第66話 春風に吹かれながら
暖かい、というか、暑い位の今年の春、新入生と思しき子ども達が、お母さんたちに手を引かれて続々と僕たちの前を通り過ぎて行った。毎年この時期ならではの光景ではあるが、整備されて新しくなった公園を通る彼らの顔は、心なしか嬉しそうに感じた。
昼近くになると、運動着を着こんだ幼稚園と思しき子ども達が、エプロンを着込んだ先生に引きつられて、公園の中に続々と現れた。
「ほら、みてごらん、赤と黄色と白のチューリップ、いーっぱいさいてるね」
先生は、新しく整備された花壇の所まで園児たちを導くと、色とりどりの花の名前を説明していた。
すると、花の間を飛び交う白い蝶の姿を見て、園児たちは嬉しそうな声を上げた。
「せんせーい!ちょうちょがいる!1ぴきだけじゃない、2ひき、3ひき、ううん、もっといーっぱいいる!」
「本当?かわいいね。ちょうちょさん、おなかがすいたから、お花のみつをすいにきてるのかもよ」
「そうなんだ。ちょうちょもおなかがすくんだね」
「それはそうだよ。ちょうちょもいきものだよ。お花もそうだよ。たくさんお水をのんで、大きくきれいな花をさかせるんだよ」
「あそこに立ってる木もそうなの?」
「そうよ。木も、たいようの光をたくさんあびて、土からえいようをもらって、おおきくなっていくのよ」
「そうなんだー。すごいね、木って。それであんなに大きくなるんだもんね」
僕は先生と園児の会話を傍で聞いていて、ちょっと照れ臭い気分になった。
確かに、太陽の光と土の養分が十分あれば、それなりにお腹がいっぱいになるし、体つきも大きくなる。
人間達のように、調理する必要もないし、楽と言えば楽だけど、自然の力を借りながら生きているから、自然の匙加減では、僕たちの栄養が十分取れないということもある。
昼下がり、怜奈に手を引かれて、隆也が現れた。
薄汚い部屋着にサンダルを履き、髭面になった隆也からは、かつてのようなほとばしるエネルギーは感じられなかった。
目はくぼみ、前を全く見ず下ばかり向いて、何やらぶつぶつと独り言を言っているようにも感じた。
「ほら、お父さん、今日もいい天気だよ!花も木も元気いっぱいだよ」
怜奈は隆也の肩を叩きながら、明るく張りのある声で公園の様子を一つ一つ伝えていた。隆也はそのたびに左右に首を振るが、ちゃんと僕たちのことを凝視しているようには見えなかった。
「お父さんががんばって守ってくれたケヤキ、枝を大分切っちゃったから、いつもの年よりは葉っぱが少ないかなー?でも、今までが伸びすぎてたくらいだったから、切られてもしょうがないもんね。しばらくは、この位で我慢するしかないわね」
怜奈は枝が大分切られて不格好になった僕たちの様子を見つめながら、ちょっとだけため息をついた。
「でもさ、幹ごとバッサリ切って処分されなくて済んだんだから。これはこれで良し!と考えないとね」
すると、隆也は低い声で『まあな』とだけつぶやいた。
「お父さんの代わりに、毎日公園をちゃんと箒で掃いて、植込みも伸びてきた枝葉は切って、綺麗にしてますからね。お父さんが見たら『まだまだだな』って思うかもしれないけど」
怜奈が苦笑いしながら言うと、隆也はまたしても低い声で『ありがとな』とだけつぶやいた。
「お父さんとこうして手を繋いだのって、ひさしぶりかもね」
怜奈は隆也の手を取りながら、ちょっと照れくさそうな表情を浮かべた。
「昔、結婚したばかりの頃はいつも手を握ってくれたもんね。シュウが生まれてからは、そんなことも減っちゃったけど。でも、シュウが高校に進学して家を出ていった時、寂しがっていた私を見兼ねて、一緒に映画を見に行こうって誘ってくれたでしょ?あの時、手を繋いでくれたよね?『さみしくないから、俺がいるから』って言ってくれて」
怜奈は頬を赤らめて、隆也にそっと問いかけたが、隆也からは何の反応も無かった。
「もう忘れちゃったか?そうよね。7年前だもんね。変なこと聞いてごめんね。今度はシュウも仕事始めてなかなか帰ってこないだろうから、たまには一緒にデートしようね」
すると、隆也は少しだけ口を開き、歯を見せながら一言、いや二言ほど言葉を発した。何て言ったかはわからないけど、傍にいた怜奈には伝わっていたようだ。
怜奈はポケットからハンカチを取り出すと、何度も目の辺りを拭った。
「ごめん、何で私が泣いてるんだろ?お父さんを守るのは、私の方なのに……」
怜奈は隆也の腰を支えながら、ケビンの前に置かれたベンチにそっと腰を下ろした。
二人でしばらくの間、新しくなった公園を眺めながら、何もせずベンチに座っていた。
