第72話 新しい命

 暑かった夏が過ぎ、秋を迎えると、僕たちケヤキの葉は赤や黄色に色を変え始めた。やがて時折吹く冷たい風に押されるかのように、葉や枝は次々と地面に落ちていった。枝には所々黒く小さな種が付いており、春になると種が芽を出して、やがてケヤキの苗として育っていく。しかし、僕はこの場所に来てから、自分の種から芽が出て育っていく姿を見たことが無かった。

 もし僕が身体を動かせるのならば、自分の手で種を大事に育て、立派なケヤキになるまで育てたいと思うのだが、ケヤキである以上、それは叶わないことなので、周囲にいる人間達にその願いを託すしかなかった。

 しかし、誰も僕のひそかな願いに気づくことも無く、それどころか、近所に住む隆也と怜奈がせっかく実った種たちを落葉と一緒に箒で集めて、育てることも無く処分していた。

 自主的にこの公園を綺麗にしてくれることは確かに嬉しいけれど、これから新しい命が宿るかもしれない種まで全て処分してしまうことについては、もう少し考え直してほしいと思っていた。


 落葉が地面を覆いつくし始めた頃、今年も怜奈が大きな箒片手に、ひとりで黙々と落葉をかき集め始めた。その中には、風に飛ばされて落ちてしまった小枝の姿もあった。小枝には、何粒かの種が付いているのが僕の目からもしっかりと見て取れた。案の定、怜奈は種の存在に気が付くこともなく、そのまま落葉と一緒に袋の中に押し込んでいた。


『ああ……今年も、育つことなく捨てられちゃうのか』


 僕は何もできないもどかしさもあって、深くため息をつきながら、怜奈の作業風景をただ眺めていた。


 その時、作業衣を着込んだ樹木医の理佐が、寒い中両手をこすりながら僕の元へとやってきた。理佐は、いつものように僕の全身を目視した後、幹や樹皮の様子や根の張り方を確認すると、ポケットからメモ帳を取り出し、何やら走り書をしていた。怜奈は理佐の様子には目もくれず、ひたすら落葉を拾い集めていた。

 一方、理佐は僕の診察が終わると、作業に没頭する怜奈の元へとそっと後ろから近づいた。


「あの、何をされているんですか?」

「見ればわかるでしょ。落葉拾いよ。こうして私たちが拾わないと、このケヤキから舞い落ちる葉っぱの量がすごいから、あっという間に地面を覆いつくしちゃうのよ」


 怜奈は、思いがけず作業を邪魔されたのが不快なのか、ちょっとぶっきらぼうな話し方で理佐に接していた。

 しかし、理佐はめげることもなく、怜奈の持っている落葉を詰め込んだ袋に目を遣ると、袋を指さしながら、はにかんだような笑顔で怜奈に話しかけた。


「ちょっと、袋の中を見せてもらっていいですか?」

「ま、まあ良いけれど。あなた、一体何者なの?」

「あ、申し遅れました。私、樹木医の藤本理佐といいます」


 理佐は、袋を怜奈から受け取ると、中に詰まっている落葉を手でかき混ぜ始めた。


「ちょっと、なにやってるの?人が必死に集めたものをおもちゃみたいにいじりまわして」


 すると、理佐は種の付いた枝を何本か取り出し、地面の上にそっと置いた。


「こ、これは何なの?」

「種ですよ、せっかく種があるのに、このまま処分してしまうのはもったいないかな?って思って」


 そう言うと理佐は、袋から次々と種を取り出し、横一列にずらりと並べた。


「これって、何なの?」

「ケヤキの種ですよ。ここに立ってるケヤキから生まれた種なんです」

「そうなの?じゃあ、これを地面に撒けば、次の年に芽が出て来るとか?」

「いや、いきなり地面に撒くよりは、鉢に植えたほうがいいですね」


 理佐は、地面に並べた種を手持ちの小さな袋に詰め込んだ。


「とりあえず、これは私が持ち帰りますね」

「え?あなたが育てるの?」

「そうです。こう見えても、一応樹木医なんでね」


 怜奈は怪訝そうな顔で理佐を見つめると、理佐は長い髪を片手で揺らしながら微笑んだ。確かに理佐は、樹木医の先生にしては妙に色っぽいけれど……。


「確かに、私のやってることは傍から見たら怪しいですよね。でも、せっかくここに立つケヤキが次の世代に命を繋ごうとしてるのに、それを私たちが邪魔してしまうのはもったいないと思いますんで」


