第37章 大きなケヤキの樹の下で
――車で揺られること数時間。
目を覚ますと、そこには大きく広い芝生が僕の目の前に広がっていた。
はるか遠くには、青く光る大きな水溜りが見えた。
けど、水溜まりにしてはずいぶん大きいし……あれは一体何なんだろう?
水溜りの手前には、まるで廃墟のような荒涼とした街並みが広がっていた。
あの町では一体、何が起こったのだろうか?
その時、造園会社の息子さんが、作業服のポケットに手を突っこんだまま、僕の目の前に現れた。
「お前はこれからは、ここでがんばってもらうことになった。この町は、3年前の震災で起きた津波の被災者が集団移転して出来たんだよ。この公園もつい先日出来たばかりでね、公園のシンボルツリーとしてお前を贈ることになったんだ」
そう言うと、息子さんは煙草をポケットから取り出し、一服しながら語りだした。
「この町、眺めが良いだろう?津波から逃れるために、丘の上に出来たんだけど、ずっと向こうに広い海が見えるし、時々船が行き交うのも見れるしさ。山暮らしの俺たちには羨ましいよ」
あの果てしなく大きな水溜りは「海」って言うんだ。僕はここに来て、生まれて初めて「海」を見た気がする。
「この公園のある団地に住んでるのは、津波で家を失った人達がほとんどだ。海の近くに廃墟になった町が見えるだろ?元々はそこに住んでいた人達だよ。自宅や家族を失って落ち込んでる人達も多いから、元気にしてあげておくれ」
そういうと、息子さんは僕の幹の辺りをポンと強く叩き、笑顔で手を振って、トラックに乗り込んでいった。
こうして僕は、50年前のあの時と同じように、ひとりぼっちになった。
全く知らない町の、全く知らない公園の中で。
僕の目の前には、木製のベンチが置かれていた。
公園を見渡すと、カラフルに色付けされた沢山の遊具が置かれ、花壇にはたくさんの草花が植えられていた。
公園の隣には、集会場のような建物があり、時折、この団地に住んでいる高齢者たちが出入りしている姿が見られた。
そして、僕の背後には、白塗りの大きなマンションが何棟か軒を連ね、その周りにはこれから建築する家の骨組みが何組が出来上がっていた。
おそらくこの場所は、これから一つの町になっていくのだろう。
しばらくすると、集会所から出てきた老夫婦が、僕の目の前にあるベンチに腰を下ろした。
「じいさん、こんな所に大きな木が!」
「こ、これは、鎮守さまの大ケヤキか?」
「鎮守さま?」
「そうだ、町の鎮守さまの境内にある、樹齢200年のケヤキだ」
「まさか、この場で会えるなんて、ありがたや、ありがたや」
そういうと、老夫婦はまじまじと僕を見つめると、両手を合わせ、頭を下げた。
鎮守さま?境内?樹齢200年?それに…皆さんには会ったことないんですけど。
すると、紺色のジャケットを羽織った品のよさそうな白髪の男性が、二人の後ろから近付いてきた。老夫婦は、男性に気づくと、僕を指さして、興奮気味に話しだした。
「区長さん、あれ!鎮守さまの大ケヤキが!まさか、ここで再び会えるなんて、夢みたいだよ」
すると、区長と呼ばれた男性は声を出して大笑いしながら、夫婦の肩に手を置いた。
「この木は鎮守さまの大ケヤキじゃないよ。鎮守さまは津波で丸ごと飲み込まれたし、ケヤキは根っこからもぎ取られてしまったよ。でも、この木はあの大ケヤキとウリ二つだよ。きっと、これからここで暮らす俺たちのことをずっと見守ってくれるに違いないさ」
そういうと、夫婦は区長に促されながら、団地の方へと歩き去っていった。
僕は正直、どう反応したら良いか分からなかった。ここまで生きてきて、両手を合わせて崇められたことなんて一度も無かったから、何とも複雑な気持ちになった。
やがて、髪の毛が茶色の男性がぶらぶらと公園の中を歩き、僕の目の前のベンチにドカッと音を立てて腰かけた。ベンチに手をかけながら貧乏ゆすりをして、どこか落ち着かない様子だった
そこに、長い茶髪をなびかせながら若い女性がやってきた。
エプロンを付けたままなので、仕事か家事を途中にしてやってきたのだろうか。
「どうしたの?カッちゃん。急にこんな所に呼び出して。私、まだ仕事中なんだよ」
「
そういうと、カッちゃんという男性は、ポケットから古ぼけた箱を取り出し、志乃という女性に手渡した。
「これ…何なの?」
「明日から遠洋漁業でこの町をしばらく離れるんだ。その前に、これを渡そうと思ってね。こないだ、お前の親父さんと一緒に津波で壊れた志乃の家を解体している時に見つけたんだ。死んだお前のおふくろが大事にしていた形見だって言われて、親父さんから渡されたんだよ」
志乃は箱を開けると、そこには真珠のネックレスが姿を現した。
「これ、お前にあげるよ。俺からの気持ちもこめて」
「え?これを?」
「親父さんとおふくろさんには言われてたんだ。
「お父さんと、お母さんが?」
「俺、正直悩んでいたんだ。稼ぎの少ないしがない漁師だからさ、今のままでお前を幸せにできるかってね。でも、このネックレスを親父さんから渡されて、やっぱり俺が志乃を守らなくちゃって思ってね」
そういうとカッちゃんは立ち上がり、志乃の首にそっと手を回し、白く丸い球が多く付いたネックレスをかけてあげた
「カッちゃん!嬉しい…!!」
「俺はしばらくここには帰ってこれねえ。でもな、帰ってきたら、お前のことを幸せにするから!この木の下で会おう、約束だぞ」
志乃は嬉しそうに頷いた。
二人はやがて寄り添い、そのままゆっくりと唇を重ね合わせた。
あれ?この
そして、隆也一家の時のように、この人達とは家族ぐるみのお付き合いが始まりそうな予感がするんだけど?
たとえ時代が変ろうと、そして場所が変わろうと、歴史って繰り返すんだな…としみじみ納得した。
こうして、出来たばかりのこの町で、僕の新しい生活が始まった。
丘の向こうに広がる海は太陽に照らされてまばゆく光り、海から吹いてくるしょっぱいけれど心地よい風が、僕の枝を優しく揺らしていた。
この町の人達は、災害で色々な物を失っても、なお立ち上がろうとしている。
けど、ケヤキである僕には、この町のために、町の人達のために直接できることは何も無い。
そんな僕だけど、この公園のケヤキの樹として、命が続く限り、新しい町の行く末を見守り、町の人達の背中を見守っていこう。
この町の人達の心の支えになれるように。
それがケヤキである僕の宿命であり、僕の存在意義なのだから。
※本編はここで終了となります。この後エピローグがありますので、もう少しだけお付き合いくださいね。
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