第12話 届かなかったエール

 寒風が吹きつける冬の日。

 僕の枝はことごとく葉が落ちて、丸裸で寒くて仕方がない。

 寒いと公園を通る人通りもグッと少なくなるが、公園を通り抜けた所に図書館があるので、学生の往来は年間を通して多い。

 特に、真冬のこの時期は、高校受験、大学受験を控えた学生が多く行き交う。

 近所に住む隆也もその1人だ。

 隆也は剣道部を引退すると、大学受験に向けた勉強に本腰を上げ始めた。

 学校の帰り、真っすぐ帰らず図書館で勉強し、夜も更けた頃にようやく僕の傍を通って自宅へと戻っていく日々が続いていた。

 僕は隆也が勉強している姿を直接見たわけではないが、時折単語帳のようなものを見ながら公園を通り抜けていくこともあったので、相当勉強しているのではないか、と想像した。

 そして、ある日隆也は、大きなボストンバッグを担いで、母親の君枝に見送られながら僕の方へ歩いてきた。

 やがて隆也は僕の前にたどり着くと、何やらつぶやくように僕に向かって話をし始めた。


「これから受験で東京に行ってくるんだ。しっかり勉強したつもりだけど、不安も多くてね。俺、頑張るから、ここから応援しておくれよ」


 そう言うと、笑みを浮かべて、高速バスのバス停に向かって小走りで去っていった。走るたびに、ボストンバッグに付いた小さなお守りが揺れた。

 いよいよ受験本番、僕もこの場所からエールを送り続けよう!フレーフレー、隆也!

 葉がいっぱいついた時期なら、葉を揺らして音を出せるんだけど、この時期では枝がカサカサ揺れるくらいで、隆也に届いたかどうかは分からないが……。


 数日後、隆也は東京から戻ってきた。

 結果は、受験した大学から順次自宅に届いているようだ。

 その結果がどうなのかは、僕は一切分からなかった。


 ある日、隆也は高校の卒業式のため、制服を着て僕の傍を通り過ぎて行った。

 その表情は硬く、口も真一文字に結ばれ、どことなく悲壮感を感じていた。

 今日は卒業式だから、ちょっと緊張してるのかな?と思うのだが、果たしてどうなのだろうか。

 しばらくすると、郵便局のバイクが隆也の家の前に停まった。

 おそらく今日も、隆也の合否結果が来たのであろう。

 君枝がポストからはがきのようなものを受け取ると、うなだれながら、再び家の中へと戻っていった。


 隆也は友達と一緒に、卒業証書を入れた筒と小さな花束を持って公園の中を歩いていた。友達の顔を覗くと、かつて隆也をいじめていた雅夫という子のようである。


「隆也、昔はここでお前の事よくいじめたなあ。あの時は悪かったよ。お前が泣いてばかりいるから、つい面白がって手を出してしまったんだ」

「良いんだよ、雅夫。あれがきっかけになって、剣道始めたんだから。逆に感謝してるよ」

「隆也は卒業後、どうするんだ?行く大学、決まったのか?」

「いや、それがね。どこにも受からなくてさ」

「そうか、俺も受からなくてさ。最近地元に新設で出来た大学に何とか滑り込んだから、そこに行こうかなって」

「やったね雅夫、おめでとう。俺もそこ受けようか考えたけど、自分には勉強したい事があるし、一度外の空気を吸ってみたいから、東京の大学に行こうと思ってるんだ」

「そうか。寂しくなるなあ」

「とにかく今日、最後に受けた学校の合否通知が来るはずだから、その結果次第かな?」

「良い結果だといいな。それじゃまた、夏にでも会おうぜ。クラスのみんなも、早い時期に同級会やろうって話出てたしさ」

「そうだな。楽しみにしてるよ」


 そう言うと、隆也は雅夫と別れて、一人自宅へと入っていった。

 今の話だと、さっき君枝が受け取ったはがきが、最後の合否通知になるはずだ。

 いい結果であることを祈りたいが……君枝の表情を見た限りでは、嫌な予感がした。


 しばらく何も動きがみられなかったが、夜も更けた頃、母親の君枝が、トボトボと歩きながら僕の方向へと歩み寄ってきた。

 その手には、花柄のハンカチが握りしめられていた。

 やがて、僕の下にあるベンチに腰を下ろすと、嗚咽しながら手に持ったハンカチを何度も目頭に当てた。


「隆也が、隆也が……どこにも受からないなんて。どうして?」


 そういうと、両手で顔を覆い、声を上げて泣き出した。

 ……お母さん、隆也は毎日がんばって勉強していましたよ。


「お父さん、今回の隆也の結果は、自業自得じゃないのか、って言うのよね。何であんなこと言えるのか、理解できないわ」


 まあ、確かに……中学の時のようなひたむきさは無くなり、部活や勉強をサボったり、彼女と遊んでいたり、おしゃれにばかり気をとられていたけどね。

 あれ?自分でこうして色々並べてみると、やっぱりちょっと努力が足りなかったのかな?と気づいた。

 お母さんの、隆也を信じていた気持ちはわかるけど、現実はなかなか厳しいのであろう。お父さんの言う言葉は、耳が痛いけど、理解できる気がした。


「母さん、ここで何やってるんだい?」

「隆也!あんた、どこに行ってたのよ」


 いつのまにやら隆也が僕のすぐ下に立っていた。


「母さん、俺も正直、親父の言葉にはカチンときたけど、言ってることは正論だよ。部活を引退してから必死に勉強はしたけど、まだそれでは足りなかったんだと思う」

「けど、あんたは勉強が出来る子だと信じてたから……」

「いや、俺以上に出来る奴はいっぱい居るって。今回はすごく悔しいけど、自業自得だから、この結果を受け止めて、自分で取り返すしかない。俺、予備校に通うよ。母さんには迷惑かけるけど、来年は納得いく結果、得られるように頑張るから」

「隆也、あんた……」

「ごめんな、もっと頑張っていたら、こんな悲しませることも無かったのにね」

「あんたは、悲しくないの?悔しくないの?予備校に行くから、ってサラっと言うけど、そんな半端な気持ちで浪人して、上手くいくと思ってるの⁈」

「母さん……」


 隆也の顔は、しだいにくしゃくしゃになっていった。


「俺だって、すっごく悔しいよ」


 そう言うと、涙を拭い、君枝の手を握りしめた。

 僕は正直、どう声をかけていいか分からなかった。

 ケヤキの僕には何もできないし、慰めの言葉を言いたくても届かない。

 ただ、何もせず、こうして見守っていることしかできなかった。

 あの時、僕が送ったエールが隆也の耳に届かなかったかもしれない。

 でも、無謀と言われようと、僕はここからエールを送り続けたいと思う。

 フレーフレー、隆也!



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