第57話 心強い味方

 隆也は、地元出身の音楽家である園田啓一とその妻の万里子に、久し振りに出会った。二人の息子である瑞樹に会ったのは、初めての様子だった。


「久しぶりにオフになりましてね。俺も万里子も実家に戻っていたところなんですよ。せっかくこの町に戻ってきたんだから、公園のケヤキの木の様子を見に行こうと思って来てみたら、あなたがたの声が聞こえてきたのでね。俺たちもここのケヤキを守るため、自分達にできることをやろうって思って、楽器を持ってきました」

「ありがとうございます。あれからもう二十年近く経ったけど、お子さんが出来たんですね」

「ああ、そう言えば瑞樹とは初対面ですよね。もう十五歳になるんですよ。しばらくこちらに帰ることが無かったので、あなたには顔を見せていなかったかもしれませんね」


 啓一は瑞樹の肩を叩くと、瑞樹は恥ずかしそうに頭を掻きながらケースから大きな金色の楽器を取り出した。


「この子はサックスを吹くんですよ。幼い頃から色んな楽器に挑戦させて、最終的に彼自身がサックスを選んだのですよ」


 瑞樹の楽器の準備が整うのを見届けながら啓一はギターを抱え、万里子はピアノを組み立てると、啓一が目線で他の二人に合図を送った。

 心地よいピアノの旋律に乗って、ギターがゆっくりと奏でられた。

 そこに、瑞樹が奏でる、じわりと僕の心を焚きつけるような情熱的で強い音色のサックスが入って来た。


『この町に住む ぼくたちは 彼に見守られ やがて大人になっていく

 そしていつか 町を去る時、 僕らはこの木を振り返る

 いつものように 彼はここにりりしく立っている

 何も言わないけれど 何もしないけれど

 ぼくたちを ずっと ずっと 見守ってくれてる』


 家族三人が奏でる『大きなケヤキの樹の下で』。

 初めて僕が聴いた時から二十年以上の月日が経っていたが、時を経て改めて聴いても、不思議と僕の心を優しく包み込んでくれる。


「何だ?この曲……超エモいんだけど」

「ホントだ。普段はヒップホップとかしか聞かねーけど、何故なんだろう?涙が出そうになるよ」


 一緒に聞いていた拓馬達も、啓一達の演奏にじっと聞き入っていた。

 演奏が終わった時、いつの間にか啓一達の周囲には沢山の人達が集まり、割れんばかりの大きな拍手を送っていた。


「沢山の皆さんに聞いて頂いたようで、嬉しい限りです。僕たちのことはさておき、今日は集まって下さった皆さんにお願いがあるのです」


 そういうと、万里子はピアノから手を離し、僕の方を指さしながら語りだした。


「ここに立って署名を呼び掛けている人たちの叫びを、公園の外からずっと聞かせてもらいました。私たちもこの町で生まれ、この公園のケヤキを見ながら大人になりました。だからこそ、この木を守りたいと思う気持ちは同じです。昔、ここに立っていたケヤキの木が伐採されそうになった時があって、私たちはその時、その木を必死に守ろうと署名を集めていました」


 万里子は、笑みを浮かべながら拓馬の方を見つめた。


「特にあなたの言葉が、私たちにひしひしと伝わってきました。あなたは昔、この木を燃やそうとした、でも、その後は必死にこの木を守ろうとした。そのことを、一生懸命自分の言葉で話してくれた。その言葉を聞いて、私たちも何とか力になりたいと思ったんですよ」


 拓馬は万里子の言葉を聞くと、動揺のあまりしばらく体が硬直してしまった。

 隆也は拓馬に近づき背中を叩くと、拓馬の目の前で親指を立てて笑いかけた。


「やるじゃん、拓馬!音楽家として全国で活躍するあの人たちの気持ちを掴むなんて、お前は大した奴だぞ」

「お、俺はただ……自分の体験を話しただけだから」


 すると万里子は

「いいえ。その体験を自分の言葉で表現するのは、なかなか勇気がいると思いますよ。私はそういうの苦手だから」

 と言って、拓馬の肩に手を置き、じっと拓馬の目を見つめた。

 拓馬は頬を紅潮させながらも、万里子の前でそっと頭を下げた。


「ど、どうも。あざー……いや、ありがとうございます」


 照れ臭そうに頭を下げる拓馬の姿を見て、啓一は微笑みながら親指を立てると、ギターを力強くかき鳴らしながら、自分たちの演奏に注目している観客に向かって思い切り声を張り上げた。


