第82話 心くじかれて

 鬼のような形相で叫ぶ隆也を見て、いじめっ子達は動きを止め、しばらくの間隆也を凝視した。

 隆也は片手に持った竹刀を左右に振ると、剛介の上に足を乗せていた男の子達に襲い掛かった。


「お前ら、剛介に何しやがったんだ?それに、あいなちゃんにも手足を押さえつけて、何をやろうとしていたんだ?」


 隆也は、竹刀をいじめっ子グループのリーダー格である日向の喉元に突きつけると、他の男の子達は震え上がりながら、徐々に後ずさりし始めた。


「お、俺たちは何もしてないよ。剛介が俺たちに殴り掛かって来たから、俺たちも殴っただけだよ。悪いのは、剛介だから」

「お、お前ら……!」


 剛介は、悔し涙を流しながら握りこぶしを震わせていた。


「おい、剛介の顔を見ろ。涙流してお前らの顔を見てるぞ」


 隆也は竹刀を日向の喉元に突きつけたまま、剛介の顔を見るよう促した。


「何でウソを付くんだ?そして、俺の大事な教え子を、寄ってたかってこんなボコボコにしやがって」

「だ、だって、最近の剛介、生意気だから……」

「生意気だあ?だから殴っていいのか?」


 隆也は竹刀を手放し、地面に置くと、剛介の背中を踏みつけていた日向を両手で地面へ突き飛ばした。

 日向が倒れ込むと、日向と一緒に剛介を踏みつけていた少年の胸倉をつかみ、日向の真上に突き飛ばした。


「す、すげえなあのジジイ。竹刀使わないで、素手で次々とやっつけてるよ」


 少年達は隆也の気迫と容赦ない攻撃に震え上がっていたが、その時、グループの中でも体格のいい東吾が隆也の真後ろに立ち、隆也につかみかかろうとした。

 隆也は東吾の動きにすぐ気づいたようで、後ろを振り向くと両手で東吾の体を押さえつけた。


「ぐぐ、お前、太りすぎだな!ちっとはダイエットしろよ!女にもてねえぞ」


 東吾と隆也は両手を組むと、にらみ合いながらお互いの体をぶつけあった。

 東吾は小学生と思えない力で隆也の体を斜めに倒し始めた。


「すげえぞ東吾!そのままやっちまえ!柔道の市大会優勝したお前なら余裕だろ?」


 少年達の歓声が上がる中、隆也は歯ぎしりをしながら東吾の押し出しに必死に耐え忍んでいた。そして時間が経つにつれ、東吾の方が疲れ始めたのか、心なしか体がふらつき始めていた。

 その時、隆也は東吾の後ろに回り、バランスを失った東吾の背中を思い切り突き飛ばした。


「ぎゃあああ!」


 地鳴りとともに、東吾は地面に倒れ込んだ。

 東吾が倒れたと同時に、少年達は蜘蛛の子を散らすように四方八方に逃げて行ってしまった。


『あれ?何なんだ。あの子、さっきから携帯電話をこっちに向けているけど』


 僕はケビンの声に気づき、逃げていく少年達の姿をじっと目で追うと、確かに一人の少年が、遠くから携帯電話をこちらにずっと向けていた。携帯電話をこちらに向けているのは、一体何の意味があるのだろうか?

 隆也に倒された少年達は、やがて自力で起き上がり、「おぼえてろ!」と唸る様に言いながら、公園から出て行った。

 公園には、血だらけで地面を這う剛介と、少年達に長い時間拘束され、恐怖のあまり膝を抱えて地面に座り込むあいなの姿が残っていた。


「隆也さん……ごめん。僕、何もできなかった」

「バカ。俺、約束しただろ?お前に何かあった時には、助けに行くって」

「だけど、あいなちゃんを守れなくて、それが何より悔しくて」


 剛介は血まみれの顔をくしゃくしゃにしながら泣き出した。

 公園中に響く声で泣き続ける剛介を、隆也はそっと抱きしめた。


「さ、今夜は遅いから。俺がお前らを送り届けるよ」


 そう言うと、隆也は剛介の手を引いて立ち上がらせ、続いてあいなの所へ向かうと、しゃがみこんで二、三言話しかけ、手を掴んでゆっくりと体を起こしてあげた。隆也は両手で二人それぞれの手を掴んだまま、マンションの中へと吸い込まれるように入っていった。

 皆が居なくなり、静けさの戻った公園に、空からちらほらと小雪が舞い始めた。


『さんざんな結果になっちゃったね。剛介にあいなちゃん、かわいそう」


『これで二人の関係が冷え込まなければ良いけど……』


 苗木たちは、相変わらず身勝手な噂話で盛り上がっていた。

 雪は次第にボタン雪になり、あっという間に公園を白く包み込んだ。僕たちの枝も、剛介の血で汚れた地面も、白く染め上げた。


 ★★★★


 新しい年を迎えたが、この冬は特に寒く、連日のように雪が舞い、凍てつくような風が吹きつけていた。

 人間達は家の中で寒さも知らずにぬくぬくと暮らしているんだろうけど、僕たちは表でこの寒さに耐えなくちゃならない。逃げたいと思っても逃げられない運命なのが、僕たちの辛い所である。

