第54話 心強い存在
今年も暑かった夏が過ぎ去ろうとしていた。
この夏は、隆也と拓馬たちによる地道な努力のおかげで、去年に引き続きムクドリの被害が少なかった。
公園の改修計画については、あれから何も動きがなかった。
このまま動きがなく、何事もなかったかのように収まってほしいと願っていた。
そんなある日、樹木医の美絵瑠が僕たちの診察のため公園にやってきた。
いつものように、僕たちの樹皮をじっと見つめ、手でゆっくりと撫でまわしたが、その表情にいつになく元気がなかった。
「うん、大丈夫っ。でも、何か心配事があるのかなあ?私と同じように」
美絵瑠は、どうしてわかったのかは知らないが、僕たちの心情をあっさり見抜いていた。
「はい、今日の診察しゅうりょー!私がまたここに来るまで、元気にしてるんだよっ」
いつものようにあっさりした診察だったが、その声に張りがなかった。
美絵瑠は診察を終えて公園を後にしようとしていたが、去る間際に立ち止まって僕たちのほうを振り向いた。
その後、何も言わずに、すすり泣く声を上げながら両腕で顔のあたりを拭い、公園を去っていった。
『美絵瑠先生、どうして泣いてるんだろ?ひょっとしたら、美絵瑠さんは僕たちのことで、何か知らされてるのかな?』
『可能性はあるね。僕たちには何も知らされてないけど』
数日後、美絵瑠が僕たちの前に再び現れた。
この日は仕事用の作業服ではなく、かわいらしい私服で登場した。
ケビンの前に置かれたベンチに座ると、うつむきながらため息をついた。
『なんだろう、先生、失恋でもしたような表情してるね?』
『シッ!先生が聞いたら怒るぞ、ケビン』
その時、髪の長い中年の女性が公園に現れ、美絵瑠のすぐ隣にやってきた。
「理佐先生!」
「美絵瑠ちゃん。久しぶりだね?どうしたの?」
「わ、私…どうしたらいいか、わかんないんだもん」
美絵瑠の隣にいる女性は、以前僕たちを診察していた樹木医の理佐だった。
久しぶりに見た理佐は、かつて僕たちを担当した当時よりも顔が老けて、髪の毛に白髪が混じり、すっかり中年の女性になっていた。
しかし、漂ってくる色気とスタイルの良さは健在で、歳をとった今でも身体の線がきれいに出る洋服を着こんでいた。
美絵瑠は、理佐の姿を見ると、ベンチから立ち上がり、理佐の胸にそっと顔をうずめた。
「いつも元気な美絵瑠ちゃんが泣くなんて、よっぽどのことよね」
「だって、だって……このケヤキちゃんたちが」
美絵瑠の言葉は、僕たちの未来を暗示しているかのような気がした。
『ルークさん、僕たち、やっぱり……』
ケビンも、美絵瑠の言葉を聞いて悲観的な表情を見せた。
「市の方で、再びケヤキを伐採しようとしてるのね」
「うん。伐採されちゃうみたい。それもね、市役所じゃなくて、どっかの偉い人の言葉で決まっちゃったんだって」
「はあ?」
やはり、あの弁護士が市役所に提案した公園改修の計画が採用されてしまったのだろうか。
あの計画のままであれば、僕もケビンも伐採され、その跡地には遊具が整備されることになっている。
「私、今年いっぱいでここのケヤキちゃんの担当から外されて、よその公園に回されるんだって。知らないうちに話が進んでいて、すっごく悔しくって……」
理佐はしばらくの間、胸の中で泣き続ける美絵瑠の背中をさすりながら聞き入っていた。
「この公園のケヤキを私が担当してたのはもう二十年近く前だけど、あの時より公園の老朽化が進んできてるからね。改修が必要なのはわかるけどね」
「でも、まだまだ二本とも樹齢が若いじゃん?なんで伐採しちゃうのよ?」
「若くても、公園の改修計画上切られるなんてことは、よくある話よ」
「納得がいかないっ!ホントもう、私、激おこだから!」
美絵瑠の嗚咽は止まらなかった。
理佐はしばらく無言のままだったが、やがて美絵瑠の様子が落ち着いたのを見計らって、そっと問いかけた。
