第36話 故郷

 ――どれだけの時間が経っただろうか?

 暗闇に包まれた夜に次第に朝陽が差し込むかのように、僕の目の前が徐々に明るくなり始めた。

 次第に意識が戻った僕は、辺りを見渡すと、そこには今までとは全く違う景色が広がっていた。


 楽しそうに遊ぶ小鳥たちの声、轟音を立てて時折強く吹き付ける風の音、周りを取り囲むかのように立ち並ぶ山々の姿、その山々から風に乗り漂ってくる濃厚な木々の香り、突き抜けるかのように真っ青な空。

 そして、所狭しと並んでいる沢山の松やケヤキの苗木たちの姿――。


 それは、紛れもなく僕が生まれ育った造園会社の風景だった。

 まるで50年前の世界に引き戻されてしまったかのように、全てがあの頃のまま残っていた。

 

 僕は町中の公園から根こそぎ撤去され、そのまま自分の命も絶えたと思っていた。

 念のため僕は自分の身体を確かめると、枝が剪定されて以前より身長は低くなったものの、色も形も以前のままであった。

 根は地面にしっかりと張りめぐらされ、幹も以前のような不安定さはなく、まっすぐに直立していた。

 呼吸も出来ているし、養分もちゃんと体中を廻っている。


 どうやら僕は、奇跡的に助かったようだ。


「よう、どうだい?久しぶりの故郷は?」


 その時、暖かそうな大きなジャンパーに身を包んだ髭面の男性が僕の方に近づいてきた。

 あれ?この人…どこかで見たことがあるな。

 髭に覆われた顔の隙間から見える表情は、僕の記憶が間違いでなければ、小さい頃に世話をしてくれた造園会社のおじさんに似ていた。


「お前も可哀想にな。震災で壊れた公園の巻き添えを食らっちまったんだな」


 そういうと、髭面の男性は僕の身体に手を当て、髭面をほころばせながら笑った。


「俺の親父が言ってたよ、お前は特に自慢のケヤキだったって。本当は外に出したくは無かったけど、町からの要請で涙ながらに送り出したって言ってたよ」


 あれ?この人、造園会社のおじさんでは無いんだ?

 でも、おじさんのことを「親父」って言ってたから、きっとこの人はおじさんの息子なんだろう。とりあえず僕は、この人のことをおじさんと区別するため、「息子さん」と言おうと思う。


「親父は、死ぬ前にもう一度お前に逢いに行きたいって言ってたぞ。でも、親父は重い病気でな、自由に外出させてもらえなくて、そのまま逝ってしまったよ。もうかれこれ20年位前になるのかな?」


 息子さんの話を聞いた限りでは、造園会社のおじさんはもうこの世にはいないようだ。

 あれから時が経過しているから仕方がないとは言え、自分を手塩にかけて育ててくれた恩人を失ったことは、やっぱり寂しいものである。

 

「お前、市役所の計画で無理やり撤去されて、正直辛かっただろう?でもな、最初の計画では、お前の身体をチェーンソーでズバッと切断して、製材加工して公園のベンチの材料にするつもりだったんだぞ。でも、それじゃあお前があまりにも可哀想だからって、理佐先生が頑張って、市役所に掛け合ってくれたんだぞ。お前を何とか生かす方法は無いかって、奔走してくれたんだ」


息子さんは、栄養土を入れ、枝や幹に支柱を立てて弱っている部分を補強するなど、僕の養生作業をしながら、僕に語りかけるかのように話し続けた。 

理佐先生って、樹木医の先生の事だろうか?

ということは、先生が、僕の保存に動いてくれたって事だろうか?


「震災で公園の地面がえぐれた影響で、根っこが弱くなって幹を支える力を失っていたけど、幸い、致命的なダメージまでは受けていなかった。だから、まずは根っこをしっかり養生するために、あの公園から移植させる方向へ計画を見直したんだ。移植は根っこを丁寧に取り除く必要があるから作業が大変だし、予算もかかるから、上局を納得させるのに苦労したって言ってたな。理佐先生は、この件で自分は公園の樹木医から降ろされてもいいからって言って、若い職員と一緒に交渉を続けていたみたいだよ。良かったなあ、何とか首の皮一枚でお前の命が繋がったんだよ。理佐先生に感謝しろよ」


 そうだったんだ…樹木医の先生が言ってた「最後のプレゼント」って、きっとこのことだったんだな。

 それに先生は、あの時、自分は公園の樹木医を辞めて若手に譲りたいって語っていた記憶がある。おそらく、相当な覚悟をもって交渉に動いたのだろう。

 彼女なりに、僕に対する思い入れがあったのだろうか?

 それとも、隆也達の僕を守ろうとする熱意に突き動かされたのだろうか?

 真相は分からないけど、今は先生のがんばりに心から感謝したいと思った。


 とりあえず、先生の献身もあって、僕は、奇跡的に生き残ることができた。

 久しぶりに味わう僕のふるさとの空気は、あの時のように優しく澄み渡っていた。

 空気を吸い、吐き出すうちに、心なしかすごく生き返ったような気がした。


「お前、今まで町のどまん中の公園にいたから、疲れただろう?車も多いし人も多いし、最近はマナーのなってない奴らが増えているからな。結構、苦労してたんじゃないか?」


 養生作業を終えた息子さんは、煙草をポケットから取り出し、紫煙をくゆらせながら僕の方を見つめていた。

 確かに、色々気苦労はあったけど、僕はあの町で多くの人達に支えられ、ここまで生きてこられた。

 沢山の出会いがあり、思い出があり、喜びも悲しみもあった。

 あの場所に居なければ、今の僕は無いのも同然である。

 煙草を吸い終えた息子さんは、僕の方に近づくと、ヤニだらけの歯を見せて笑いながら僕の幹を撫で、再び話し始めた。


「とりあえず、しばらくはここで、ゆっくり休んで行けよ。お前には、もう一仕事してもらわなくちゃいけないからさ」


 え?もう一仕事?

 今後はもうどこにも行かず、この造園会社の敷地内で余生を送るのではなかったのか?またどこか知らない町に行くことになるのだろうか?

 自分としては、折角自分の生まれ故郷に戻ってきたんだから、多くのケヤキ仲間に囲まれながら、ゆっくり余生を過ごしたいと思っていたのだが。


 □□□□


 僕が生まれ育った造園会社に戻り、1年が過ぎた。

 冬が過ぎ、梅の花がほころび、うぐいすの声が山里にこだまし始めた頃、普段は閑静な僕の造園会社は、朝から騒音に包まれていた。

 夜が明けたと同時に、大型トラックとクレーン車が次々とやってきて、僕の手前に横付けされた。

 すると、作業服を着た若い作業員がバックホーで穴を掘り起こした。

 その後、以前公園から撤去された時と同じように、僕はクレーンに引っ張られて横倒しにされ、ゆっくりとトラックの上に載せられた。

 僕は再び根元まで掘り起こされ、徐々に意識が遠のいていった。

 その時、息子さんの声がかすかに聞こえた。


「せっかくここに帰って来たばかりなのに、悪いな。お前にはぜひ行ってもらいたい場所があるんだ」


 今度は、この僕を一体どこに連れて行くつもりなのだろうか?




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