 そういえば、剛介もあいなも、あの事件以来この公園に姿を見せていなかった。単にこの寒さの中、外に出たがらないせいなのか、それとも、二人の関係が冷え切ってしまったのか。


『あれ?ルークさん、あいなちゃんだよ。お父さんとお母さんと一緒だよ』


『本当だ!あいなちゃん、身体の調子はもう大丈夫なのかな?』


 僕は両親に挟まれるように歩くあいなの姿をじっと見つめた。あいなの表情は心配していたほど悪いようには見えなかった。父親である弁護士は、長い出張からようやく帰ってきたようだった。


「あいな、初詣でしっかりお祈りしなくちゃね。あと一ヶ月で試験なんだから」

「うん」


 あいなの母親が語り掛けると、あいなは嬉しそうに頷いた。しかし、あいなの右隣に立つ弁護士は、怪訝そうな表情であいなに問いかけた。


「僕はもう出張が終わったし、あいなのそばにいることができるようになったよ。あいな、しばらくの間、お出かけする時は僕たちが一緒じゃないとダメだからね。一人きりでは、何されるか分からないからな」

「うん……」

「剛介君と一緒だとしても、ね。残念だけど、彼ではあいなを守れないからな。あいなの気持ちはわかるけど、しばらくはお父さんとお母さん以外の誰かと一緒に外出するのは禁止だ。学校の登下校も、安全のために車で学校の近くまで送るからね」

「うん……」


 弁護士である父親は、あいなを特に心配している様子だった。日に日に迫る中学受験に向けて気が気じゃないのだろう。さらに、あの事件に巻き込まれて以来、あいなへの拘束はさらに厳しくなったに違いない。

 あいなは元気になったとはいえ、その表情に剛介と一緒にいる時のようなはつらつさは感じられなかった。


 その日の夕方、太陽がまばゆく赤い光を放ちながら徐々に沈み始める頃、顔に絆創膏を貼った剛介が、久し振りに竹刀を持って公園の中に姿を見せた。

 凍り付いた雪に足を取られつつも、僕の前で一礼すると、横顔を夕陽に照らされながら何度も素振りをした。


「おう。久しぶりに来たな。元気だったか、剛介」


 サンダルを履いた隆也が、片方の手で竹刀を、もう片方の手をジャンパーのポケットに突っ込んだまま公園に姿を見せた。


「隆也さん、あけましておめでとうございます。こないだは本当に、ありがとうございました」


 剛介は竹刀を袂に収めると、隆也の元へと歩き、軽く一礼した。


「なに言ってんだよ。以前もお前と約束しただろ?お前がいじめられたら、俺が助けに行くって」


 隆也は照れくさそうに笑いながら手を振った。そして、竹刀を手にすると、剛介に肩を並べて一緒に素振りを始めた。


「ねえ隆也さん」

「何だい?」

「僕、あいつらに、剣道なんてやるだけ無駄だって言われたんだ。けんかしたら、空手や柔道とか習ってる奴らに勝てないって」

「へえ、面白いことを言うなあ」

「でも、こないだの隆也さんを見てたら、剣道してたって勝てるじゃんって思った。だから、まだまだ強くなるために練習しなくちゃダメだって思ったんだ」


 剛介はそう言うと、照れ笑いを浮かべた。


「その通りだよ、剛介。剣道だって立派な武道だ。きちんと練習すればちゃんと力がつく。今は負けていても、いつか勝てればいいじゃないか」


 そう言うと、隆也は竹刀を降ろし、大きなあくびをした。


「今日は寒いから、これで終わるぞ。じゃあな、剛介」

「おやすみ、隆也さん」


 練習を終え、笑顔で別れた剛介と隆也。

 その時、赤い光を回転させながら、白と黒に塗装された車が公園沿いの通りに現れた。新年早々何とも物騒であるが、一体何があったのだろうか?

 車は二台とも、隆也の家の前に停まった。

 そして、制服を着た警察官が隆也を呼び止め、何やら聞き込みを始めた。

 隆也は怒りに満ちた声で警察官の問いかけに反論していたが、やがて警察官は隆也を車の中に乗せ、そのまま遠くへと走り去っていった。


『え!隆也、警察に連れて行かれちゃったよ?』


『隆也さん、何か悪いことをしたの?どうしてなのか理解できないよ』


 苗木たちからは、隆也の不可解な連行に疑問の声が続出した。

 隆也はこれまで何度か警察に連れて行かれたが、今度は一体何があったのか?

 僕たちは、赤いランプを回しながら遠くに去っていく車をただ見守るしかなかった。


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