第58話 守りたい一心で

 季節は冬を迎え、冷たい風が容赦なく公園の中を吹き抜けていった。

 啓一達が去った後も、隆也と拓馬達は僕たちを守るための署名集めを続けていた。

 寒さに凍えながらも、ハンドマイクやメガホンを片手に、一生懸命声を枯らして僕たちの保護を訴えた。

 しかし、署名をする人の数は日を追うごとに減り続けて行った。

 啓一は東京に帰ってからも隆也の署名活動を応援すると約束していたが、その後の動きは僕らの見た限りでは全く見えてこなかった。


「署名、よろしくお願いします!みなさんの一人でも多くの署名が必要なんです!」

「隆也さん、『よろしくお願いします』では言葉がありふれ過ぎて、全く伝わらないですよ」

「じゃあ、何て言えばいいんだよ?」


 隆也は拓馬の駄目出しに不快感を示すと、拓馬は近くを歩いていた女子高生に声を掛け、片手を僕の身体に押し当ててもたれかかると、にこやかな表情で語り掛けた。


「そこの君、そう君だよ。俺たちには君の力が必要なんだ!だから署名、ヨ・ロ・シ・ク!」

「はああ?」


 案の定、女子高生はクスクス笑いながら手を振って、早足で遠くへ歩き去ってしまった。


「バカか。もっとまじめにやれや」

「ご、こめん」


 隆也は呆れ顔で、拓馬の頭を小突いた。

 ただ、僕自身は拓馬の言う通り、単純に「署名してくれ」と叫び続けるだけでは効果が無いように感じていた。

 啓一がいれば、音楽を奏でながら多くの人達の心の琴線を揺らし、署名へと掻きたてることもできるかもしれない。

 公園の工事が始まる時期は刻一刻と迫ってきている一方、十分な署名が集まらず、隆也の顔にはどことなく憔悴している様子が伺えた。


 その時、やや白髪交じりの長い髪を振り乱しながら、作業衣を着込んだ一人の女性が、腰をくねらせながら僕たちの方へとやってきた。

 いつもならば美絵瑠が定期的に僕たちの体調をチェックに来るのだが、今日僕たちの前に現れたのは美絵瑠ではなかった。


「久しぶりね、ケヤキ君達。またあなた達の担当になったから、よろしくね」


 市の意向で、美絵瑠は僕たちの担当から外された。その代わりに、かつて僕たちの診察を担当していた理佐が樹木医として現場に復帰し、僕たちの担当になった。

 理佐は丁寧に僕たちの様子を確かめてくれる。

 ゆっくりと手で感触を確かめ、張り巡らされた根っこの隅々まで診てくれる。


「ちょっと根が張りすぎているけれど、健康な証拠ね。二人ともまだ十分モテるわよ」


 そう言うと理佐は、僕たちに投げキッスし、満足そうな顔で僕たちを見つめた。


『ルークさん、この人、僕にはちょっと刺激が強い先生かも……』


『あのな、この位で気が動転してたらダメだよ。理佐先生が若かった頃は、もっとすごい色気で僕たちに迫ってきたんだぞ』


 誘惑するかのようなしぐさを見せる理佐に、ケビンは思わず照れを浮かべていた。


「樹木医として現場で仕事をしていた時は、仕事に追われて視野が狭くなっていた気がしてね。だから現場を離れてから、色々なことに挑戦したわ。研究したり、若い樹木医の研修担当したり。樹木に関する本を沢山読んだり、他の町の公園を見てきたり。そういう生活を送る中で、現場にいた頃には見えなかったこと、分からなかったことが、沢山分かってきたのよね」


 そう言うと、薄雲が広がる冬の空を見つめながら、理佐はため息をついた。


「ねえ、公園にはなぜ樹木があると思う?」


 理佐は、僕たちに問いかけてきた。

 僕はしばらく考えてみたが、公園自体、人間が作り出したものであることから、人間達はどうして公園を作りたいのかな?と思いを巡らせながら、理佐に答えを返した。


『公園が、人間にとってほっと安らげる場所だから?』


 すると理佐は口元を押さえながら笑い、僕たちの方を振り返った。

 あれ?ひょっとしたら、僕の声は理佐には届いたのだろうか?


