第73話 名前を付けてね
今年の春に植えられた僕たちの種から生まれた苗木たちは、日々順調に成長している様子だった。細くてしなやかな幹が上へ上へと背を伸ばし、枝についた葉の数も増えていた。その姿を見て、ケビンはちょっと焦りを感じていた。
『ルークさん、みんなすくすくと成長してるよ。僕たちを追い抜くなんて、すぐなんだろうね』
『そうなの?まだこんな小さいのに?』
『だって、ここに来た時、僕の足元ぐらいの背丈だったんだよ。それが今は、もうその頃の倍以上に伸びてるんだもん』
僕はケビンの言葉を聞き、幼いケヤキ達の姿を凝視した。
この春僕たちのいる公園に新たにやってきた、六本の幼きケヤキ達。確かに彼らの背丈は、ここに来たばかりの頃よりはずっと大きくなっていた。しかし、木によって背丈の大きさは異なるようで、倍以上に大きくなったものもあれば、それほど大きく成長していないものもあった。中でも、樹木医の理佐がケビンにそっくりだと言っていた木は、まだ僕らの根元か、それよりわずかに大きくなった程度の背丈しか無かった。
『ケビン、お前にそっくりなあの木は他の木よりずーっと小さいな。おまけにちょっとしなっとして、元気なさそうだし』
『ルークさん、いい加減にしろよ!あの木がどうして僕なの?全然似てないぞ。おまけに僕は子どもの頃、あんな小さくなかったし』
ケビンは僕の言葉を聞くと、全然違うと言わんばかりに強く言い返してきた。
僕は悪気があって言っているわけではないのだが、この話題になるとケビンは機嫌が悪くなるので、僕は何とか話題を変えようとした。
『あ、そうそう、彼らの名前はどうしよう?』
『名前?そうだね。これから僕らと一緒にここで暮らしていくんだし、ちゃんと名前を付けてやらなくちゃな』
『そうだね、あのすらりとした子は僕に似てるから、ルーク二世ってのはどうかな?』
『どこが似てるんだよ?あの幹の小さなくぼみなんか、僕と同じだし、むしろ、ケビン
『くぼみは僕にもあるぞ!総体的には僕に似てるんだから、ルーク二世で決まりだろ?』
その時、苗木たちの名前のことで言い争っていた僕たちの傍を、理佐が作業衣姿でゆっくりと通り過ぎた。
思い返すと、今日は、毎月一度の僕たちの診察の日だった。
理佐はかばんから点検用の器具を取り出すと、いつものように僕やケビンの様子を丁寧に確認していた。その後、僕たちの根元に液体の入った器具を差し込み、ゆっくりと液体を入れ始めた。
「うん、あなたたちは今月も異常なし。暑くなるから、夏バテしないようちゃーんと私の愛をたっぷり注入しておいたからね」
そう言って、理佐は僕たちにウインクした。
『いつものことだけど、理佐先生は、僕にはちょっと刺激が強いな……』
ケビンはたじたじになりながら、液体を注入している理佐の後ろ姿を眺めていた。
しばらくすると理佐は立ち上がり、僕たちに背を向けて、公園の両側に植えられた苗木たちの方へと歩みを進めた。
「うんうん、良い感じで成長してるわね、君たちも」
理佐は苗木の根元に目を配ると、細い幹をゆっくりとなで、葉っぱを軽くさわり、まるで何かに納得したかのように頷きながらメモを取っていた。
「おばさん、何やってるの?」
「え?」
理佐の後ろで、ランドセルを背負った一人の少女が理佐の作業の様子を興味深々な様子で眺めていた。
少女は、近くのマンションに住む弁護士の一人娘・あいなだった。
小学生になったあいなは、顔つきもだんだん大人びてきて、以前、僕たちを伐採しようとする弁護士に反発してこの公園をさまよっていた頃の面影は段々薄れてきていた。
「私、気になってたんだ。いつの間にか、小さな木が公園にいっぱい植えられてたから、どこの誰が植えたのかなあって」
「ふふふ、どこの誰かって?それは、この私よ」
そう言いながら、理佐は自分を指さして満面の笑みを浮かべた。
「名前はあるの?」
「ああ、そう言えば、まだ名前が無かったわね。この子達」
「私、決めていい?」
「いいよ、可愛い名前、付けてあげてね」
「うん」
あいなは、苗木たちのそばに駆け寄ると、一本ずつじっくりと凝視した。
「なかなか、良い名前が思い浮かばないなあ」
「アハハ、焦らなくていいのよ。ケヤキはね、これから百年以上は生きていくんだから、慌てずにちゃんとした名前を付けてあげないとね」
