第65話 盟友への報告

 僕たちは今年も無事に冬を越え、気が付けば春風に乗って花の香りが漂い始める季節になっていた。

 白い蝶がひらひらと空を舞い、小さな黄色いたんぽぽが根元に咲いていた。

 そして、僕たちの周りの地面は綺麗に整地され、敷設し直された新しいアスファルトで覆いつくされていた。

 ベンチも新しくなり、新しく花壇が整備された。

 花壇にはたくさんの花の苗が植えられており、もう少し季節が進めば一斉に見事な花を咲かせてくれるだろう。


 そんなある日、色鮮やかなブルーの細身のスーツに身を包んだシュウが、ケビンの前へとコツコツと靴音を立てながら歩み寄ってきた。

 その隣には、まだ見たことのない若い女性の姿があった。

 肩のあたりで結んだ髪と、シュウに負けず劣らず長身で、目鼻立ちは派手さが無いけど、きりりとした太い眉と大きく力強さがある瞳が、芯の強さを伺わせた。


「おまたせ。無事だったようで何よりだね」


 シュウはそう言うと、片手に持っていた筒から、何やら長い文章が書いてある大きな紙を取り出し、ケビンの目の前で広げてみた。


「無事に大学を卒業したんだ。東京にある流通関係の会社に就職も決まったし、一応、お前にも報告しなくちゃなって思って」


 すると、隣に立つ女性がシュウの脇を肘で突き、『もう一枚、見せたいものがあるんでしょ?』とささやいたのが僕の耳にも聞こえてきた。

 シュウは慌てて、筒からもう一枚の紙を取り出した。


「ああ、そうそう、これもお前に見せたいと思ってたんだ。去年のことだけど、剣道の全国大会、何とか優勝したよ。俺にとってこれがラストチャンスだったから、何が何でも勝ちたかった。そしてお前との約束を果たせた。これがその証拠だ」


 ケヤキである僕たちには、その紙に一体何が書いてあるのかさっぱり読めなかった。するとシュウは、僕たちに配慮したのか、紙に書いてある言葉を、ゆっくりと読み上げだした。


「表彰状、あなたは全日本大学剣道選手権で、優秀な成績を収めました。栄誉を称え、これを賞します」


 読み終わると、シュウは人差し指と中指を出して、Vの字を作った。


「お前には、ここまで練習に付き合ってもらって、心から感謝している。お前が居なかったら、勝てなかったよ。お前は俺にとって、最高の練習パートナーだった」


 シュウはケビンの幹の辺りを何度も撫でながら、優しく声を掛けた。


「痛かっただろう?お前だって俺たち人間と同じ生物だからな。きっと痛くて痛くてしょうがなかったと思う。その点では悪いことをしたと思ってる。でも、そんな痛みに耐えながらこの俺の練習にずっと付き合ってくれた。感謝という言葉以外には、何も出て来ないよ」


 そう言うと、シュウはケビンに向かって深々と頭を下げた。


「お前のためにも何が何でも勝ちたかった。このまま負けたのでは、必死に痛みに耐え続けたお前に顔向けできなかったからだ。でも、やっとお前にちゃんと自信を持って言えるよ。『ありがとう』ってね」


 シュウはその後、一緒にやってきた女性の肩を叩くと、ケビンの目の前に立たせた


「はじめまして、奥野芽衣おくのめいです」


 女性はにこやかな顔で、ケビンに向かって手を振ると、ゆっくりと頭を下げて一礼した。

「紹介するよ、うちの剣道部のマネージャーで、四年間ずっとうちの部を支えてくれたんだ。料理がすごく得意でな、俺が芽衣の料理にハマるうちに、俺にとって芽衣は不可欠な存在になってたんだ。とりあえず、卒業後はお互い違う所に就職するけど、近い将来、ちゃんとお金を貯めて、一緒になろうって約束してるんだよ」

「ちょっと!シュウ。私に何も聞かずにベラベラしゃべっちゃダメだよ」

「いいんだよ。俺の盟友であるケヤキの前で良い報告をしたいんだから、ちょっとカッコつけさせてくれよ」

「盟友?この木が?」

「そうだよ、盟友だよ。小さい頃から、ずっとね」


 そう言うと、シュウは芽衣を手招きした。

 芽衣はシュウの手を握ると、シュウはその手を強く握り、しばらくの間二人は寄り添いながら、ケビンの前で話し合っていた。


「ねえ、お父さんは?」

「ああ、こないだやっと戻ってきたんだ。親父がやったことは許されないけど、親父なりに必死にこのケヤキ達を守ろうとしていたんだから、俺は正直、情状酌量の余地はあると思うんだけどね。でも、長い収監生活だの裁判だので、精神が参ってしまってね。部屋にこもって、なかなか表に出て来ないんだよ」

「そうなんだ。確かに今日家族みんなと一緒にご飯を食べたけど、目が死んでるような感じがしたもんね」

「俺としては、早く元気になって、公園の掃除とかやってほしいんだけどな。今も時間を見つけてはこっちに戻ってきて、おふくろと一緒に公園の掃除をやってるんだよね」


 シュウは遠い目をしながら、元気のない声で呟いていた。


「お父さん、必死にこの木を守ろうとしていたんだよね?確かにやったことは良くないけど、結果的には切られずにこうして今でもここに立ってるんだもん、お父さん、もっと胸を張っていいんじゃないのかな?」

「こないだ、俺も親父にそう言ったんだ。でも、うつむいたまま、『ありがとな』という言葉しか返してくれなかった」

「早く元気になってもらいたいよね」

「ああ。おふくろも、親父がすっかり食欲が落ちて、話す言葉に力が無くなったって言ってた」


 すると芽衣は、シュウの肩にもたれかかりながら、僕をじっと見つめた。


「ねえ。もしお父さんが体を壊したり、高齢になって公園の掃除ができないってなった時、どうするの?」


 シュウは芽衣の問いかけに顔をしかめ、しばらく考え込むと少しずつ言葉を絞り出した。


「今はおふくろが健在だし、一人でもどうにかこなせているから何とかなると思うけど」


 芽衣はシュウの答えを聞いて、首を横に捻った。


「どうしたんだよ?あまり納得してないみたいだな」

「お母さんだってお父さんと歳が同じ位じゃない?今だって、シュウは時々お母さんのお手伝いに時々帰ってきてるんでしょ?」

「まあ、そうだけど……でも、いざとなったら近所に住む誰かがやってくれるんじゃない?あとは、行政にでも頼るしかないよ」

「シュウ、以前私に話してくれたじゃない?この公園は、そしてここに立つケヤキの木は、自分にとって不可欠な存在だって。シュウのお父さんやお母さんが一生懸命守ってくれてるから、こうして公園が綺麗になってるし、木も立派に育ってるって」


 シュウの傍で、芽衣はケビンの幹に触れながら、まるで挑発するかのようにシュウに語り掛けていた。


「な、何が言いたいんだよ?」

「私、もし両親がこの公園を守れなくなった時は、シュウがここを守る番だと思うよ。その時もし私がシュウと付き合っていたら、一緒に手伝うからね」

「芽衣、お前……」


 芽衣は凛とした表情でシュウを見つめた。

 その表情から漂う雰囲気は、隆也を支えてきた怜奈に似たものを感じた。


「わ、分かったよ。でも、今はまだ『その時』じゃない。『その時』が来たら、の話だぞ」

「うん。『その時』が来たら、私もシュウに付いていくつもりだからね」


 芽衣は力強く答えた。

 シュウは照れくさそうな表情で頭を掻くと、芽衣の手を握り、ケビンの方を振り向いた。


「じゃあな。またここに戻ってくるよ。今度は仕事でしっかり結果を出して、またお前に報告にくるからな。それまではずっとここにいろよ」


 そう言うとシュウは手を振って、芽衣を連れて公園から出て行った。

 あの小さかったシュウが、本当に立派に成長したものである。

 しかも、あんなに可愛く、芯のある彼女を見つけてきたなんて。

 そして、僕たちに誓った約束をしっかり果たして帰ってくるなんて。

「カッコいい」という言葉以外、表現が見つからなかった。


『シュウ、すごいなあ。僕はシュウに何もできていないし、してあげられないのに』


 ケビンは遠い目で公園から出ていくシュウの後ろ姿を見つめていた。


『いや、ケビンはずっとシュウの支えになってきたよ。心の面でも、そして体の面でもね』


『体?』


『ずっと身体を張って、シュウの剣道の練習相手になってきたじゃないか?その結果、優勝を手に入れたんだ。シュウもケビンの事『盟友』って言ってただろ?』


『ま、まあ、そうだけど。でも『盟友』って言えるほど役に立ってたのかな?』


 ケビンは戸惑いを見せていたが、僕から見れば、ケビンの存在無しに、シュウのっこまでの成長は無かったと思っていた。

 ケビンがここに来た頃、シュウもまだ幼い子どもだった。

 成長する時間を共有してきたからこそ、シュウはケビンに寄せる想いは並々ならぬものがあるのだろう。

 まるで僕やおじさんと、隆也との関係のように。

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