 そう言うと理佐は頭を下げ、そそくさと公園から出て行った。


「何なのよ、あの人。種を取り出したいのは分かったけど、私が必死に集めた落葉を興味本位で必死にあさるなんて、頭おかしいとしか思えないわ」


 怜奈はいまいち納得いかない様子で理佐の背中を見送っていたが、僕としては、種のことを気にしてくれる人が現れたこと、そして、僕の子ども達がようやくこの世に生を受ける機会を得たことに、ほっと胸を撫でおろした。



 寒い冬を越えて、僕たちの枝に若葉が芽吹き、やがて青々と茂り始めた頃に、一台の軽トラックが僕たちの前で急に止まった。

 トラックからは、作業服を着た理佐と、その助手らしき若い男性が降りてきて、トラックの荷台を開けて次々と植木鉢を下ろし始めた。

 そこには、何枚かの葉をつけたかわいらしい小さな苗があった。

 理佐は鉢を下ろし終わると、以前植栽が植えてあった公園の両側の空いた場所に一本ずつ植え始めた。


「さ、しばらくの間、ここでがんばるのよ」


 理佐は艶のある声で、苗を一本ずつ植えていった。苗木には、今後の成長に備えて挿し木が施されていた。同じケヤキなのに、人間の子どもより背丈の低い木々たちは、ほんのそよ風が吹いた程度でも体が揺らぐほど頼りなく、秋の台風や冬の北風を乗り切れるのか心配になってしまった。

 鉢に植わったケヤキの苗木を全て移植し終わると、理佐はタオルで汗を拭いながら僕の方へと歩み寄ってきた。


「今日、あなたから生まれた子ども達を連れて来たわよ。みんな元気にすくすく育ってるわ。しばらくの間、この公園で一緒に暮らしてもらうから、ちゃんと面倒見るのよ」


 やっぱり、あの小さな木々は僕の種から生まれたんだ……。

 理佐の下でひと冬を過ごし、小さな苗木となってこの場所に戻ってきた種たち。

 ここからは、彼らの「親」である僕と一緒にこの場所で過ごすことになるようだ。


「苗木ちゃん達、誰に似てるのかしら?あなた?それともあそこに立ってる彼氏なのかな?」


 そう言いながら、理佐はケビンの方を振り向いた。

 その言葉を聞き、僕は大事なことを忘れていた。この公園に立つケヤキは僕だけじゃない。昨年、理佐が回収していた種の中には、ケビンから出た種もあるはずだ。

 でも、どれが僕の種で、どれがケビンの種なのかは判別がつくはずがない。

 じっくりと目を凝らし、どの苗木が僕に似ているか識別しながら判断するしかない。


「あ、この子はあなたに似てるかもね。枝がまっすぐ斜め上に向かって伸びてるからね」


 理佐は、植えている苗木の一つを指さしながら、僕に語り掛けていた。


「あの特に小さな苗木は、向こうに立ってる彼氏に似てるね。どことなく縮こまっていて、ちょっと頼りない所があるわね」


 理佐が指さした苗木は、今日植えられた苗木の中でも特に小さく、枝付きもどことなく弱々しく感じた。確かに、その苗木から醸し出される雰囲気は、ケビンのものに近かった。


「よかったわね。親になった感想はどう?これからは自分達のことばかり考えるんじゃなく、ちゃんと『子育て』するのよ」


 そう言うと、理佐は付き添いの男性と一緒に軽トラックに乗り、颯爽と去っていった。


『今日から僕たちは親なのか。何だか実感が無いなあ』


『え?親?今日、理佐先生が植えていった苗木の親が、僕たちなの?』


『そうさ。僕とケビンの種から生まれた苗木なんだよ』


『知らなかった……』


 突然、苗木たちの親になったことを僕に告げられたケビンは、しばらくの間あっけにとられた表情をしていた。


『ほら、あの苗木なんか、ケビンにそっくりだぞ。びくびくしていて、ちょっと頼りない感じがするし』


『ば、バカ言うなよ!それだけでどうして僕の子どもだってわかるんだい?』


 僕たちは、どの苗が僕の子で、どの苗がケビンの子なのか、お互いに見定めていた。今はまだはっきりとした識別は難しいけれど、いつの日か大きく成長した時、きっとその違いが分かってくるのかもしれない。そう信じて、僕たちは彼らの成長を見守っていくことにした。


 ところで、僕は自分で種を付けることができるのに、なぜ自分のことを「僕」と言ってるのかって?一応、僕たちケヤキは雌雄同種で、春には雄花と雌花を付け、秋には種を付けることができる身体になっているようだ。

 あまり深く考えるとキリが無くなってしまうので、これからも僕は「僕」と名乗って行こうと思う。

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