「百年も生きるの?ケヤキって」
「そうよ。私たち人間よりも長生きするのよ」
「じゃあ、ちゃんとした名前、付けなくちゃね。ねえ、おばさんまたここに来るの?」
「うん。また来月、ここに来るよ」
「その時には、この子達の名前、おしえるね」
「どんな名前になるのかなあ?楽しみにしてるね」
理佐がそう言うと、あいなはにこやかな表情で手を振り、公園から出て行った。
「あの子、この木たちにどんな名前を付けるんだろ?年甲斐もなくわくわくしちゃうな」
理佐は胸を押さえながら、あいなの後ろ姿をじっと見つめ続けていた。
その後しばらくの間、あいなは学校帰りに公園に立ち寄り、そのたびに苗木たちの姿をじっくりと凝視した後に自宅に帰るようになった。
何日も何日も、あいなは苗木の一本一本を真剣なまなざしで見つめ、時には「むずかしいなあ」と小声でつぶやきながら家路についていくこともあった。
そんなことが続くうちに、あっという間に一ヶ月が過ぎ、理佐が僕たちを診察するために再び公園に姿を見せた。
理佐はいつものようにかばんから診察道具を取り出し、まずは僕の様子から確認し始めた。その時、後ろから小さな足音が次第に僕たちの方へ近づいてきた。
「ねえ、おばさん。約束どおり、名前を決めてきたよ」
そこには、満面の笑みを浮かべたあいなの姿があった。あいなは理佐の目の前でノートを開くと、六本の苗木のうち、公園の左側に植えられた三本を指さした。
「まずは、こっちに並んでる木たちの名前ね。こっちから、『ケン』『ヤット』『キラ』」
「へえ、男の子っぽい名前もあれば、女の子みたいな名前もあるのね。お姉ちゃんはわかってるの?この子達が男の子なのか、女の子なのか」
「ううん、わかんない。この子はどっしりして強そうだし、この子はちょっとやさしそうな雰囲気がするから……かな?」
「あはは、なるほどね」
感心しながら頷く理佐の隣で、あいなはノートのページをめくり、公園の右側に植えられた三本の苗木を指さした。
「こっちに並んでる木たちの名前はね……『ナナ』『ミルク』、そして『キング』」
「へえ、ナナにミルク?優しそうな名前ね。で、最後はキング!?あの小さな木が?」
理佐は、あいなが指差した先にある、六本の苗木の中で特に背の低い、今にも倒れそうな木をみて驚いた。
「うん、かっこよくて、強そうな名前だから」
「確かにそうだけど……キングって王様って意味だよ。こんな小さくて今にもしおれそうなくらい弱々しいのに、キング?」
「この中で一番がんばって生きてほしいから。がんばって、この中で一番強い木になってほしいから」
あいなは目を輝かせながら、小さな苗木をそっと手で撫でた。
理佐はあいなの教えてくれた名前を一つずつ小声で復唱したが、その時突然、何かに気づいたような表情を見せた。
「ねえ、お姉ちゃん。おばさん気づいたんだけど、名前、全部上からつなげると、面白いかも?」
「え?どうして?」
「ケン、ヤット、キラ、ナナ、ミルク、キング……それぞれの一番最初の文字を繋げると、『ケヤキ並木』になるのよ」
「ええ!?そうだったの?」
あいなは、ノートをもう一度見直すと、口を大きく開いて驚いた。
「すごーい!そんなこと、わからなかったよ」
「お姉ちゃん、ネーミングセンスあるわね」
そう言うと、理佐はニヤリと笑って親指を立てた。あいなは頭をかきながら照れ笑いを浮かべていた。
『ケヤキ並木……か。偶然にしてはすごいよね、あいなちゃん』
『ああ、でももっとすごいのは、あの弱々しい苗木に、『キング』って名前を付けたことだよ。一体どういうセンスしてるんだよ』
『でも、どんな大雨や強風にもへこたれないし、案外強い木なのかもよ?普通だったらとっくにしおれてるはずなのに。あいなちゃんは、この子は大物になると見込んでるんじゃないの?』
『そうなのかなあ……僕にはちょっと信じられないや』
ずっと名前の無かった六本の苗木たちの名前が決まると、新しい家族が増えたような気分になった。彼らが自分達に付けられた名前をどう思っているかは分からないけど、名前に込められた想いを胸に、すくすくと立派に成長してほしいと願うばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます