第32話 暴走

 市役所の永池課長から下された、僕を「撤去」するという最終判断を聞き、隆也は脱力したのか、地面にへたり込んだ。

 その後しばらく隆也はうつむき、立ち上がる気配を全く感じなかったが、やがて少しずつ顔を上げた。

 その顔色は、怒りで真っ赤に染まっていた。


「『撤去』だあ?お前ら、俺たちの努力と汗と、市民の声を何だと思ってやがるんだ?」


 永池課長は、隆也の顔を見て怖気づいたのか、頭を下げながら「ごめんなさい」と一言だけ告げた。


「この木に対する俺と、市民の思いがどれだけ詰まってるのか、お前らは本当に分かっているのか?ふざけてんじゃねえよ!」


 隆也は立ち上がると、物凄い勢いで永池課長の元へ走り寄り、胸倉を掴もうとした。

 永池は何度も頭を下げたが、隆也は引き下がらなかった。


「俺はな、この木と人生の苦楽を共にしてきたんだ!俺が辛くても、こいつは俺のことをずっと見守ってくれた。この木が無かったら、俺はここまで頑張って生きて来れなかったんだ!だから、俺は自分の出来る限りのことをしようと、あれだけの署名を集めてきたんだ。それを…お前らは分かってんのか?どうしてそんなにやすやすと『撤去』だなんて言えるんだ?おい!聞いてんのかよ!?」


 隆也はこぶしを握り、ひたすら頭を下げる永池課長の頭上辺りに振り上げた。


「ちょっと!そんなことをしたらあなたは公務執行妨害になるんですよ!冷静になって私たちの話を聞いてもらえませんか!?」


 危機を察した男性職員の早田と井口が、慌てて隆也の腕を掴んで止めようとした。

 しかし、隆也が邪魔だと言わんばかりに腕を思い切り真横に振ると、二人はその勢いで吹き飛ばされ、地面に倒れこんだ。


その時突然、僕の目の前を1台の車椅子が通りかかった。

車椅子に乗った男性は、倒れ込んだ職員達の背後へと、自分の手で車輪を回しながらゆっくりと近づいていった。


 隆也は永池課長に一歩ずつ歩み寄ると、再び拳強く握りしめ、頭上から振り下ろそうとしていた。


「この裏切り者が!お前なんか、こうしてやる!」


 隆也が怒号とともに拳を振り下ろそうとしたその瞬間、何かが大きな音を立てて隆也の背後にぶち当たり、隆也はバランスを失って地面に倒された。

 永池課長は両手で顔を押さえていたが、殴られた形跡は無かった。

 そして、永池課長の前には、車椅子に乗った敬三の姿があった。


「お、親父?どうしてここにいるんだ!?」


 敬三は隆也にぶつかった衝撃で少しふらついていたが、やがて車いすに手を添えて体勢を立て直すと、そのまま片手で隆也の頬を、公園中に響き渡る位の音を立てて引っぱたいた。


「いててて…何すんだよ!親父、邪魔なんだよ!俺はこいつらに話があるんだ!家に帰って大人しく休んでろよ!」

「お前…何も…分かっちゃいない。お前…中学生の時、何事も上手く行かなくて…ここでタバコを吸っていた時のことを…もう、忘れたのか?」

「はあ?なんで今ここで、そんな昔のことを話すんだよ?」


「いい加減にしなさい、隆也!何でお父さんの言うことが分からないの?」

 敬三の背後から、車椅子を引いていた君枝が腕組みをしながら姿を見せた。敬三の身を挺した説得にも関わらず、態度を全く改めようとしない隆也にしびれを切らしている様子であった。


「隆也、自分の思う通りに行かないからって、何かに八つ当たりしたりするのは、昔からあんたの悪い癖だよ!お父さんは、あんたの行き過ぎた行動を心配していたのよ。ここに居る市役所の皆さんの事情を察しようともせずに」

「事情?バカ言うなよ?おふくろも俺が集めてきた分厚い署名簿を見ただろ?地元の町内会も陳情書を出してくれただろ?それをやすやすと裏切り、踏みにじろうとするこいつらを絶対に許せない。ただそれだけだよ」

「あんたの気持ちは痛い程分かる。でもね…この木との思い出は自分の中で大事にしていけば、それでいいじゃない?無理やり守ることばかりが、この木の幸せではないのよ」

「この木の幸せは、無意味な伐採から守ることだろ?大体さっきから、親父もおふくろも一体何なんだよ!役所の味方して、俺の邪魔ばかりしやがって。もういい、俺は、この木を守ろうとする意志のある人たちと一緒に、断固戦うつもりだからな!」


 そう言うと、隆也は背中を向けて、自宅へと走り去っていった。

 

