第64話 君の笑顔のために

 僕たちは今年も無事に夏を迎え、その夏も次第に過ぎ去ろうとしていた。

 朝晩になると少しずつ涼しくなり、秋の気配が漂い始めた。僕たちの枝にたむろしていたムクドリ達も、徐々にその数が減っていった。

 この時期になっても、公園の改修工事は始まる気配が無かった。

 やはり、市の職員や理佐が言う通り、署名が続々と寄せられて工事を断念せざるを得なかったのだろうか。

 もしそうであれば、とりあえず命拾いということになりそうだが、公園の地面を覆うコンクリートは徐々に陥没やひび割れが目立ち始め、ケヤキである僕が見ても、危険であるように感じていた。


『ルークさん、ムクドリ達はもうこの公園から姿を消していったし、夜は安心してゆっくりできそうだよね』


『ああ、やっとだな。このまま何も無ければ……だけど』


 改修されずに放置された公園の地面を見ると、時折カタカタと妙な音を立てながら揺れているように見えた。

 その様子を見た時、嫌な予感が頭の中をよぎった。

 そして案の定、予感は的中してしまった。


 夜も更けた頃、突然地面が轟音を立てて揺れ始めた。

 そして揺れは次第に勢いを増し、地下から突き上げられているような感覚に襲われた。

 上下左右に揺さぶられ、僕もケビンも枝や葉が大きく揺れ動いた。


『ルークさん!助けて!僕の身体がなぎ倒されちゃうよ!』


『耐えろ!ケビン。あと少しで収まるはずだから』


 僕は強烈な揺れに必死に耐えながら、ありったけの声でケビンに声を掛けた。

 やがて揺れは収まり、葉や枝の揺れる音もほとんど無くなった。

 昔、この公園で体験した強烈な揺れに比べると規模はずっと小さいと感じたが、久し振りに怖い思いをした。

 気分を落ち着かせて目の前の様子を見ると、地面のアスファルトは、えぐられたかのように大きく陥没し、所々で大きく割れ目が出来ていた。

 そして、地面の中に埋まっているはずの僕の根が、アスファルトの割れた部分から所々地面の上に露出していた。


『ああ、言わんこっちゃない。心配していたことが起きてしまったなあ』


 しばらくすると、近隣の住宅や公園の隣のマンションから、続々と住民が公園の中に集まりだした。寝間着のまま目をこすり、あくびをする人、酒を飲んだのか、酩酊状態でふらつきながら歩いている人、揺れの恐怖で顔が青ざめている人……夜中にも関わらず、多くの人達が公園の中で起きたばかりの揺れの恐怖を語り合っていた。


「きゃあああ!痛いっ!」


 その時突然、僕の真後ろから、若い女性の叫び声が聞こえた。


「どうしたんだ?遥香?」

「何かに足を引っかけて、転んじゃったのよ!」


 すると、女性の旦那らしき男性が手に持っていたライターに火を灯し、地面の様子を確かめた。そして、地面に飛び出している僕の根を掴むと、訝しげな顔つきで叫んだ。


「これじゃねえか!?さっきの地震で地面が割れて、ここに立ってる木の根っこが地面にはみだしてるぞ」

「ええ?この木の根っこだったの!?」


 女性の叫び声を聞き、公園の中にいた人たちがざわめきだした。


「地面がデコボコになってるぞ。気をつけないと足を引っかけちゃうな、これでは」

「危ないわよね。市役所ではこの公園の点検をちゃんとやってるのかしら?」


 その時、マンションから弁護士の一家が他の住民たちに交じって公園の中に入って来た。娘のあいなは怖さのあまり泣きはらした様子で、母親がしっかり手を繋ぎ、時々慰めの言葉をかけていた。


「あ、間島先生!先生は以前からこの公園を早く改修するよう市役所に働きかけてたんですよね?市役所はまだ動いてくれないんですか?」

 さっき、僕の根に足をひっかけて怪我をした女性の夫が、弁護士に声を掛けた。


「働きかけていますよ。しつこい位にね」

「見て下さいよ、うちの家内がこの木の根っこに足を引っかけて、怪我したんですよ?この公園のアスファルトは大分傷んできてるし、この木もこのまま放置できないでしょ?早く何とかするよう、もっと強く働きかけてくださいよ」


 すると、公園にいる何人かの住民が、同調するような意見を叫び始めた。


「そうだよ、このままの状態じゃおっかなくて、うちの子をここで遊ばせられないよ」

「先生だけが頼りなんですよ。早く市を動かしてください!」


 弁護士は頷きながら、投げかけられる声に同調する様子を見せていた。

 その時、母親に手を繋がれていたあいなが、突然手を離し、弁護士に駆け寄った。


「パパ……やっぱりここの木、切っちゃうの?」


 あいなはつぶらな瞳で、弁護士をじっと見つめていた。


「そうだね。木の根っこが地面の上に出ちゃってるから、何とかしないといけないよね」


 するとあいなの瞳からみるみるうちに涙が溢れ、すすり泣きながらかすれた声で弁護士に言葉をかけた。


「パパ、ぜったいに……切ったりしないで。この木をたすけてあげて」


 弁護士は何も言い返さなかった。以前の彼ならば、色々と言葉を並べて説得しようとしていたが、今夜の弁護士は様子が違うように感じた。

 しばらくすると、時折起こる小刻みな揺れも収まり、夜も遅いこともあってか、公園に集まってきた住民たちは続々と帰り始めた。

 弁護士の一家も、いつのまにか公園からいなくなっていた。

 住民たちから公園の早期改築を迫る声が次々と寄せられたが、弁護士はどう考えているのだろうか?

 僕たちを守ろうと世界中から寄せられた署名により、僕たちの命は辛うじて守られているが、今回の件でその流れが変わってしまうかどうかがとても心配であった。


□□□□


 秋になり、例年のように僕とケビンの枝についた葉は次々と地面に落ち始めた。

 今年は例年より風が強く、僕たちの枝が丸裸になるのにさほど時間がかからなかった。

 いつもならば、地面を覆いつくす落ち葉を隆也や怜奈が掃除してくれたが、今年は公園の周囲に「立入禁止」のロープが張られ、手が入ることも無く落ち葉はそのままになっていた。

 時折冷たい北風が吹き始めた日、公園の中に次々と大型の重機が入って来た。

 その中には、僕たちの頭に届くくらいまで梯子を伸ばすことの出来るユニック車の姿もあった。


『ルークさん、ひょっとして僕たち、切られちゃうの?』


『まさか、そんな訳ないだろ!?そんな話、全然聞いてないよ!』


 やがてユニック車は、梯子を上に上にと伸ばし始め、そのてっぺんは、僕の頭上にまで伸びていった。

 そして、一人の作業員が、以前僕たちの幹を裁断しようとしていた時に用いた電動ののこぎりを手に、僕に近づいてきた。


『ルークさん!あぶなーい!』


 ケビンの叫び声を消し去るような唸り声をあげ、電動のこぎりは僕の頭辺りの枝を次々と切り裂いていった。

 大小の枝が、バラバラと雨のように地面に降り注いだ。


『ルークさん!足元にも誰かが近づいてきてるよ!』


 再びケビンから発せられた声に気が付くと、作業員が電動のこぎりを手に、僕の根元に近づいてきた。

 作業員は、地面の上にはみ出した僕の根にのこぎりの刃を走らせた。

 根はあっという間に切り取られ、作業員は切れ端を地面の上に放り出した。

 作業は着々と進められたが、そのほとんどが、伸びすぎていた枝の伐採や根の除去で、以前おじさんがここから移植された時のようにクレーンで根こそぎ掘り起こして釣り上げたり、先日のように僕たちの幹に直接のこぎりの刃を当てて伐採しようとはしなかった。


『あれ?一体、何がどうなってるんだろ?』


 一通り作業を終えると、ユニック車は僕の元を離れ、ケビンの方向へ向かった。作業員たちも、ぞろぞろと同じ方向へと歩き始めた。

 すると、ケビンが僕の方を見て突然、クスクスと笑い始めた。


『あれ?ルークさん……変な形になってるよ』


『はあ?僕が変な形?どういうこと?』


 やがて、作業員たちは、僕と同じような工程でケビンの枝や根を切り取り始めた。

 作業が終わると、空に向かってまっすぐ伸びていた枝は半分に切り取られ、何とも不格好な形になっていた。

 ケビンのあまりにも不格好な形に、僕は思わず笑ってしまった。


『ケビン、お前だって格好悪いぞ。枝が半分切られて、えらく不格好じゃないか』


『そ、そうなの?僕もなの?恥ずかしいなあ』


 結局僕たちは伐採されず、伸びきっていた枝や根の除去をされるだけに留まった。

 僕たちを取り巻くように張り巡らされたコンクリートは、悉く全て剥ぎ取られていた。

 おそらくここから、地面の整地が始まるのだろう。


 その時、弁護士が家族とともにマンションから出てきて、公園の傍を通りかかった。工事が始まったことに気づいた妻が、弁護士の肩を叩いて僕たちを指さした。


「あら、公園の改修工事、始まったのね。木は切らなかったのかしら?お父さん、市役所に木を伐採するようあれほど陳情していたのに、約束が違うんじゃないの?」


 弁護士は、苦笑いしながら「まあな」とだけ言って、素知らぬ顔をしながら早足で僕たちの傍を通り過ぎようとした。

 するとあいなは、かかとを立てて思い切り背伸びし、弁護士にそっと耳打ちした。


「パパ、あいなとの約束守ってくれて、ありがとう」


 弁護士は照れくさそうな顔をしながら、あいなの背中を押して

「さ、行くぞ」とだけ言った。


『まさか……あの弁護士が?』


『そうみたいだね。弁護士の内心は正直複雑だろうけど、何よりもあいなが一番喜んでいるから、ホッとしてるんじゃないかな?』


『あいなちゃんが一番の立役者だったのかな?とにかく、僕たち、また命拾いしたね』


『ああ、あいなちゃんには感謝だね』


夕闇迫る中、両親に手を引かれたあいなの無邪気な笑い声が、静まり返る公園の中に響き渡っていた。



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