一人で黙々と素振りを再開した。

 その時、シュウのズボンのポケットから、けたたましい音が鳴り響いた。

 シュウは慌ててポケットから長方形の小さな電話を取り出し、耳に当てて話を始めた。


「あ、おふくろ?どうしたの急に」


 次の瞬間、紅潮していたシュウの顔が突如青ざめだした。そして、電話を持つ手が徐々に小刻みに震えだした。


「わかった、とりあえずすぐ行くよ!」


 シュウは電話を再びポケットに仕舞い込むと、剛介の元へと駆け寄った。


「シュウ、悪いけどさ。今日は練習を終わりにしたいんだ。俺、急用が出来て帰らなくちゃいけない。シュウも受験勉強があるんだから、もう家に帰れよ」

「え?どうしたんですか、突然」

「とにかく、俺は帰る。お前も今すぐ家に帰れ!いいな?」


 シュウは鬼の形相で剛介を叱り飛ばした。


「わ、わかりました。じゃあ、これで失礼します」


 剛介はシュウの表情を見て驚き、慌てて一礼して竹刀を収め、マンションへと帰って行った。一方のシュウは一礼もしないまま、駆け足で自宅へと去っていった。


『どうしたんだ?シュウ……様子が変だぞ』


『僕もそう思ったよ。ルークさん、シュウに一体何があったんだろうね?』


 シュウが自宅の玄関に入ってしばらくすると、玄関の前に赤いランプを回転させながら一台の白い車が到着した。

 白衣をまとった人達が玄関をくぐり、入れ替わるようにシュウと怜奈、そして樹里を背負った芽衣が姿を現した。

 やがて、白衣の人達が前と後ろから人間の載ったベッドを支えながら、後部の荷台の上にゆっくりと搬入した。ベッドを載せた後、白い車は甲高い音を鳴らしながら赤いランプを回転させ、遠くへと走り去っていった。シュウは自分の車に乗り込み、白い車の後ろを追いかけていった。車を見送る怜奈は、樹里の頭を撫でながら慰めているように見えた。


『ルークさん、大変だよ!隆也さんが……白い車に乗せられてどこかに連れていかれたみたいだよ』


 玄関のすぐそばに立っているケビンは、今の始終をしっかりと見届けていたようだ。


『今の車……以前、隆也の両親が病気になった時もここに来た気がする。もしかしたら、隆也に何かあったのかもしれないな』


『ええ?じゃあ、ひょっとしたら隆也さんは……?』


『覚悟はした方がいいかもな』


『そ、そんな!』


 ケビンの悲痛な声が夜空に響いた。他の木たちはどれだけ覚悟が出来ているかは知らないが、僕は隆也の病状の悪化をここまでつぶさに見てきたので、いずれこうなる時が来るのはある程度覚悟はできていた。


★★★★


 翌朝、まぶしい朝の光が公園の中を包み込むように照らし出す中、エンジン音を立てて一台の車が公園の傍の道路を速度を上げて通り過ぎて行った。

 車はブレーキ音を立てて隆也の家の前に停まると、シュウが降り立ち、シュウに急かされるように家族たちが次々と車に乗り込んでいった。その時、僕の耳には心なしか、誰かの泣きじゃくる声が聞こえた。

 車が去った後、一番近い場所に立っていたケビンが突然樹液を流しながら嗚咽し出した。


『ルークさん……隆也さん……死んじゃったんだって』


 苗木達はケビンの言葉を聞くや否や、驚きとともに泣き崩れ、公園の中はあっという間に悲しみに包まれていった。


『隆也さん!どうして……』


『今まで俺たちのことを、ずっと気にかけてくれていたのに』


『隆也さん……あのおちゃめな笑顔を見れなくなると思うと、寂しくて涙が出ちゃう』


 いつかはやってくると思っていたこの日。

 僕自身は覚悟はできていたが、隆也の姿をもう見れなくなるという現実をどこかで受け止められずにいた。

 ひょっとしたらまだ生きてるんじゃないか?誰かが勘違いして「隆也が死んだ」という噂話を広めてしまったのではないか?……そう信じている自分がいた。


 その晩、隆也の家の前には大きな花輪と提灯が掲げられ、黒い服をまとった人たちが次々と玄関をくぐっていった。

 彼らは一様に表情がさえず、ハンカチで何度も目元をぬぐいながら玄関をくぐっていった。

 一方、公園の中では剛介が竹刀を手に僕の手前に立っていた。

 剛介は隆也の話をまだ知らない様子で、いつものように真剣な表情で竹刀を振り続けた。その時、黒いスーツを身に着けたシュウが、公園の向こう側から剛介の元へと近づいてきた。


「あれ?シュウさん、どうしたんですか?その服」

「俺の親父が……隆也が……今朝、死んだんだよ」


 シュウから返ってきたそっけない答えを聞いた剛介は、あまりにも唐突に突きつけられた恩師の死に、思わず竹刀を地面に落とし、そのまま金縛りにでもあったかのように硬直してしまった。


「どうして……そんな……隆也さんが」

「まあ、最初は受け入れられないよな。でもな剛介、人間はいつかは死ぬんだよ。そのことを肝に銘じ、悔いのないように生きていくことが大切なんだ」


 それだけ言うと、シュウは剛介の竹刀を拾い上げ、剛介の手の上にそっと置いた。


「親父は安らかに死んでいったよ。この世に何も悔いが無かったかのような顔だった」


 それだけ言い残すと、シュウは時計に目を遣り、慌てた様子で公園の外に向かって足早に歩き出した。


「シュウさん!僕は一体、どうすれば……」

「剛介、お前が親父のためにできることは、剣道の腕をもっと上げることだ。親父は生前、お前が市大会で準優勝したことをものすごく喜んでいたんだ。お前に剣道を教えて本当に良かったって言ってたよ。俺、しばらく葬式の準備で忙しいからここに来れないけど、お前は一人でもちゃんと練習するんだぞ。強くなって今以上の結果を出すことが、親父になって何よりもの供養だ」


 シュウはそう言うと、少しだけ笑顔を見せて片手を振った。

 剛介は去っていくシュウに向かって頭を下げたが、シュウの姿が見えなくなると、竹刀を持ったまま声を上げて泣きじゃくった。


「隆也さん……どうして……隆也さん」


 竹刀を持たない方の手で何度も涙を拭うと、剛介は声を上げて泣きながら、マンションへと歩き去っていった。


★★★★


 その後数日間、シュウ一家の姿は全くみかけなかった。玄関に提灯が灯っているものの、葬儀は自宅以外のどこかでやっているのだろうか?

 そんなある日、黒い服を着たシュウと怜奈が、白く大きな箱を手に僕たちの方へと近づいてきた。久しぶりに見た二人の顔は、心なしかやつれているように見えた。


「ごめんね、報告が遅れて。お父さん……隆也が、病気が悪化して天国に行ってしまったのよ」


 そう言うと、シュウは箱に包まれた布をほどき、箱の中をそっと僕に見せてくれた。

 そこには、今まで見たことのない白い破片がたくさん入っていた。


「これね、お父さんの骨だよ。お父さんの体はもう火葬場で焼いて、骨だけになっちゃった。お父さんね、遺言で『俺が死んだらすぐ骨にしろ、そして、思い出の詰まったこの公園に撒いてくれ』って言ってたんだ。さすがに撒くことはできないけれど、せめてあなた達には、隆也の最後の姿を見せてあげたいって思ったの」


 僕は初めて人間の骨を見た。あんなに大きな隆也の身体が、最後には骨だけになってしまうんだ……。僕は隆也の骨を見続けるうちに、隆也と過ごした日々の思い出が徐々に蘇ってきた。


 時には悩み事の相談相手に、そして時には剣道の練習相手になっていたこと。

 地震で大きな傷を負い、伐採されそうになったおじさんを必死に守ろうと、あらゆる手段を講じて奮闘していたこと。

 幼い頃から兄弟のように慕ったおじさんとの涙の別れを惜しんだあの夜。

 一人息子のシュウに、付きっきりで一生懸命剣道を教えたこと。

 拓馬達の放火で僕たちが焼け出されるところを必死に消火し命を助けてくれたこと。

 公園の改築計画で伐採されそうになった時、身を挺して必死に守ってくれたこと。

 そして、弱虫の剛介をまるで自分の孫のように面倒を見て、剣道を教え、いじめっ子から身体を張って守ってくれたこと。


 そのすべてが、僕の中で走馬灯のようによぎっていた。

 僕は隆也の幼い頃を知らないので、その頃を知るおじさんならば、僕よりももっと沢山、隆也との思い出があるかもしれない。

 昔の思い出を思いめぐらすうちに、僕の樹皮の隙間から少しずつ樹液が湧き出していった。


「あら、このケヤキ、樹液がいっぱい出てるわね」

「ホントだ。きっと泣いてるんだなコイツ」

「泣いてるの?」

「俺、親父にそう教わったんだ。ケヤキにも人間と同じように感情があるって」

「そうなんだ……」


あんなに元気いっぱいだった隆也が骨だけになってしまった姿を見て、僕はそれまで我慢していたものをこらえることが出来なくなった。

ありがとう、隆也……ここにいるケヤキ達、そして残された家族みんなが君に感謝しています。これからも時には僕たちのことを思い出して、遠い場所から温かく見守って下さいね。

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