「待ちなさい隆也!お父さん、一緒に隆也を追いかけるわよ」


 しかし敬三は、車椅子の上でずっと目を閉じたまま、頭を振り子のように上下に振っていた。


「あ、あなた!大丈夫?」


 異変に気付いた君枝は、敬三の肩をゆすって問いかけたが、返事が返ってこなかった。


「お父さん、ぶつかった時の衝撃が強かったのかもしれないわね。念のため、救急車を呼んだ方がいいわね」


 樹木医の先生は敬三の肩を押さえると、表情をじっと観察し、異常を察知したのか、慌てた様子でポケットから電話を取り出した。


「奥さん、すみませんでした。この私が殴られれば、こんな大事にはならなかったですよね」


 永池課長は、敬三の様子を確認すると、君枝の前で深々と頭を下げた。


「いや、皆さんが殴られた方が問題になるでしょ?隆也が公務執行妨害で逮捕されるかもしれないし。だから、私の夫が、身を挺して皆さんの身代わりになろうとしたのかもね」


 君枝はハンカチで目頭を押さえた。


 その時ちょうど、真っ赤なライトを付けた救急車が公園の前に到着し、白衣を纏った人達が敬三を車いすから降ろすと、ゆっくりと救急車の中に搬送していった。

 君枝は、職員達の前で頭を下げると、白衣の人達に促されながら救急車に同乗した。


「はあ…何だか、大変なことになっちゃいましたね」


 井口は、救急車を見送ると、大きなため息を付いた。


「あの隆也って人、また私たちに対して徹底抗戦するつもりだわ。もう私、嫌になっちゃう。課長がちゃんと筋道立てて説明せずにいきなり結論話しちゃうし、隆也って人もこっちの説明をきちんと聞こうとしないし、どっちもどっちだわ」


 樹木医の先生は、やれやれと言わんばかりに両方の手のひらを上にかざし、ブツブツと不満を口にし始めた。


「あーあ、皆で時間をかけて、知恵を絞れるだけ絞って結論を出したのにさあ。これじゃまた、話が振り出しに戻っちゃう。この木も去年の震災から傷んだままずっと放置されて本当に可哀想だわ、ね?ケヤキ君」


そういうと、樹木医の先生は、僕に近寄り、両方の腕で僕の身体をさすってくれた。

先生の香水と熱い吐息、腕から伝わるぬくもりに、僕は一瞬でとりこになってしまいそうだった。

こんな感じで、たくさんの木々が先生のとりこになってきたんだろうなあ…。


「先生、僕らは予定通りに工程を進める予定です。これ以上予定を延ばすと、この公園の工事自体が遅れますし、木もダメージが大きくなるし、何よりこの計画を承認してくれた上局に説明がつかないですから。それにここで一度断念して、来年、もう一度この工程をやろうとしても予算が付くか分からないですし」


早田は、ノートをめくりながら、冷静に訥々と工事を進める必要性を樹木医の先生に説明した。


「そうよね。早田ちゃんの言う通りね。さ、今日はもう帰りましょ。特に課長、これで落ちこんじゃダメよ。私たちの仕事は、まだこれから始まるんだ・か・ら!」


そういうと、樹木医の先生は、敬三の件ですっかり落胆しうつむいている永池課長の肩を叩くと、にっこりと微笑み、そっと目配せした。


「先生、申し訳ありません、こんな私のことまで…」


□□□□


週末、僕の周りには多くの人達がぞろぞろと集まってきた。

ある人はプラカードを持ち、またある人はメッセージの描かれた横断幕を掲げていた。

やがて公園の中に隆也が現れると、集まった人達から拍手と歓声が沸き起こった。


「署名を通して、そしてインターネットを通して僕の呼び掛けに応じ、ここにお集まりの皆さん!年末の忙しい中、ありがとうございます!これから俺たちは、市民の声を無視して独断でこの木を撤去しようとする市役所に抵抗するため、市役所まで練り歩いて、反対の声を上げようと思います!」


すると、群衆からは熱狂的な声が公園中に響き渡った。


「そうだそうだ!大体行政は、俺たちの声なんて全く聞いてくれようとしない。そして罪のないこの木が切られてしまうなんて、許すまじき行為だ!」


隆也は、群衆を扇動するかのように、メガホンを持って声を張り上げた。


「行政の暴挙を許すな!この木は何が何でも守るぞ!」


すると、後に続く群衆も、隆也の発した言葉をメガホンを使って一斉に叫んだ。


『おじさん、何だか大変なことになってきたな……僕も、おじさんと別れるのはすっごく嫌だけど、何だかちょっと、行き過ぎなような気がしてきたよ』


ルークは、心配そうな様子で僕にささやいた。


その時、君枝が、慌てた様子で1人で公園の中に駆け込んできた。

誰か探しているのだろうか?公園の中をくまなく走り回った。


「隆也!どこにいるんだい!隆也!」


どうやら、隆也を探しているようであった。


「お父さんが、お父さんが…危ないんだよ!早く、病院に行かないと!」


え?お父さんというと、敬三が…?

隆也は市役所に向かっていると伝えたいが、ケヤキである僕の声は、君枝には届かない。

一体、どうしたら良いのだろうか……。



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