「美絵瑠ちゃん、私、もう現場から離れちゃったから、あまり力にはなれないけれど、何か出来ることが無いか、考えてみるね」
「ホント?」
「ホントだよ。先輩の私を信じられないって言うの?」
「ううん、だって、頼れるのは理佐センセしかいないもん」
「ありがとう、理佐センセ大好き~~」
そう言うと、美絵瑠は美香の頬にキスした。
「私にとって、理佐センセが最後の希望の星なんだからねっ。樹木医の仲間がみんな言ってたよ。以前ここに立ってたケヤキちゃんを救ったって」
「まあね。でも、あの時も大変だったのよ。役所って一度立てた計画を変更するのは本当に難しいからね」
理佐はため息をつくと、美絵瑠の背中を叩き、
「さ、私はまた仕事があるから、これで帰るね。いつまでも落ち込んでちゃだめよ。ここにいるケヤキの木には、いつものように元気で接してあげてね」
「はーい、がんばりまっす!」
美絵瑠は、額に手をあてて、にこやかな表情で理佐を見送った。
『ルークさんどうしよう……僕たち、やっぱり切られちゃうんだね?』
『そうだね。やっぱり、あの弁護士の計画が採用されちゃったんだね』
『僕はまだ若いのに!人間の勝手な夢で、僕たちの命が終わっちゃうなんて、酷いじゃないか!』
『ケビン、気持ちはわかるが、ケヤキである僕たちには何もできない。ただ結果を受け入れるしかないんだ』
『そうだよね。僕たちはケヤキだから、何もできないよね。でも……悔しい。悔しいよお』
泣き続けるケビンに、掛けてあげられる言葉は何も無かった。
僕自身、悔しい気持ちで一杯であったが、さっき美絵瑠が言っていた「理佐が『希望の光』である」という言葉、そして、かつてここに立っていたおじさんを、理佐が救ったという言葉が気になった。
確か先日、ここに来た市職員達が、おじさんはどこかに移植されたと言っていた。
おじさんの命を救ったのは、当時樹木医をしていた理佐だったのだろうか?
それが本当だとしたら、僕たちとしても、『希望の光』である理佐に一縷の望みを託すしかないと思った。
数日後、作業衣を着込んだ理佐が僕たちの元へとやってきた。
先日の美絵瑠との約束を果たすべく、久し振りに現場復帰ということなのだろうか。
理佐は到着するや否や、昔、僕やおじさんを世話してくれた時のように、幹や枝、樹皮、根っこまで一つ一つを見定めていた。
撫でまわしたり、挙句の果てに抱き付いたりするだけで判断する美絵瑠のやり方には未だに懐疑的だったので、理佐の丁寧な診察を受けると、不思議と安心感を覚えた。
「うん。別に問題はないね。確かに根っこが伸びすぎてるけど、この部分だけ切り取れば問題ないと思うけどなあ」
僕は、診察を続ける理佐のそばで、自分が疑問に思っていることを尋ねてみた。
僕の言葉が、理佐に届かないかもしれないけど、どうしても尋ねておきたいことがあったからだ。
『理佐先生、今、ケビンがいる場所に昔立っていたケヤキの木は、今はどこにいるんですか?』
しかし、理佐は僕の問いかけには何も答えず、黙々と作業を続けていた。
『僕、会いたいんです。おじさんに……いや、昔ここにいたケヤキの木に。どこにいるんですか?』
理佐は、相も変わらずひたすら作業を続けていた。
そして、立ち上がると、微笑みを浮かべながら、ようやく口を開いた。
「まだまだ元気よね。あなたはもうここに来て、三十年以上になるかしら?私がまだ二十代の頃にここに来たんだもんね。お互い歳を取るのは早いわよね」
それだけ言い残すと、道具を抱えて公園の外へと出て行った。
僕の問いかけには、何も答えずに。
僕はがっくりと肩を落としたけど、理佐の現場復帰は美絵瑠だけでなく、僕たちケヤキにとっても心強いということは間違いなかった。
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