第80話 真夏の夜のデート
今年もこの公園に、うだるような暑い夏がやってきた。
蝉たちが朝からジリジリと金切り声を上げながら僕たちの幹に止まり、耳の中が引っ掻き回されるようで不快極まりない。
夏休みになり、登下校のため公園内を行き来する小学生たちの姿は見られなくなったが、今日は久しぶりに公園をそぞろ歩く子ども達の姿を多く見かける。
友達と楽しそうに話をしながら、白く大きな綿が付いたお菓子やソーセージなどを美味しそうに食べていた。どうやら、今日は駅前で夏祭りが行われているようである。
その時、沢山の小学生たちの中に交じるかのように、剛介が姿を見せた。
剛介は夏休み中も次の大会に向けて夜の剣道の練習を続けているが、今日は小奇麗なチェックのシャツにショートパンツ姿で、野球帽をかぶり、いつもの剛介とはどこか雰囲気が違うと感じた。
しばらくすると、マンションの玄関から、花柄のノースリーブのワンピースを着込んだあいなが姿を現した。リボンのついた麦藁帽子を被り、こちらもいつものあいなとは少し雰囲気が違うように感じた。
「ごめん、暑い中待たせちゃってごめんね」
「気にしないで。そんなに待ってないし」
「こないだのテストの成績が悪かったから、ちゃんと勉強しないとお母さんがなかなか外に行くのを許してくれなくて」
「テスト?」
「あ、塾のテストのことだよ。ごめんね、剛介君は塾に行ってないもんね」
あいなは剛介のすぐ隣に立つと、二人仲良く並んでゆっくりと歩き始めた。
「今日は楽しみだね、夏祭り。美味しいものいっぱい食べようね」
あいなは、剛介の目の前に可愛らしい花柄のポシェットを見せながら、にこやかな表情を見せた。
「うん。金魚すくいとか射的もしたいな。楽しみだね」
どうやら二人は、これから一緒に夏祭りにデートに行くようだ。確か二人ともまだ小学六年生なので、二人だけで出かけることについては色々心配してしまうが、あいなとデートできる剛介を何とも羨ましく感じた。
『すごいよね剛介。あんなにかわいい彼女ができて、しかもこれから二人だけでお出かけ?あのいじめられっ子のみじめな剛介から想像がつかないよ』
『剣道で心も体も立派になったからね。あいなちゃんが惚れるのも理解できるなあ』
『あいなちゃんも剛介も、しっかり勝負服でお出かけしてるね。きっと二人ともこのデート、本気モードだよな』
苗木たちは相も変わらず、想像を豊かに膨らませながら感想を述べあっていた。
そんな僕も、つい最近までいじめられて惨めな姿をさらけ出していた剛介が、剣道の試合に勝ち、彼女を連れてデートをする位にまで成長したことに、正直驚きを感じていた。
夏の太陽が西に傾き始め、真っ赤な夕焼けが空を染め始めた頃になると、浴衣を着た高校生位の子達や、親子連れが続々と公園の中に姿を見せ始めた。
「ねえ、今夜の花火大会、楽しみだね」
「でっかいスターマインもあがるみたいだよ」
公園を通る人達の会話を聞くと、どうやらこれから花火大会が行われるようである。
真っ赤な夕焼けに染まった空が次第に群青色に覆われ始めると、公園の中には、沢山の見物客で足の踏み場もない程にあふれかえってきた。
やがて、夜空に次々と大きな輪を描きながら、花火が打ち上がり始めた。
僕は花火が打ち上がる時に発せられる、地面を揺るがすかのような爆音が苦手であった。花火の弾ける音を聞きながら、僕は悠然と構えていながらも内心は震え上がっていた。僕が人間だったら、両手で耳を押さえることができるのに……。
「たーまやー!」
「かーぎやー!」
花火を見た人たちからは、歓声と叫び声が上がっていた。
見ている人たちは楽しそうだけど、僕はこの時間帯は辛いものでしかなかった。
その時、多くの人達に交じって、小学生の男女がじっと夜空を見つめている姿があった。ちょうどキングの真横の辺りで、剛介とあいなが顔を上げて夜空の花火に見入っていた。夏祭りを一通り見終えて、再びこの場所に戻ってきたのだろうか。
「今年もきれいね」
「うん」
「去年はマンションの窓から、お父さんやお母さんと一緒に見たんだ。それはそれで楽しかったけど、今年は剛介君と一緒に見れるのが何よりもうれしくて」
「え?う、うれしいの?」
「うん。剛介君は私と一緒に見る花火、うれしくないの?」
「ま、まさか?すごくうれしいよ」
次々と打ち上げられる花火に顔を照らされながら、二人は寄り添う位の近い距離で一緒に花火を見続けていた。
最後に、空を覆い尽くすくらいの巨大な輪が夜空を彩り、見物客からは大きな歓声が上がった。輪が次第に夜空の中にかき消されていくと、多くの見物客が公園の中からぞろぞろと出始めた。やがて、地面を覆い尽くすほどに並んでいた観客は、あっという間に姿を消してしまった。そして、剛介とあいなだけが、取り残されたように公園の中に立ち尽くしていた。
「みんな、帰っちゃったね。今年の夏祭りも、あっという間に終わりだね」
「そうね。もう終わっちゃったんだね。私、もっと花火を見ていたかったのに」
あいなはそう言うと、剛介の手をそっと握りしめていた。
「え?ちょっと、あいなちゃん。手が……」
「もっと剛介君と一緒に居たいんだもん」
「そ、そうだけどさ。それに、こんな遅い時間まで一緒に居て、お父さんとお母さん、心配しないの?」
「今夜は遅くなるって言ってあるから大丈夫。二人とも温かく送り出してくれたよ」
「そうなんだ。あいなちゃんのお父さんは弁護士だし、厳しい人だから、大丈夫なのかなって思ってた」
「大丈夫だよ。剛介君と一緒に過ごせるのは、今年までだから、いっぱい楽しんでおいでって言ってくれたから」
「こ、今年まで?ど、どういうことなの?」
その時あいなは、剛介とつないだ手と反対の手でそっと目元を押さえ、しばらく無言になった。時々、鼻をすする音が僕の所まで聞こえてきた。
「私、都会にある中高一貫の女子校を目指して勉強してるんだ。そこは有名な大学にたくさん合格してるし。両親から、あいなにはお父さんのような弁護士になってもらいたいって小さい頃から言われてたし、私もいつか弁護士になりたいって思ってるの」
「じゃあ、卒業したら、この町を出て行くの?」
「うん……」
あいなはすすり泣きしながら剛介に背を向けると、両手で顔を覆った。
剛介はしばらく何かを考え込んでいた様子だったが、やがて笑顔であいなの顔を見つめた。
「ありがとう。僕はあいなちゃんがいたから、ここまでがんばってこれたんだ。そして、こんな僕を初めて『友達』だって言ってくれた。本当にうれしかったよ。ありがとう」
あいなは剛介の方を振り返ると、その目にはみるみるうちに涙が溢れ出てきた。次の瞬間、あいなは剛介の肩に手を置き、頬にそっと口付けた。
「ありがとう!剛介君、だーいすき!」
静まり返った公園の中、あいなの甲高い声が響き渡った。
剛介は呆然とした表情で、片手であいなが口づけた頬のあたりをさすっていた。
「だい……すき?」
「そうだよ、大好きだよ。私、こないだ『友達』って言ったけど、本当は剛介君のこと、ずっと好きだったんだ」
「あいなちゃん。僕は……僕は……」
剛介は、あいなに見つめられながら、しばらく言葉に詰まっていた。
何かを言いだそうとしているが、上手く表現できる言葉が見つからないでいる様子だった。
『剛介!そこは『あいなちゃん、僕も大好き』だろ?男を見せる時だぞ!』
『剛介君、これは大チャンスだよ!あいなちゃんは剛介君の言葉を待ってるのよ!さあ、がんばれ!』
苗木たちは皆、必死に剛介にエールを送っていた。
その時、苗木たちの声に交じり、キングが途切れがちに言葉を発した。
『剛介……僕も応援してる、よ。剛介がしあわせになれるなら、僕も……うれしいから』
キングの言葉に後押しされたのか、言葉に詰まっていた剛介はようやく言葉を絞り出した。
「来年の卒業式までだけど……僕のこと、これからもよろしくね。僕もあいなちゃんのこと、好きだから」
「ありがとう、剛介君。短い間けど、いっぱい遊んで、いっぱい思い出を作ろうね」
そういうと、あいなは剛介のもう片方の頬にキスした。
「今日は楽しかったよ!また一緒にお出かけしようね。あ、もちろん受験勉強をちゃんとやりながら、ね。剛介君も剣道の大会があるんでしょ?お互い、がんばろうね!」
あいなは大きく手を振って、マンションへと駆け込んでいった。
剛介は両方の頬をさすりながら、しばらく呆然と立ち尽くしていた。
「僕……夢を見てるのかな?」
いや、夢じゃない、現実に起きてることなんだよ、剛介。
来年までの短い間だけど、剛介にはあいなと思い出を沢山作ってほしい、そしてあいなを快く送り出して欲しい、僕はそう思いながら、誰も居ない公園で一人立ち尽くす剛介の背中を見続けていた。
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