「ヘイ!俺たちの曲を聴きに来たみなさん!今、この人達はこの公園のケヤキを守るため、必死になって署名を集めてるんだ!だからお願いだ、みんなの力を貸してくれよ!俺たちがここで歌を唄う理由はただ1つ、ここに立ってるケヤキを守りたいだけなんだ!一人一人の小さな力が集まれば集まるほど、この木を守る大きな力になるんだ!だから頼む!みんなの力を貸してくれよ!」


 喉を潰すのではと思う位激しい啓一の叫び声は、公園中に響き渡った。

 その声は、人々の気持ちを動かすのに十分すぎる位の力があった。

 啓一の方を向いていた観客たちの目は、署名を集めている隆也達の方へ一斉に向けられた。


「俺、署名するわ。どこに書けば良いの?」

「私でよかったら、力になるよ!」

「僕も!」「あたしも!」


 人垣は次第に列になり、その長さは公園の端の方まで繋がっていった。

 ついさっきまで殆ど署名が集まらず、手持ち無沙汰だった隆也達は、続々と押し寄せる署名する人達の波に息をつく暇も無くなった。


「り、隆也さん、すげえ!あっという間に、1ページ使い切っちゃったよ」

「ほらほら、次の人が待ってるんだから、ちゃんとページをめくって署名してもらえよ」

「あ、そ、そうだね。すみません、お待たせして。どうぞこちらのページに署名してくださーい!」


 一時間近く経っただろうか?ようやく署名の列が無くなり、ずっと立ち続け、声を張り上げ続けた隆也達は、疲れのあまり地面にへたり込んでしまった。


「見ろよ、署名簿三枚分、ほぼ埋まったぞ」

「ホントだ。俺もその位かな?」


 その姿を見た啓一達は隆也達の隣にしゃがみ込むと、沢山の署名で埋め尽くされた署名簿を見て、安堵した様子であった。


「これだけ署名があれば大丈夫かな?」

「ええ、初日でこれだけ集まるなんて、思いもしませんでした。ありがとうございました!」

「申し訳ないですが、俺たちは明日、東京に帰らなくちゃいけないんです。新曲のレコーディングもあるし、瑞樹が間もなく高校受験なので、しばらくはこちらに帰ってこれないと思います」

「じゃあ、協力できるのは、今日だけ…?」

「ええ、残念ですが」


啓一の言葉を聞いて隆也は落胆したが、万里子は腰に手を当て、啓一を睨みつけながらたしなめた。


「私たちがこの場所に来れなくても、協力出来る方法はあるんでしょ、ね?啓一」

「ま、まあ……考えたら色々出てくるとは思うけどね」

「大丈夫よ。このケヤキを守りたいというみんなの願いが叶うよう、私たちも遠くから協力できる方法を探すから。だから、みんなはこれからも頑張って、署名活動を続けて欲しいわ」


 そう言うと、万里子は啓一とともに、大きく手を振りながら公園の外へと出て行った。

 最後に、瑞樹がサックスを仕舞いこんだバッグを担ぎながら、隆也の方へと歩み出た。


「今日は皆さんの一生懸命な所を見せていただき、ありがとうございました。今僕たちが住んでる東京の家の近くには、公園も、こんなに立派なケヤキの木もありません。皆さんの町にはこんな素敵な場所があるんですから、ぜひ守り続けて欲しいです」


 そう言うと、瑞樹は頭を下げ、先を急ぐ両親の元へと駆け足で去っていった。

 残された隆也達は、朝から署名を呼びかけ続けた疲れもあり、そして瑞樹から告げられた励ましの言葉に驚き、しばらくの間放心状態になった。


「素敵な場所、か。何だかこそばゆい言葉だな」


 隆也達が感慨に耽っていたその時、僕の真後ろから、ささやくような声が聞こえてきた。

 そっと後ろを見遣ると、そこにはあの弁護士一家の姿があった。


「ママ、あそこに立ってるおじさん達、何してるの?」

 娘のあいなが母親に語り掛けた。


「署名を集めてるんですって。この公園の木を切らないでくださいって」

「ふーん……ここの公園の木、切られちゃうの?」

「うん。今度この公園にいっぱい遊具を置くでしょ?その時、木が邪魔になるから切っちゃうんだって」

「へえ……」


 母親があいなの疑問に答えている傍ら、弁護士は冷めたような表情でつぶやいた。口元に、不気味な位の笑みを浮かべながら。


「まあ、せいぜい頑張って署名を集めるがいいさ。僕たちは、既に決まったことを計画に沿って粛々と進めていくだけだからね」







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