第45話 記念写真

 うだるような暑さが続く真夏の公園。

 僕やケビンに止まったミンミンゼミが、朝からけたたましい鳴き声を立てている。 

 頭上では、ムクドリが寄生し、夕方になるとこちらもけたたましい声で一斉に鳴きわめいている。

 最近は、僕よりもケビンの方に蝉やムクドリたちが多く集まりつつあるようだ。

 ケビンの背丈は、いつのまにか人家の2階程度にまで大きくなっていた。

 幹はまだ太くないものの、枝にはたくさんの葉が付き、彼らが身を隠すには十分である。彼らにとって、ケビンは僕よりも居心地が良いようである。


『ルークさん……すごくうるさいんだけど、何とかならないの?』


『無理だな。ケビン、これもケヤキの宿命だよ。僕もこれまでさんざんこの声に耐えてきたんだからな』


『もう何も聞こえないよ、頭がくらくらしそうだよ……』


『ケビン、マイナスに考えない方がいいぞ。君は蝉やムクドリたちにとって、居心地のいい木に成長したってことだよ。僕だって最初の頃は見向きさえされなかったけど、10年ぐらい経って、ようやく寄ってくれるようになったんだから」


『そうなんだ……それって、一人前になったってことなのかな?』


『ああ。僕はそう信じてる。だから、このけたたましい騒音もまんざら悪くないなって思うんだよ』


『へんなの……』


 その時、ケビンの真下に、肩に黒くて長いバッグを背負った短髪の若者が現れた。

 若者はベンチに腰を下ろし、ハンカチで額をぬぐうと、頭上にあるケビンの枝葉に目を遣った。


「お前、大きくなったなあ。昔は俺くらいの背丈しかなかったのに」


 そう言うと、若者はポケットから携帯電話を取り出した。


「もしもし、シュウだよ。今、やっとこの町に着いたんだ。母さんはどこにいるの?え、親父達と一緒にこっちに向かってるんだ?じゃあもうすぐ着くかな?うん、いいよ。俺はここで待ってるから」


 ケビンの真下にいる若者は、シュウのようだった。

 すっかり背丈が伸び、顔が大人びて、肉体もたくましくなったので、恥ずかしながらシュウが自分の名前を言うまで、全く気が付かなかった。


『シュウ、大きくなったなあ。ケビンとシュウ、どっちが大きくなったかな?』


『そ、そんなの、僕に決まってるだろ?』


『体つきはな。でも、シュウは少なくとも些細なことにビビったりしないぞ。見てみろよ、堂々としてるだろ?』


『ぼ、僕だって、台風とか来てももう平気になったよ。それに、見ず知らずの人が沢山来ても、昔みたいに驚かないしさ』


 ケビンが焦りながら、僕の言葉を必死に否定していた。


 その時、一台のワゴン車が公園の脇に横付けされた。

 そこには、隆也と妻の怜奈、そして車椅子に乗った君枝の姿があった。


「シュウ、待たせたな。おふくろ、なかなか俺達の言うこと聞いてくれなくてさ。結構時間食っちまったんだ」


 そう言うと、隆也は車いすを引いて君枝をシュウの所まで連れて行った。


「おふくろ、孫のシュウだよ。久しぶりに帰ってきたんだぞ。高校最後のインターハイも終わって、部活も引退して、やっと一息ついたんだってさ。今年のお盆はおふくろと一緒に過ごしたいって」

「シュウ?」


 すると、君枝はじっとシュウを見つめると、しばらく無言のまま、何度も首を左右に振った。


「誰だっけこの子?忘れちゃった、アハハハ」


 そう言うと、君枝はあっけらかんとした表情でシュウに背中を向けた。

 君枝は老人施設に入ってもう六年になるが、症状は以前と変わらないように見えた。彼女の記憶は、もう昔の状態には戻れないのだろうか?


「しょうがないな。まあ、一緒に過ごすうちに思い出しておくれよ」


 そう言うと、隆也は君枝の肩を両手で揉みながら大笑いした。

 思い起こせば、隆也の家族が全員揃うなんて何年ぶりだろうか?

