第71話 分かってくれたかな?

 朝陽のまぶしい光が斜め上から差し込み、その明かりでようやく僕は目が覚めた。小鳥たちのさえずりが響き、心地よいそよ風が吹き、今日も気持ちの良い朝を迎えた。

 僕のとなりには、おじさんがいて、遠くには海が朝陽に照らされてまばゆい輝きを放っているはず。


『ルークさん、おはよう』


 え?ルークさん?おじさん、いつから僕のこと、ルークさんって言うようになったっけ?それに声にいつものような張りがなく、どことなく頼りなさを感じた。


『おはよう、おじさん。今日もいい天気だね』


『おじさん?いやだなあ、僕はまだそんな歳でもないよ』


『はあ?』


 僕は、目を凝らして真正面に立つケヤキを見つめた。

 そこにいるのは、ケビンだった。

 そして僕の周囲には、芝生ではなく、真新しいアスファルトが張りめぐらされていた。

 周りを見渡すとはるか遠くに見えるはずの海は無く、それどころか、大きなマンションが立ちはだかり、周囲の眺望を遮っていた。


『あれ?おじさんは?真正面に海が見えるはずなのに、全然見えない……』


『どうしたの?ルークさん。僕はおじさんじゃないよ。ケビンだよ。そして、ここは公園だよ。どこに海なんてあるの?』


『え?公園?』


『そうだよ、僕たちはずっとこの公園にいるじゃないか?』


『じゃ、じゃあ僕が見たものは一体……』


『夢でも見たんじゃない?ルークさん、昨日の夜、すっごく気持ちよさそうな顔して寝ていたよ。そうそう、時々寝言で『おじさ~ん』って言ってたな』


『そ、そうなんだ……夢かあ。まいったな。アハハ』


 ケビンの冷静な指摘に、僕は冷や汗をかきながら苦笑いした。

 見渡す限り、目の周りにあるものは、僕が今まで立っていた公園と何ら変わらなかった。昨日僕がいた海辺の町は、僕の夢の中の世界であった。

 つまり、おじさんにも、町で暮らす老夫婦や漁師一家にも、実際には会っていなかったのだ。ケビンに指摘され、自分の周りの景色を見て、僕はようやく現実に引き戻された。


『はあ……これからずっと、あの海辺の町でおじさんと一緒に暮らしていけると思っていたのに!』


 僕は、何十年ぶりに再会した「先輩」との時間が幻だったと気づき、がっくりと肩を落とした。


『ルークさん、夢の中で『おじさん』というケヤキに会ってきたの?』


『まあね。本当に久しぶりの再会で、もうこれからはこの公園に戻ることも無く、おじさんと一緒に暮らしていけるのかな、と思って、嬉しくて仕方がなかったんだけどね』


 僕は、せっかくの再会が幻だったということがまだ受け入れられなかった。

 しかし、夢の中でおじさんが僕に教えてくれたことは、ずっと心の中で引っかかっていた「僕たちケヤキの存在意義とは何か?」という問いかけへの答えだったような気がした。

 おじさんとの出会いは夢の中の出来事なのかもしれない。おじさんが僕に話してくれた言葉も実際には聞いていないのかもしれない。

 夢であろうと現実であろうと、おじさんが僕に教えてくれたことは、僕の中でずっと抱いていた「もやもや」を吹き払ってくれたように感じた。


『なあケビン、夢の中でおじさんは僕たちケヤキの存在意義について語ってくれたんだ』


『え、存在意義?僕たちの?』


『そうだよ、だいぶ前にマンションに住む弁護士が僕たちの存在意義について色々話していただろ?でも、僕はそのことを自分で十分に考えたことが無かった。おじさんは、その答えを僕に教えてくれたんだ』


『答えかあ。気になるなあ』


 僕は、おじさんの言葉を一つ一つ思い出しながら、ケビンにも分かってもらえるように噛み砕いて伝えた。


『僕たちの存在意義は、たとえどんな困難があっても、ここに住む人達の姿を、何も言わずに見守り続けことなんだ』


『はあ……』


 ケビンは、僕の話にいまいち実感がわかないような感じで返事をしていた。


『僕たちのことを邪魔な存在だと思う人もいるだろうけど、僕たちのことを大事にしてくれる人もいる。僕たちを見て生きる勇気をもらった人もいる。僕たちの下で疲れを癒したり、語り合い笑い合う人もいる。だから僕たちは、その人達のためにも黙って自分の置かれた場所に立ち続けていかなくちゃいけないんだよ』


