第81話 悪夢のクリスマス・イブ

 暑かった日々が終わり、秋の優しい日差しが降り注ぐ季節を迎えたと思いきや、あっという間に僕たちの枝についていた葉が全て地面に落ち、強い北風が吹きつけて小雪が舞う季節になっていた。

 剛介は相変わらず剣道に打ち込んでいた。試合ではなかなか勝てないようであるが、隆也がそのたびに落ち込む剛介を励まし、剛介も途中で投げ出すことなく、毎晩公園での練習を続けていた。

 同級生のあいなとのお付き合いも、ここまで順調に続いている様子だった。

 来年の春に都会の中学校を受験するため勉強で忙しい様子だが、折を見ては剛介と一緒にデートに出かけており、二人が近い距離で肩を並べて公園を歩く姿を何度も目にした。


 夕方、いつものように下校時刻になり、小学生たちがランドセルを背負いながら、楽しそうに会話をしながら僕たちの方へとぞろぞろと押し寄せてきた。


「今日で二学期もおしまいだね。俺、家族とスキーに行くんだ」

「私はディズニーランドにカウントダウンに行くんだよ」


 どうやら明日からは学校が長い休みに入るようだ。しばらくの間、にぎやかな登下校風景を見れなくなるのは少し寂しいけど、彼らにとってはこれからの休みが楽しみだろうと想像した。

 その時、剛介があいなと一緒にこちらへと歩いてきた。最近は一緒に帰ってくることが多く、僕たちの想像以上に彼らは仲睦まじくなっている様子だった。


「ねえ剛介君、冬休みはどこか出かけるの?」

「ううん、どこにも。剣道の練習くらいしかやることがないよ」

「じゃあ、今度のクリスマスイブ、一緒にお出かけしない?」

「え?ク、クリスマスイブに?」

「うん。『グリズリー』って知ってる?アメリカの映画で、男の子が一人で熊と戦う映画なんだけど、友達がスリルがあってすごく面白いって言ってたの。私、見に行きたくて。ね、一緒に行こうよ!」

「い、良いの?僕と一緒に?」


 するとあいなは、嬉しそうに大きく頷いた。


「今、お父さんが出張でしばらく家にいないの。お父さんは、もうすぐ試験だからって最近私が剛介君と出歩くことにあまりいい顔してないんだけど、今度のクリスマスは家にいないから、チャンスだと思ってね」

「お母さんは?何も言わないの?」

「お母さんは、来年にはお別れするんだから、今のうちに剛介君と思い出を作りなさいって言ってくれるんだ。お母さんには相談してOKもらってるしさ。ね、行こうよ」


 剛介はあいなの提案を聞いて、驚きのあまり顔が紅潮している様子だったが、しばらく考え込んだ後、あいなの方を向いて大きく頷きいた。


「うれしい!じゃあ、クリスマスイブの日の午後一時に、ここで待ち合わせね。楽しみにしてるね!」


 あいなは満面の笑みを浮かべながら剛介に両手を振ると、足早にマンションへと駆け込んでいった。剛介はまだ現実を受け入れられないのか、信じられない様子で一人僕の前で突っ立っていた。


『剛介、やったな!クリスマスに大好きな女の子とデート!こりゃ最高の思い出になるな』


『おめでとう、剛介君。あいなちゃんと一緒に、恋の炎を燃やすのよ!』


 苗木たちからは歓声が上がっていたが、その時、ケビンが何やら心配そうな声で僕に問いかけてきた。


『ねえ、あの子達、何やらよからぬことを企んでるみたいだよ』


 ケビンの声を聞き、僕は目を凝らすと、数人の男の子達がケビンに隠れるように剛介の姿を見続けていた。


「あいなの父さん、出張中で居ないってさ。これはチャンスだな、日向ひゅうが

「ああ、剛介のやつ、最近あいなと一緒に調子に乗ってるからさ。正直ムカつくんだよね。お前もそう思うだろ、東吾とうご?」

「うん。徹底的にやっつけてやろうぜ。仲間にも伝えとけよ」

「お前もな。剛介もあいなも、痛い目にあわせてやるぜ」


 遠目で分かりにくかったが、目を凝らして見た限り、あの二人は以前、学校からの帰り道に剛介に自分達のランドセルを背負わせ、袋叩きにしていたのをかすかに覚えていた。おそらく、剛介を長年苦しめてきたいじめっ子グループの子達だろう。


『ルークさん、まずいよ。このままではせっかくのクリスマスが』


『ああ、僕たちが声を出せるなら、剛介に警告を送りたいけど……』


 ★★★★


 白く重たい雲が空を覆う寒い日、剛介はジャンパーに細身のズボンで、ちょっぴりおしゃれに着飾って公園の中へとやってきた。


「待った?ごめんね、寒かったよね?」


 白い息を吐きながら、あいながマンションの玄関から小走りで剛介の元へとやってきた。短いブーツを履き、白いコートにピンクのマフラーで可愛らしく着飾ったあいなは、小学生とは思えないほど大人っぽく感じた。

