第44話 そして、ひとりぼっち

 朝から春の暖かな日差しが差し込む1日、ひときわ大きなトラックが公園に横付けされた。

 作業員が、トラックから次々と降りて荷物を運びこみ始めた。

 傍で、隆也がその様子を、腕組みをしながら見守っていた。

 手伝うわけではなく、ひたすらじっと直立不動のまま、荷物が積み込まれていく様子を見守っていた。

 すると、妻の怜奈が作業用の手袋をはめたまま、タオルで額を拭いながら隆也の元に駆け寄った。


「お父さん、手伝ってよ!結構荷物多いのよ。私とシュウだけにやらせないで!」

「俺はやらねえよ。これはシュウが決めたことだろ?シュウにやらせろよ」

「何よ!お父さんって、どうしてそういうふうに素直じゃないの?」

「そんなの昔から見てりゃわかるだろ?」

「何もしないなら、邪魔だから、あっち行っててよ」

「はいはい。言われなくても、あっちに行きますよーだ」


 隆也は、子どものように拗ねると、近くの自動販売機に向かい、缶ジュースを買うと、ケビンの手前にあるベンチに極まりが悪そうな顔で腰を下ろし、勢いよくプルタブをこじ開けた。


「はあ、うまい!春だけど、まだまだ温かいコーヒーがうまいな」


 その傍らで、シュウは、作業員と一緒に冷蔵庫など大きな荷物をトラックに運びこんでいた。

 剣道で鍛えられ、それなりに体力はあるのだろうけど、背丈より大きな荷物を担いで時々ふらつくことがあり、見ていて不安になってしまう。

 大きなタンスを運び込もうとする時、隆也はついにバランスを崩し、地面にタンスを落としてしまった。


「だ、大丈夫!?シュウ!」


 怜奈は慌ててトラックから飛び降り、横倒しになったタンスの横でうずくまるシュウの元に駆け寄った。

 怜奈はシュウの様子を伺うと、怪訝そうな表情でシュウの背中を支えながら、公園のベンチで缶ジュースを飲む隆也の方向に向かって叫んだ。


「ちょっと、お父さん!何で一人で缶コーヒー飲んでるのよ?シュウが怪我してるわよ!どうしてこんな重い物、シュウ一人にやらせているのよ!?」


 しかし、隆也は構うこともなく、缶を口につけたまま、ベンチの上から動こうともしなかった。


「お父さん……最低!シュウ、何とか立てる?お父さんはもうほっといて、一緒に運ぼうね」

「ああ。何とか立てるから、大丈夫だよ」


 シュウは笑みを浮かべながら立ち上がると、衣服についた土やほこりを払い、怜奈と一緒にタンスを運び出した。

 隆也は一体、どうしたのだろうか?

 よその町の高校に進むため、この町を出ていくことを決めたのはシュウだから、全てシュウがやるべきという考えなのだろうか?

 もしそうだとすれば、考え方が大人げないように感じた。

 そして、隆也のいるベンチの傍に聳えるケビンも、僕と同じことを感じていたようだ。


『ルークさん、隆也さんが全然動こうともしないよ。何か声を掛けてあげたらいいのかな?』


『いや、無理だろ?僕たちケヤキの声なんて、人間である隆也に届くはずもない』


『そうか……何だかもどかしいよね。こういう時、僕たちは本当に何もできないよね』


『ああ。もどかしいけど、何もできないんだ。ただ、見守るしかないんだ』


 ケビンは、それ以上何も言わなかった。

 その時、ケビンの目の前に、シュウが姿を見せた。

 引っ越し作業は終わったようで、公園の傍に停めてあったトラックからエンジンをかけた音がした。

 その時、突然トラックの助手席の扉が開いた。

 トラックに乗っていたシュウがドアの外へと飛び降り、息を切らしながら隆也の元へと駆け寄ってきた。


「親父、俺、出発するよ」

「行ってらっしゃい」


 隆也はシュウに背を向け、相変わらずそっけない言葉で返事していた。

 シュウは前に進み出ると、目の前に立つケビンの姿をしばらくじっと凝視していた。


「ここの木、随分大きくなったよな」

「ああ。もうかれこれ10年近くになるな、この場所に植えられて」

「早いよな。俺がまだ小学校に上がったばかりの頃に植えられたからさ。この木は俺と一緒に大きくなった。昔は本当に小さな木だったのにさ。でも、この木がどんどん大きくなるのを見て、やばい、俺もこいつに負けないよう成長しないとなって、励まされたような気がするんだ」


 すると隆也は、シュウに全く顔を向けず、はるか遠くの空を眺めながら、まるで独り言を言うかのように呟きだした。


「俺もさ、以前この場所に立っていた木を見ながら大きくなったんだよ。その木は、この場所で、生まれてからずっと俺のことを見守ってくれてた気がしてさ。俺にとって、心の拠り所だった」