「そうね。公園って誰もが気兼ねなく心を解放できる場所なの。ここでベンチに座って休んだり、友達や家族と遊んだり、好きな人とデートしたり。あ、単純に仕事や学校に行くのに通りすぎるだけの人達もいるかもしれないわね。でもね、もし公園が何もないだだっ広いだけの場所だったり、遊具を無造作に置いただけの場所だったら、本当に落ち着けると思う?」


 理佐は再び、僕たちに問いかけてきた。

 再度の問いかけに僕は驚いたが、慌てずもう一度じっくりと考え込み、答えを伝えた。


『僕としては寂しいと思うけど、それならそれでいいと思う人も、中にはいるんじゃないかな?』


 すると理佐は、ちょっと困ったような表情を見せた。

 またもや、僕の声が聞こえたのだろうか?


「まあ、人の好みは千差万別だからね。何もない方が安心するって人も、遊具だらけの方が楽しくて良いっていう人もいるわよね。でも人間って、元々は自然に囲まれながら生きてきた生物だから、自分の身を自然の中に置くことで、本来の自分を取り戻したいと思うのよ。だから人間は、公園に木を植えるの。そうすると、人間は木々の姿を見るうちに、次第に人間らしさを取り戻していくようになる。思い切り遊んだり、ぼーっと物思いに耽ったり、友達や家族と話し込んだり、好きな人に自分の気持ちを伝えたり……」


 理佐の言葉を聞いて、僕はこの公園を通り過ぎて行く人達の姿を思い浮かべた。

 僕たちのそばで無邪気におしゃべりする高校生、ベンチに腰掛けてひたすら本を読む人、ギターやピアノで音楽を演奏する人、僕たちをモデルに絵を描く人、僕たちの真下で愛を語り合うカップル、そして、僕を相手に剣道の練習をしていた隆也親子。

 確かに、僕たちの周りで、人間達はありのままの姿をさらけ出しているのかもしれない。


「最後にもう一つ。公園にあなた達ケヤキのような樹齢の長い大きな木を植えるのはどうしてだと思う?」


 またしても、不意打ちのような質問!

 この公園を作った人間の気まぐれ?単に見映えがいいから?

 いや、まさかそんな単純な理由ではないと思うが。

 色々思索したが適当な答えが見つからなかったので、僕は思いついたままに答えを言った。


『ここで暮らし、ここを通りすぎる人達の記憶にいつまでも残るように?』


 すると理佐は、またしても僕の言葉を理解できたのか、髪をかき上げ、フッと笑顔を見せてくれた。


「そうね。ここで暮らす人間の心の支え、記憶に残る存在であってほしいから。町の景色って何年かすると変わってしまうでしょ?でも、樹齢の長い木が残っていたら、かつて町に住んでた人達が帰ってきても、思い出の場所がまだ残っていたってホッとできるでしょ?おじいちゃんがお孫さんに『この木はおじいちゃんが子どもだった頃からずっとここにいたんだよ』って、思い出話することもできるし」


確かに、僕がこの公園に来た当時に比べると、周りの景色は大きく変わってしまった。でも、僕たちケヤキは、昔からずっと変わらずここに立ち続けている。


「けどさ、最近はそのことをちゃんと理解してる人が少なくて。落ち葉の処理が大変だとか、根っこに足をひっかけて怪我するからとか、通行の妨げになるとか、本当に些細な理由で簡単に伐採されちゃうのが、本当に悔しくてね……」


 そういうと理佐は目頭を押さえた。


「こんなことあなた達に言ってもしょうがないんだけどね。さ、今日の診察はこれで終わりよ」


 理佐はそそくさと診察道具をカバンにしまい込み、帰り支度を始めた。

 その時理佐は、署名を呼び掛け続ける隆也達の姿に目が留まった。


「へえ、あの人達、今日も署名集めしてるのね」


 理佐は、しばらくの間、腕組みしながら隆也の訴えに耳を傾けた。


「そう言えば私がまだ若かった頃、あの男の人、当時ここに立っていたケヤキを守るため、一生懸命署名集めしてたものね。私と同じで、彼はあなた達ケヤキを守りたい一心なのよ、きっと」


 そう言うと、理佐は荷物を持って公園から歩き去っていった。

「もうすぐこの公園の工事が始まるわ。私たちに残された時間はほとんど無いからね。私も、あなた達を守るために自分が出来ることを考えるからね」

とだけ言い残して。


『ル、ルークさん。先生、「もうすぐ」って言ってたよね?』


 ケビンは訝し気に僕に尋ねてきた。

 理佐の言う通りならば、僕たちに残された時間は少ないようだ。

 さっきの理佐の言葉、どれだけ多くの人達が同じように感じているのだろうか?

 そのことがとても気がかりである。

 僕たちの将来は、僕たちが決めることはできない。

 僕たちの将来は、人間達の良心にゆだねられているのだから。





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