 シュウは高校入学後、剣道の練習一筋でほぼ家に帰らず、帰るのは正月の数日間のみだった。

 君枝も施設から帰ることはほとんどなく、こちらも年1回帰ってくるかどうか、と言った所である。

 何年もの時を経て家族全員が揃ったことに、隆也は嬉しさもひとしおだろうと思った。

 真夏の強烈な太陽が刺すような光を僕たちに浴びせる中、隆也達はしばらくの間、楽しそうに会話を続けていた。

 その時、隆也は突然何かを思い出したかのようにポケットの中を弄りはじめ、カメラを取り出すと、ニヤッと笑った。


「さ~て、今日は何年かぶりに家族全員が揃ったことだし、折角だから記念撮影でもしようか?」

「うん、いいね。次またみんなが揃う事なんて何時になるかわからないし」

 怜奈も賛同した。


「よし、じゃあここで全員並んで!あ、おふくろは車いすのままでいいからね」


 怜奈は君枝の車いすを引きながら、僕の前に並んだ。

 シュウは、君枝の右隣に立った。


「あれ?お父さんは?お父さんが入らないと、家族全員の写真にならないでしょ?」

「俺は大丈夫だよ、今日の主役はシュウとおふくろなんだからさ」

「そんなのダメよ!家族全員で撮らなくちゃ、集合写真撮る意味がないわよ。誰でもいいから、写真を撮ってくれそうな人を探し出して、お願いしなくちゃ」


 怜奈が前に出て隆也からカメラを横取りすると、公園を行き交う人達に片っ端から声を掛け始めた。


「おい!俺が撮るから、他の人にお願いなんかしなくて良いって!」


 しかし、怜奈は隆也の声が聞こえていないのか、単に無視しているのか、相変わらず行き交う人達に次々と声を掛けていた。


「僕で良かったら、撮りましょうか?」


 たまたま近くを通り掛かった、若く背の高い男性が怜奈の声掛けに応じた。


「え?いいんですか?すみません!ぜひお願いしますっ!」


 男性は怜奈からカメラを受け取ると、そのままゆっくりと隆也達に近づいた。

 隆也は、男性を手招きすると、僕の方を指さした。


「この木をバックに撮ってくれるかな?」

「わかりました、じゃあ撮りますよ~。はいっ、チーズっ!」


 無事に写真を撮り終えると、男性は隆也にカメラを返した。

 隆也はカメラのボタンを押しながら、画像を確認し始めた。


「おお、良い感じだね!みんないい笑顔じゃん」


 隆也は納得した表情で、撮影してくれた男性に頭を下げようとしたその時、シュウが隆也の手を止めた。


「な、何だよシュウ。ちゃんとこの人にお礼を言わないとダメだろう?」

「あのさ、親父。あの木もちゃんと俺たちと一緒に写してあげないと」


 そう言うと、シュウは後ろを振り向き、ケビンの方向を指さした。


「ああ、そうだよな。お前にとっては、あの木が心の支えであり、ライバルだもんな」

 隆也は髪の毛を掻きむしると、家族を手招きし、ケビンの方向へと歩き出した。


「ごめんな、おばあちゃん。あの木と一緒に写真撮ってもいいかな?」


 シュウが君枝に問いかけると、君枝は何も言わず、目を閉じたまま軽く頷いた。

 ケビンの前のベンチにたどり着くと、隆也はさっき撮影に協力してくれた男性を呼び止めた。


「すみませ~ん!もう1枚、この木をバッグに撮影してください!お願いします!」


 お腹の底から大声を出して呼び掛け、思い切り頭を下げた隆也を見て、男性はとまどいつつも、

「ま、まあ、いいですけど……」

 と言い、隆也から再びカメラを受け取った。

 こうして、僕だけでなくケビンの姿も、隆也一家とともにカメラの中に無事収められることになった。


「さ、これで撮影終了!さ、家に帰ろうか。おふくろもシュウも、ゆっくり休んで行けよ」


 隆也はにこやかな表情でそう言うと、君枝の車椅子を押しながら自宅の方向へと歩き始めた。

 その時、突然シュウが隆也の前に立ちふさがるかのように立ちはだかり、拳を握りしめ、やや緊張気味に語りだした。


「親父、俺……大学でも剣道を続けたいんだ。高校時代は脇目も振らずに練習し、目標のインターハイにも出られたけど、ベスト16で負けちゃったし。だから俺、もっともっと、強くなりたいって思って。こないだ、東洋体育大学のコーチから声がかかったんだ。推薦試験、受けてもいいかな?」


 シュウの問いかけに、隆也は何も答えず、黙々と車椅子を押し続けた。


「親父!頼む!俺、まだまだ……」

「ここで負けたくないってか?」


 隆也は突然シュウを振り向き、シュウの言葉に口を挟むと、フフッと軽く笑った。


「行けよ。ここまで死ぬ気でがんばってきたのに負けておしまいじゃ、悔しいだろう?お前が納得いくまで、やってこい」


 そう言うと、隆也はそれ以上何も言わず、君枝の車椅子を押しながら自宅の中に入っていった。


「ありがとう……」


 シュウは小声でそうつぶやくと、隆也に向かって頭を下げた。

 隆也は何も言わず、自宅の奥へと消えていった。


 公園に一人取り残された怜奈は、撮影してくれた男性から受け取ったカメラで写真を確認すると、しばらくの間物思いに耽った後、ケビンと僕に写真を見せてくれた。


「ね、みんな、いい顔してるよね?次はいつ、みんな揃って記念写真を撮れるかな~?」


 怜奈はそう言うと、突然口を押え、声を上げて大笑いした。

 その後、ハッと我に返り、口を押えたまま慌てて自宅に戻っていった。


『ねえルークさん、今の奥さんの笑い方、何となく不自然な感じがしたんだけど…』


『それ、僕も思ったよ。どうしたんだろう?』


 僕やケビンの前で、久々に家族全員が揃って撮った記念写真。

 いつか再び、この場所で全員揃って撮ることができるといいのだが……。

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