 そう言うと、隆也は立ち上がった。

 相変わらず、シュウに背中を向けたままの姿勢で。


「俺のことは気にしなくていい。でもな、この木のことは忘れるな。ここまでお前をずっと見守ってくれていたし、これからも、ずっと見守ってくれるだろう。あ、それからお前の剣道の練習相手になった木のこともな」


 シュウは何も語らず、しばらくの間静寂が続いた。

 やがて、シュウは何かを思い立ったかのように表情を変え、大きく息を吸うと、両手を口元に付けて腹の底から声を出し、叫んだ。


「俺、忘れないよ。この公園の木のことを。そして、親父のことを」


 隆也は、背を向けた姿勢のまま手を振ると、サンダルの音を響かせながら、遠くへと歩き去っていった。


「俺がまだ小さい頃から、親父が一生懸命剣道を教えてくれたから、剣道が好きになったし、ここまで強くなれたんだ!親父、本当にありがとう!ここまで育ててくれて、ありがとう!」


 シュウは、公園中に響き渡る位の大声で叫んだ。

 しかし、隆也は振り返ることも無く、その背中は、どんどん遠くなっていった。


「シュウ、いつまでトラックの人を待たせてるの?出発しないとダメでしょ?」

 怜奈がシュウに駆け寄り、ボストンバッグを手渡ししながらシュウをたしなめた。


「ああ、ごめんよ、母さん。もう行かないとね」


 シュウは、怜奈に背中を押されながらトラックの助手席に乗せられた。


「行ってきます、母さん。また、時々帰ってくるからな」


 シュウは助手席の窓を開けると、笑顔で怜奈に手を振った。

 怜奈は、ハンカチをポケットから取り出すと、目頭を押さえながら手を振った。

 そして、トラックの姿が見えなくなると、怜奈は顔を両手で覆い、しばらくの間、鼻をすすりながら泣いていた。


『シュウ、遠くに行っちゃったんだね』


『ああ、しばらくはここには帰ってこないだろうな。親父と同じでとことんまでやらないと気が済まない性格だからね』


『でも、ルークさんはこれで気が楽なんじゃない?剣道の練習相手になる必要が無くなったからね』


『ま、まあな。もうあんな痛い思いはまっぴらだよ』


 その時、隆也が一人、とぼとぼと歩きながら僕の方へと戻ってきた。

 片手に飲み干した缶ジュースを持ったまま、辺りをキョロキョロと見渡すと、大きなため息をついた。


「シュウは、もう行っちまったようだな」


 僕は、『うん、もう行っちゃったよ、何で見送りに行かなかったの?』と呟いたが、おそらく隆也の耳には届いていないだろう。


「大の大人が、子どもを前に『俺を置いていくな』とか『さみしい』って言えないよな。ただ『行ってらっしゃい』とか『がんばれよ』ぐらいしか言えないのがすごく辛くてさ……」

 そう言うと、隆也は目の辺りをそっと押さえた。

 目の奥には、かすかながら光るものがあった。


「ちょっと!お父さん!どこに行ってたのよ!引っ越しも手伝わず、シュウを見送りもせず、どういうつもりよ!?」


 その時、シュウを見送り、自宅に帰る途中の怜奈が金切り声を上げながら、隆也の元に近づいてきた。


「ごめんよ怜奈。あいつの顔を見ると、気持ちが辛くなるからさ……」

「何言ってんのよ?私だって辛いわよ。でも、だからと言って何もしないわけにはいかないじゃない?大体、あんな重い荷物をシュウ一人で運ばせるなんて、何考えてるのよ!」


 怜奈に詰問された隆也だったが、苦笑いしつつも「そうだな」とだけ答え、軽く頭を下げた。


「私に謝られても困るんだけど。シュウに謝ってよ!」


 隆也はなお苛立ちをみせる怜奈に背を向けると、背中を丸め、地面を見つめながら呟いた。


「おやじも、おふくろも、シュウもいなくなっちまった。何だかここに一人取り残されるみたいで、寂しくてさ……」


 落ち込んでいる隆也を見て、怜奈は、はぁ?と小声で言いながら苦笑いしていた。


「あのさ、私がいるじゃん」

「え?」

「だから、私がいるじゃん。お父さんは一人じゃないでしょ?」

「怜奈……」

「みんな居なくなって寂しいのは、私も同じだよ。でも、私たちがここにいなければ、シュウもお義母さんも、帰ってくる場所がなくなってしまうじゃない?だから、私たちは一緒にここで生きて行こうよ」


 怜奈はいたずらっぽい笑顔を浮かべると、隆也の腕を掴んだ。


「あーあ、今日はすごく疲れたな。私もお父さんと同じ缶コーヒー、飲みたいな」

「じゃあ…買いにいこうか?」

「うん!」


 隆也は穏やかな表情で怜奈に問いかけると、怜奈は笑顔で頷いた。

 春の暖かな日差しを受けながら、二人はゆっくりとした足取りで、僕の傍を通り過ぎて行った。



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