第42話 思い出は遠くにありて

 秋の公園、僕たちケヤキにとっては、枝にびっしりと付いた葉が一気に抜け落ちていく季節である。

 葉は時折吹きつける北風に煽られ、空を舞って地面に落ちていく。

 春に若葉を付け、夏場に立派で青々とした葉に育っても、この時期になるとその全てが枯れて抜け去っていく。毎年のことではあるけど、僕たちが一番無力感を感じるのがこの時期である。


 早朝、隆也がシュウを連れて公園の中に入って来た。

 その片手には、大きな竹ぼうきがあった。


「わあ、今年もすげえな。おふくろはよくこれだけの枯葉を一人で掃いていたよな」

「父さん、もう、おばあちゃんはお掃除出来ないの?」

「だって、杖が無いと立つことさえ厳しいんだぞ。おまけに、俺たちの名前とか、ついちょっと前に言ったことすら思い出せないってことも増えてきてな。もう無理はさせないことにしたんだ」

「そうだよね。こないだ、僕の名前が思い出せなくて、ウーンウーンって唸りながら頭を抱えてたよ」

「……そうか」


 隆也は寂しそうな表情で、竹ぼうきを一生懸命動かしていた。


「父さん、僕、疲れちゃった。すっごい量なんだもん。おばあちゃん、これホントに1人でやってたの?」

「ああ。おじいちゃんが車椅子生活になってからはずっと1人でやってたよ」

「マジ?すげえ!よくやってたよね」


 二人は、三時間近くかかってようやく公園内の枯葉を全て掃き出した。

 作業が終わると、二人は公園のアスファルトの上に腰を着いてへたり込んでしまった。


「やばい、俺、腰を悪くしそう。明日仕事だっていうのに。まいったな」

「僕も、明日は剣道の練習なのに、膝がガクガクしてるよ」


 二人は立ち上がると、拾った枯葉を入れたポリ袋と竹ぼうきを持って、足をふらつかせながら公園を去っていった。

 ごめんね、隆也。僕とケビン二本分の枯葉で、拾い集めるのは相当大変だったのでは?と思う。ケビンも育ちざかりで、以前に比べると枯葉の量が増してきているし。


 枯葉が無くなり、綺麗になった公園に、突然、杖を突いた君枝が、竹ぼうき片手に現れた。


「さあ、今年もやらなくちゃ。私がやらなくちゃ、他の誰がやるんだい」


 君枝は、杖を地面に置くと、ふらつきながら必死に箒を動かした。

 しかし、枯葉はもう隆也達が全て片付けて、地面にはほとんど何も落ちていなかった。

 しかし、君枝は一心不乱に箒を動かしていた。


「お義母かあさん!何やってるの!?」


 買い物から帰ってきた隆也の妻・怜奈が君枝の姿を見て驚き、慌てて近寄ってきた。


「何してるって、掃除だよ。今年もいーっぱい枯葉があるからね。私がやらなきゃ、誰もやらないんだからさ」

「もう、うちの隆也とシュウが片付けたわよ!地面には何も落ちてないでしょ?それに、杖も無しで、転んで頭を打ったらどうするつもりなの?さ、もう帰りましょ!」


 怜奈は、君枝から竹ぼうきを奪い取ると、君枝の身体を支えながら自宅に連れ帰ろうとした。


「何するんだい!大体、あんた誰なの?この町の人間なの?よその人間がしゃしゃり出て余計なことするんじゃないよ!」

「誰って、怜奈だよ!わからないの?れ・い・な。あなたの息子の嫁ですよ!」

「れ、い、な?」


 君枝は、言葉の韻を踏みながら首を振った。

 そして、ようやく誰なのかを理解したようで、怜奈の顔をじっと見つめた。


「あたし……何しようとしてたんだ?」

「公園のお掃除よ。隆也から何も聞かなかったの?もう終わったって言わなかったの?」

「言ったような、言わないような……」


 怜奈は額に手をあてため息をつくと、君枝の肩を抱えながら、自宅へと戻っていった。


『ルークさん、あのおばあさん、大丈夫なの?何となく、意思疎通ができていないように感じたけど』


『ああ、君枝さん、もうだいぶ歳だからなあ。旦那さんが亡くなってから、年々元気が無くなってきたし。ちょっと心配だな』


 夜、強い北風が吹き抜ける中、誰かがケビンの元へと近づいていった。

 目を凝らすと、竹ぼうきを持った、君枝だった。

 君枝は、夜真っ暗なのにも関わらず、箒で丁寧にアスファルトの上を掃除し、わずかに残っていた枯葉をかき集めた。

 やがて、作業が終わると、ケビンの前にあるベンチに腰を下ろし、着ていた半纏で額を拭った。


「ふう、疲れた。今年も綺麗になったね」


 そういうと、君枝は吹き付ける冷たい北風も気にしない様子で、うつむきながら何やら独り言を言い始めた。


「うれしい。このレコード、欲しかったんだあ。」

 え?レコードなんてどこにもないし、誰も渡す人なんていないのに、一体何をいっているのだろう?


「隆也、いい子だからもうねんねしな。寒いだろ?お母さんの背中で温まりな」

 隆也はもう立派な大人だし、最近は白髪が混じってきているのに、ましてやあんなに大きい体で、君枝の背中でどうやって温まるのだろう?


「隆也、今日は頑張ったねえ。デパートのレストランに連れてってあげるよ。何でも好きなの食べなさい」


「隆也、お帰り。東京での生活は苦しくて大変だろ?美味しいもの沢山作ったから、腹一杯食べて行きなさい」


 君枝は一体、誰と話をしているんだろう?

 僕たちは、君枝の話を聞きながらしばらく途方に暮れていた。

 その時、君枝はベンチを降り、ケビンの身体にそっと触れながら再び独り言を言い始めた。


「あんた、変わらないねえ。私がここに嫁に来てからずっとここにいるんだもんねえ。あんたが私にとって、心の支えだよ。あんたがここに変らず立ってるから、安心するんだよ」


 そういうと、君枝は笑みを浮かべて、ベンチに戻り、ケビンの姿を見つめながらしばらくの間、独り言を呟いていた。

 やがて、そのままベンチの上で下を向き、動かなくなってしまった。


『ケビン!?そのおばさん、大丈夫かい?さっきから全然動かないけど』


『ああ、寝てるよ……すやすやと』


『え?こ、こんな北風が吹いて寒いのに、寝ちゃったの?』


 僕たちケヤキでは、君枝をどこかに連れていくことはできない。ただ、彼女が眠っている姿をここで見届けることしかできない。

 僕は遠目に見届けながら、君枝がこのまま凍死しないことをひたすら祈り続けるしかなかった。


 やがて暗闇が徐々に明るくなりはじめ、太陽の光が辺りを包み始めた。

 しかし、君枝は相も変わらずずっとベンチの上で眠り続けていた。


「お義母かあさん!お義母かあさん!」


 怜奈が叫ぶ声が、僕の耳に入って来た。

 朝になり、家族がようやく君枝が居ないことに気づき、手分けして探し始めたようである。


「おい!あの木の下にいるのがそうなんじゃないのか?」

「え!?あのベンチで横たわってる人が?」


 隆也が君枝の姿を見つけると、慌ててこちらに駆け寄ってきた。


「おふくろ!おふくろ!起きてるのか?おい!」

「お義母かあさん!」

「やばい、とりあえず救急車呼ばないと」


 隆也達の様子を見て、ただならぬ雰囲気を感じた。

 そして、何もできなかったことへの悔いの気持ちが渦巻いた。

 ケヤキである自分達は、見守ることしかできないのだろうか?

 とりあえず、今は君枝が助かることを、ここで祈るしかなかった。


 その夜、隆也がポケットに手を突っ込んで、ふらふらと歩きながら僕たちの方に近づいてきた。

 そして、何も言わずに、ケビンの手前にあるベンチにどっかりと腰を下ろした。


「はあ、今日は疲れた。とりあえず助かったけど、このまま我が家で面倒見続けるのは難しいな、おふくろのことは」


 そういうと、隆也は頭を抱えながら、うつむき加減の姿勢で言葉を発した。


「俺、もう自分の気持ちは決まったんだ。正直辛いけれどさ、おふくろを、介護施設に入れようと思うんだ。夜の徘徊はこれで三回目だし、もうこれ以上、俺たちの手には負えないよ」


 隆也の言葉は、最後の方に行くにしたがって、ほとんど聞こえない位にか細くなった。

 君枝には可哀想だが、介護する家族としては、この結論は止むをえないのだろう。


「俺さ、以前ここに立ってたケヤキの撤去反対運動をやってたんだけど、最終的には俺自身が賛成に回って、ケヤキが撤去されてしまった。もう二度とあんなことはしたくなかったけど……でも、でも、世話する俺たちも限界なんだよ」


 そういうと隆也は、シャツで目の辺りを何度も拭い、ベンチから立ち上がった。

 最後に「人間って、勝手な生き物だよな」とだけ独り言のように言いながら。


 数週間後、介護施設の名前の入った送迎車が、公園の手前に停まっていた。

 何人かの職員が、荷物を次々と車の中に入れ込んでいた。

 そして最後に、君枝が隆也と怜奈に支えられながら、車の中に誘導されていった。

 君枝はうつむき、寂しそうな表情をしていたが、車に乗る手前で突然、僕たちの方を振り向いた。

 そして、軽く頭を下げ、ほんの一瞬であるが、ニコッと笑った。

 

 「さあ行くよ、おふくろ」

 君枝は、隆也達に急かされるように手を引かれながら、車へと乗り込んでいった。


 こうして、この場所でここに来てから顔なじみのある人達がどんどん僕の元から去っていった。

 寂しいけれど、これが時代の流れというやつなんだろうか。

 僕たちケヤキは、それをただ黙って見ているしかないのである。

 残された思い出だけが、それぞれの記憶の中に生き続けている。

 たとえどんなに老いぼれても、どんなに遠くに離れて行っても。

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