 あいなは剛介の手をそっと握ると、剛介は照れくさそうにあいなの手を握り返した。肩が触れる位の距離で、二人はゆっくりと町の中心部の方向へと歩き出した。


『すごい!あいなちゃんは相変わらず積極的だけど、剛介もやるなあ』


 苗木たちの盛り上がりが最高潮になる中、キングだけはずっと沈黙を守っていた。

 その時、キングはいつものように口ごもりながらも、まるで体中から何かを絞り出すかのように語りだした。


『剛介、あぶない……本当に、気をつけて』


 警告めいた言葉を発するキングの後ろで、少年達が四方八方から続々と公園の中に集結し始めていた。今のキングの言葉が、剛介に届いているといいのだが……。


 辺りが徐々に暗くなり始めた頃、ようやく剛介とあいなが公園の中に姿を現した。二人の手は、出かける前よりもしっかり固く握られていた。

 そしてその表情は、デートを満喫した後の満足感が漂っていた。


「楽しかったね、映画。友達に聞いていたよりも面白かったなあ」

「あの熊、手強かったね。何度倒しても起き上がって襲い掛かってくるんだもん」


 二人は僕の目の前に立ち止まると、剛介は

「僕はこれで帰るね。今日は楽しかったよ」

 と言って笑顔で手を振った。

 あいなもにこやかに手を振り返したが、しばらくすると、立ち去ろうとする剛介の目の前に突如ぴょんと飛び出し、唇を目の前に突き出した。


「剛介君」

「え?ど、どういうこと?」

「キスしたいの……。ダメ?」

「あいなちゃん……」


 あいなが剛介に少しずつ唇を近づけようとしたその時、あいなの後ろから何者かが肩に手をかけ、そのままあいなの体は数人の少年達にに押さえつけられた。


「だ、誰だ、お前らは!」

「誰だ?見て分かんないのかよ?」


 少年達はにやけた顔で、小馬鹿にしたような口調で剛介に言い返した。


「日向に、東吾?」

「そうだよ。それ以外にも、お前も知ってる顔がいっぱいいるだろ?いつも学校でお前に蹴り入れたり、ぶん殴ったりしてる奴らを全員連れてきたんだ。喜べよ」


 あいなの体を掴む数名以外の少年達は、じわじわと剛介に近寄り始めた。

 彼らは凶器こそ持っていないが、小学生にしては体格が良く、素手で戦ったら剛介が苦戦しそうなのは僕が見ても分かった。


「な、何するのよあんた達。私たちに手を出したら、お父さんが黙ってないわよ」

「ふーん。あいなのお父さん、今、この町にいないんだろ?俺、知ってるもんね」

「え?ど、どうしてそれを?」

「お父さんがいない時のあいななんて、正直チョロいわ。あ、それよりも、竹刀を持ってない剛介はもっとチョロいか。ギャハハハハ」

「お、お前ら……!」


 剛介は拳を握りしめた。その手は僕が見ても分かるほど強く震えていた。


「さ、どうした、かかってこいよ」


 剛介は地面を強く蹴り、猛然と走り出してあいなを掴む少年達に殴り掛かろうとした。


「あいなちゃんに、手を出すな!」


 すると、あいなの目の前に別の少年が立ちはだかり、足を振り上げて剛介の脇腹に強く蹴りを入れた。剛介はお腹を抱えたまま座り込むと、別の少年が剛介のジャンパーを掴み、頬を殴った。地面に倒れ込んだ剛介を、さらに数人の少年達が踏みつけ始めた。


「ねえ、アホなの?剛介って。剣道なんてやってたって、竹刀が無ければ何の役にも立たねえんだよ。俺たちみたいに、空手や柔道、ボクシングでも習ってないと、永遠に勝てねえぞ、ギャハハハハ」


『剛介……くそっ、俺たちには何もできねえのかよ!』


『嫌だ、私もう見てられない。ルークさん、何とかできないの?』


 壮絶なリンチを受ける剛介を見て、苗木たちの嘆く声が聞こえてきた。

 彼らの気持ちは分かるが、ケヤキである僕たちには、剛介やあいなが少年達に殴られているのを黙って見届ける以外は何もできることはない。こういう時には、自分たちの存在を本当に情けなく感じる。

 その時、公園の端から、竹刀を持った隆也が、いつものように剣道の練習にやってきた。不気味にサンダルの音を響かせながら少年達に近づくと、隆也は目を丸くして驚いた。


「あれ?どうした、剛介!」

「あ、隆也さん。僕……」


 地面に横たわり、目の上が腫れ、鼻から血を流している剛介を見下ろし、隆也は全身を震わせ、鋭い目つきで少年達をにらみつけた。それを見て、剛介を踏みつけていた少年達の動きがぴたりと止まった。


「何だ、おまえらは!俺の大事な剛介に、何しやがったんだ!」


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