「この公園も、私がここに来た頃から随分変わったよね。お父さんは、もっと昔からこの公園のことを知ってるかもしれないけど。私、ここに来たばかりの頃は、遊具は何もない、ケヤキの木しか立っていない寂しい公園だなって思ったわよ。ここでシュウを遊ばせるには、何だか物足りないなって。でも、シュウはこの公園でお父さんと楽しく遊んでたし、剣道の練習もしていたし。それだけでシュウはすごく喜んでいた。そして、あなたと同様に、この公園に愛着を持つようになったよね。そして私自身も、いつのまにかこの公園が自分の人生に無くてはならないものになっていたし」
隆也はゆっくり頷きながら、怜奈の言葉を聞き入っていた。
「お父さんが体を張ってでも守ろうとしたこの木たち、形は変わっちゃったけど、命を守ってもらえて嬉しそうだよ。私も嬉しかったよ」
しばらく怜奈は、隆也の手を握ったままじっと青い空を眺めていた。
その時、深々とフードを被った男性が、ポケットに手を突っ込んだまま僕のすぐ傍までやってきた。
男性はフードの奥に隠れた顔を片手でこすりながら、周囲を見渡した。
そして、ポケットから太陽の明かりに照らされて光るものを取り出した。
『ルークさん、あの人、刃物をもってるぞ!気をつけないと!』
あまりにも突然の出来事に、僕は意表を突かれたと思った。
男性は刃物を取り出すと、僕の方向へと振り下ろそうとした。
「何やってるの!やめなさい!」
男性の不審な動きを見て、怜奈が大声を上げて男性に近づいてきた。
「あ、あなた……拓馬君?」
え?拓馬?以前、隆也とともにこの公園を守り続けてきた拓馬が、刃物を?
「隆也さん、それに、隆也さんの奥さんですよね?お久しぶりです。拓馬です」
「お久しぶりじゃないわよ。一体どうしたの、こんな刃物を持ち出して」
「いや、これはその……」
「またこの木を傷つけるつもりだったんでしょ?」
「ち、違います!良く見て下さい。これ、草取り鎌なんですよ」
男性はフードを真後ろに下ろし、ようやく素顔を見せてくれた。
その顔は、まさしく拓馬であった。
「あ、そうね。これだけじゃ木を切り取るには貧弱よね」
怜奈がホッと胸を撫でおろしている傍らで、拓馬はうつむき、言葉を詰まらせながら話し出した。
「俺、正直すごく気になってたんスよ。隆也さんが逮捕されたって聞いてたから。隆也さんが居なくなったら、この公園はどこの誰が守るんだろうって……。俺としては何とかしたかったけど、まだ隆也さんのことを心のどこかで許せなかったことと、弁護士の先生に目を付けられるのが嫌だったから、ずーっと手を出せずにいたんだ。でもさ、先生は最近、この公園について何も言わなくなったから、俺、こっそり一人だけで草刈りしていたんだ」
そういうと、拓馬は照れくさそうな顔で怜奈に一礼すると、植込みの周りの草を鎌で次々と刈り取り始めた。
もくもくと作業を続ける拓馬を見て、怜奈は心配そうに上から眺めた。
「一人でやるのは結構大変じゃない?」
「まあ、大変といえば大変っスけど、心配しないでください」
「いつも一緒にいるお友達は?」
「あいつらを呼ぼうと思えば呼べるけど……俺たちが隆也さんの元を離れた時、二人を誘ったのは俺だから。その時に隆也さんや奥さんにも酷いことを言ったのも俺だから。この件は俺一人で責任を負いたいんだ」
すると、怜奈は拓馬の隣に座り、拓馬が刈った草を一か所に集め始めた。
「ポリ袋、持ってきてる?」
「は、はい、ここにありますよ」
すると怜奈は、手際よく草をポリ袋に詰めだした。
薄っぺらいポリ袋は、刈り取られた草であっという間に大きく膨れ上がった。
「すみません、奥さん。手伝ってくれるのは嬉しいけど……隆也さんは?さっきから俺を見ても全然話しかけてこないし、手伝いもしないけれど?」
「隆也はね、今まで色々あったせいもあって、心が風邪をひいちゃったの。いつもの隆也なら、きっと率先して草刈りしていたと思うよ」
「そうなんだ……」
作業を続ける二人の背中を、何も言わずじっと見つめる隆也の姿があった。
その表情は、ついさっき怜奈に連れてこられた時よりも若干緩んでいるように見えた。
「大丈夫よ、風邪だから、いつかきっと良くなる。私はそう信じてるから。それまでは、私たちがこの公園を守っていかなくちゃね」
怜奈はそう言うと、拓馬が刈り取った草をどんどん袋の中に詰め込んでいった。
ふんわりと包み込むように吹き付ける、やや熱気のこもった春の風は、二人の背中を優しく揺らしていた。
その様子を、笑顔で見続ける隆也の姿があった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます