第43話 自分で決めたことだから

 冬になると、日が暮れるのが本当に早い。

 中学生や高校生が公園の中を通り過ぎる時間になると、辺りが暗闇に覆われ始めた。

 隆也の一人息子・シュウも、鞄を抱えて公園の近くにある自宅へと向かっていった。シュウは中学三年生になり、すでに部活動を引退して、来春の高校受験に向け勉強を続ける毎日であった。

 シュウは中学校に進学すると、迷うことなく剣道部に入部し、勉強そっちのけでひたすら剣道に打ち込んでいた。

 今年は主将を任され、中体連では県大会まで勝ち進んだ。

 シュウは出場した試合は全て勝ち続け、チームを支え続けていたようであった。

 部活動を引退すると、受験勉強で忙しいからなのか、シュウは以前のように、僕を相手に練習をすることも少なくなった。

 もちろん、僕とすれば痛い思いをしないで済むので安心なのだが、それはそれで寂しいと感じてしまう。


 夜も更け、周囲の家々に明かりが灯り始めた頃、静寂を切り裂くように、隆也の自宅からものすごい怒声が響いた。

 そして、何やら物がぶつかり合うような強烈な音が響くと、門から誰かが飛び出し、公園の中へと走り去っていった。

 その姿は、スウェットを着込んだシュウだった。

 シュウは息を切らして僕の目の前で足を止めると、自宅のある方向に向かって大声で叫んだ。


「どうして誰も、俺の気持ちを分かってくれないんだよ!ちっくしょう!」


 そういうと、シュウは足を振り上げ、僕の幹の中腹辺りを思い切り蹴り上げた、


『グフッ!』


 僕は思い切り蹴られた衝撃で、思わず樹液が飛び出しそうになった。

 しかし、シュウの気持ちはまだ収まらないようで、今度は握りしめた拳を、僕の幹に思い切りぶつけた。


「どいつもこいつも、ぶっ殺してやる!!」


 僕は、剣道の練習で竹刀で殴られた時以上の衝撃を受けた。

 シュウは腕力があるせいか、殴られた時の威力は、樹木の定期点検で業者に木槌で叩かれた時と同じくらいの痛みが走った。

 シュウは攻撃の手を緩めず、再び僕に向かって拳を振り上げた。

 僕の幹の芯まで響くくらい、何度も何度も拳をぶつけた。

 その時、僕の幹に真っ赤な液体がべっとりついていることに気づいた。

 目を凝らすと、シュウの手から血がしたたり落ちていた。


「い!痛い……くそっ!」


 シュウは腕を押さえながら、再び僕に拳を下そうとした。

 対面に立つケビンは、心配そうな様子で僕の方を見ていた。


『ルークさん!その人、また殴ろうとしてるよ』


 その時、一人の男性が突然暗闇の中から現れ、シュウの両手を肘で強く押さえつけた、


「いい加減にしろ!」


 シュウは驚き、後ろを振り向いた。


「お、親父!?」


 シュウの両腕を押さえつけていたのは、隆也だった。

 隆也は鬼のような形相でシュウを睨むと、肘を離し、そのまま拳を握りしめ、シュウの頬を殴りつけた。

 シュウは、殴られた勢いで地面にうつぶせの姿勢で倒れ込んだ。


「な、何するんだよ、後ろから押さえつけるなんて、卑怯だぞ!」


 すると、隆也はシュウのスウェットを掴み、怒りをあらわにした表情で語りだした。


「卑怯もクソもあるか!俺の話をちゃんと聞かないで、逃げてばかりのお前の方が卑怯だぞ!それも、このケヤキの木に当たり散らすなんて、この木に何の罪があるんだ?」

「うるさい!親父こそ、俺の話から逃げてるだろ?俺は親父にどれだけ殴られても、希望を変える気はないからな!」

「剣道やるだけなら俺の行ってた地元の公立高校でも出来るんだぞ。何でそんな遠い町の学校に行かなくちゃならないだ?そこに行ったからって、レギュラーになれる保証はないんだぞ。全国から剣豪が集まってくる学校だからな!いい加減自分の実力を認めろ!」

「親父、俺はな、親父みてえな地元の学校で半端な剣道をしてる人間が嫌いなんだよ。俺はな、どこまでも強くなりたいんだ!地元の学校じゃ満足できないんだよ!」

「何だと!もういっぺん言ってみろ!」


 隆也は興奮気味に地面に突っ伏していたシュウを掴み、再び横面を殴り飛ばした。

 シュウは、力なく地面に倒れ込んだ。

 隆也は、興奮で顔を紅潮させたまま、僕の前で立ち尽くしていた。

 その時、隆也の妻・怜奈が公園の中に入って来た。


「お父さん!やめてよ!シュウが血を流してるじゃない!何でそんな殴りつけたりするの?」

「怜奈、お前は家に帰ってろ。シュウがどうしても俺の言葉を理解できないようだからな」

「シュウがどうしても行きたいっていうんだから、行かせてあげればいいでしょ?シュウが、自分にはこれしかないって思って決断したことなんだから。お父さんはどうして行かせたくないの?」


 隆也は言葉を止め、拳を握ったまましばらく言葉を濁した。

 その後、地面に倒れ込んだシュウの傍まで歩み寄ると、見下ろすような姿勢で再び声を張り上げた。


「立てよ、シュウ。これ以上意地をはらず、家に戻ってこい」

「い、嫌だ!帰りたくない!」

「ふーん……じゃあ、ずっとそこに居ろ」


 隆也はそう言うと、隣にいた怜奈に「帰るぞ」と一言ささやき、サンダルの音を響かせ、自宅へと戻っていった。


 辺りはすっかり暗くなり、北風が容赦なく吹き付ける中、シュウはずっと下を向いたまま地面に座り続けた。


『シュウ、元気出せよ。ここに座ってたんじゃ風邪ひくぞ。ごめんなさいって言って、家に入れてもらえよ』


 僕は、再度シュウに聞こえるかのように語り掛けたが、案の定、シュウは顔を伏せたまま、立ち上がる様子もなかった。

 その時、暗闇の中、コツコツとサンダルの音が僕たちの方に向かってくることに気づいた。


「おい、いつまで、むくれてるんだ?」


 風に紛れながら低く途切れがちに聞こえてきた声の主は、隆也だった。

 隆也は、地面に座り込んだシュウを見下ろすと、ため息をつき、そのままシュウの隣に腰を下ろした。


「お前も…俺と同じだよな」

「え?」

「俺、お前ぐらいの歳の頃に、親に反発して家出して、ここで煙草吸った記憶があるよ。『どいつもこいつも、偉そうなことばかり言いやがって』とか抜かしてさ。でも、ふとした瞬間に火が燃え広がって、当時ここに立ってたケヤキの木に燃え広がる所だったんだ。何とか消し止めたけど、後で親父に横っ面を張り飛ばされたな。煙草は取り上げられたけど、親父が亡くなる前にやっと返してもらったよ」


 そう言うと、隆也は夜空を見上げながら大声で笑った。


「周りと分かり合えなくて、何かに八つ当たりしたくなる気持ちは痛い程分かるよ。でもな、八つ当たりして、周りに迷惑をかけるのは止めた方がいいぞ」

「お、俺だって、好きでこんなマネしてるわけじゃないんだよ!」

「俺が、お前の行きたい高校に進学することを反対してるからか?」

「うん。だって……俺、そこにどうしても行きたいんだもん。小さい頃からやってた剣道が好きだもん。そして、強くなりたいんだもん」

「そうか……」


 シュウはうつむきながら、しかし、言葉の端々に強い意志を込めながら、隆也に自分の気持ちを必死に訴えていた。

 隆也は、相変わらず夜空を見上げたまま、しばらく無言で何か考えている様子だった。


「わかった。そこまでお前が言うなら、試験を受けてみろ。ただ、仮に合格して、途中で辛くなってしっぽ巻いて帰ってきたら、ただじゃおかねえぞ。わかってるな?」

「うん」


 シュウは、隆也の目を真正面から見つめながら、大きく頷いた。

 隆也は両方の掌を天にかざし、呆れた顔をしながらも、少しだけクスっと笑った。


「さ、もう夜も遅いし、寒いし、母さんも心配してるから、先に帰れよ。あ、そうだ、そこのケヤキの木に、八つ当たりして殴ったことを、ちゃんと謝っとけよ」


 すると、シュウは僕の手前に歩み寄り、僕の幹を何度も片手でゆっくりと撫でた。


「ごめんな、殴ったり蹴ったりして。お前が悪いわけじゃないのに」


 そう言うと、シュウはポケットに手を入れ、何度かよろめきながらも自宅へと戻っていった。


「あーあ、俺ってバカだよな。自分の味わったような辛い思いを、結局あいつにも味わせることになるなんて」


 隆也はシュウの後ろ姿を見届けると、髪を思い切り両手で何度も掻き乱しながら、後を追うように自宅へと戻っていった。


「あの頑固で自分を曲げない所、ひょっとしたら俺に似ちゃったのかな?」

 とだけ言い残して。


 □□□□


 数ヶ月後、いつものように帰宅途中の生徒達で賑わう公園の中を、シュウは息を切らして全速力で駆け抜けていった。

 片手には、掌より大きいサイズの封筒を握りしめていた。

 そしてその表情には、はちきれんばかりの笑みを湛えていた。

 シュウがこちらに近づいてくると、隆也と怜奈が玄関から公園の中に飛び出してきた。


「親父!母さん!俺、受かったよ!推薦入試」


 その時、隆也はうっすらと笑みを浮かべ、シュウの身体をそっと抱きしめた。


「よかったな、がんばったな」

「あれ~?親父、もう反対しないの?」

「バカ言うなよ。がんばってこい!自分が納得するまで、とことんやってこい!」


 シュウは隆也からの意外な答えに驚いた表情を浮かべつつ、今度は怜奈に合格通知を見せていた。


「あ~あ、寂しくなるなあ。また1人、家族が俺の元を離れて行っちまうのか……」


 シュウと怜奈が両手を挙げて喜んでいる最中、隆也はまるで僕にだけ聞こえるような声でボソッとささやくと、背中を丸め、とぼとぼと自宅に帰って行った。




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