『はあ……』


『あ~何だか張り合いがないなあ。ケビン、僕の話をもっと真剣に聞いてくれよ!』


 ケビンの気の抜けたような返答に僕は肩透かしを食らい、腹が立って仕方がなかった。その時、僕の真下に、スーツを着込んだサラリーマン風の男性がやってきた。今日は朝から気温が上がっていたため、男性はおそらくひとやすみ出来る場所を探していたようであった。


「ふぁあ~……部長の奴、俺に理不尽なノルマ突きつけやがって!」


 男性はそう言うと、大きく振りかぶり、僕の幹に思い切り拳をぶつけた。


『ギャアア!い、痛いっ』


 力のこもったパンチに、僕の全身にしびれるような痛みが走った。


「くそっ、腕がしびれるな。まあ、こんな木に俺の怒りをぶつけてもしょうがないんだけどな」


『だ、だったら最初からするなよ』


 すると男性は、今度はスーツのジャケットから小さな箱を取り出し、そこから煙草を一本取り出した。煙草に火を灯すと、口元に煙草を押し当て、白い煙を吐き出した。あまりにも強烈な煙草の臭いが、風に乗って僕の全身を包み込んだ。


『ゴホッ!煙が多過ぎて、咳き込みそうだよ』


 男性は煙草を吸い終えると、吸い殻を僕の足元に放り投げ、再び大きなあくびをした。吸い殻からは煙が上がり、熱さも残っていて、僕の足はやけどしそうな位熱くなった。


「はあ、気分が落ち着いたわ、この木があったおかげで暑さもしのげたし、いい気分転換になったわ。じゃあ、仕事にもどっかな!」


 そう言うと、男性は片手で僕の幹をゆっくりと撫でまわした。


『すごい!ルークさん、さんざんひどいことされたのに、よく耐えたねえ。でもあの人、ルークさんにすごく感謝していたよ』


『ははは……わかってくれたかい、ケビン?おじさんの言う通りだろ?』


 男性は気持ちよさそうに鼻歌を唄いながら公園を出て行ったが、その時、入れ替わるかのように、今度は若い男女のカップルが僕の真下へとやってきた。二人は地面に腰かけると、肩を寄せ合い、お互いの顔をじっくり見つめ合っていた。


「ねえつよし君、ここ、良い風がくるね。今日は暑いから、ここならのんびりできるね」

「ああ、木の葉っぱが日差しをさえぎってくれるしね。しばらくここでゆっくり休んでから、駅に行こうか」


 二人は指を絡め合うと、やがてお互いの唇をそっと重ねた。


「大好き、つよし君」

「俺もまなみのこと、大好きだよ」


 僕は、真上から差し込む強烈な日差しに耐えながら、真下で見せつけるかのように愛し合う二人の姿にしばらく困惑していた。

 長い口づけが終わると、二人はようやく立ち上がった。


「この木があったから、最後に二人でゆっくり過ごせたね」

「うん。またしばらく、つよし君に会えなくなるもんね」

「この木に感謝しなくちゃね。ありがとうって」


 二人は僕に向かって軽く頭を下げると、再びお互いの顔を見つめ合いながら、腕を組んで公園を後にした。


『ルークさん、すごい!またしてもよく耐えたね。あの二人、最後に感謝の言葉を言ってはくれたけど、いちゃいちゃをずーっと見せつけられて、僕ならとても耐えられないよ』


『あはは……これもおじさんの言葉の通りさ。あの人達、僕に感謝してくれてただろ?』


『そうだね。あの人達みたいに、僕たちのことを必要だって思ってくれる人達や、感謝してくれる人達もいるもんね』


 ケビンは、ようやく僕の言葉を少しは理解してくれた様子であった。意味もなく殴られ、臭いに耐え、見せつけられて、正直胸の内は辛かったけれど、ケビンの言葉を聞いて、苦行に耐え続けた意味はあったのかな、と思った。

 しかし、ケビンの真下には立派なベンチが整備されているのに、よりによってなぜ僕の真下に来て煙草を吸い、いちゃついていたのだろう?

 もし僕が声を出せるのならば、『あそこに立っているケヤキの真下には、立派なベンチがありますから、あの場所でごゆっくりお休みください』って言ってやりたかった。でも、おじさんの教え通り、僕たちは黙ってひたすらこの場所に立ち続けていかなくてはいくしかないのだろう。こういう時は、正直ケヤキである自分の存在を恨みたくなるけれど。






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