第13話 またいつか会おう

 まだ肌寒い日が続く初春の公園、僕の枝にも、少しずつ緑の葉が枝に生えつつあった。今年の冬はそれほど寒くないと感じたが、雪が降る日もあったし、台風のような風が吹きつけ、枝先が次々と折れて吹き飛ばされてしまう日があった。

 そんな過酷な冬の日々も終わりを告げようとしていたある日、近所の隆也の家の前には、1台のトラックが止まっていた。

 隆也は去年の春、受験した大学がことごとく不合格となり、浪人を決めた後、この1年間がむしゃらに勉強していた。

 朝から晩まで図書館に通う姿や、夜も遅くまで部屋の明かりがついていたのを僕も見ていた。

 そしてこの春、ようやく東京都内の大学に受かり、入学を決めたため、この町を離れることになった。


 机、CDコンポ、洋服タンス、洗濯機、テレビ……ツナギを着たお兄さんたちが、次々と荷物をトラックに積み込み、荷台はあっという間に埋め尽くされてしまった。

 最後にロープで固定された荷物たちを、トラックは風のように運び去ってしまった。

 隆也と、父親の敬三、母親の君枝が玄関前で並んでトラックを見送っていた。


「行っちゃったな。いよいよ、この家を出て行くんだな、俺……」

「そうね。寂しいけど、しょうがないわよね」


 敬三はタバコをポケットから取り出すと、火を付け、ため息をつくかのようにフウと寂し気に煙を吐き出した。


「しかし、大学受かったのは良いけれど、この町随一の進学校を出たのに、志望する大学じゃなくて、滑り止めの大学にようやく引っかかった、というのは、ちょっと残念だな」

「父さん、本人の前でそんなこと言わないで!毎日朝から晩までがんばって勉強してたの、見てたでしょ?」

「そ、そりゃそうだけど……」


 すると、隆也は苦笑いしつつも、両親の方を笑顔で振り向いた。


「二人とも、色々心配かけてごめんな。浪人してから、毎日がんばって勉強したけど、決して満足のいく結果ではなかった気がする。でも、俺はこの1年、時間を忘れる位一生懸命勉強した。その結果だから、素直に受け入れようと思う。入学を決めた学校で、精一杯がんばることを心に決めたから、だからもう余計な心配しなくて大丈夫だよ」


 すると、敬三は極まりの悪そうな顔をしながらタバコをふかし、しばらく目を閉じた後、隆也の方を向いた。


「わかったよ。大学受験は終わったけど、今後はもっと精進しなさい。ここからはこの町の人間だけがお前の相手じゃない。全国から来る沢山の人間を相手に、お前ひとりの力が試されるんだからな」

「うん、わかってるよ。親父」

「母さん、今夜は皆で最後の食事だ。近くのデパートで食べようか?隆也が小さい頃からあそこのレストラン好きだったしな」

「そうね。今夜は好きな物、遠慮なく食べなさいね」

「ありがとう、母さん」


 夜が更けた頃、隆也の一家もレストランから戻ってきた。

 おそらく今夜は、家族水入らずで、最後の一夜を過ごすのだろう。

 その時、隆也が一人玄関を出て、竹刀を抱えて僕の方に歩み寄ってきた。

 そう言えば高校の時以来、隆也が僕を相手に剣道を練習する姿を久しく見ていなかった。

 隆也は、受験勉強をしていた時のような張り詰めた表情ではなく、すがすがしい笑顔で僕に語り掛けた。


「僕の遊び相手になってくれたこと、剣道の練習相手になってくれたこと、そして、時には相談相手や愚痴を聞いてくれたこと、本当にありがとう。この町を出て行く前に、もう1度だけ僕の剣道の相手になってくれないか?」


 そういうと隆也は、竹刀を構えた。

 よし、隆也、どんとかかってこい!どんなに痛くても、今夜はとことん相手になってやる!


「面!」

 イテテテ、いきなり幹のど真ん中に面打ちがさく裂し、しびれる位に痛い。


「胴!」

 グハッ!思わずのけぞりそうなくらい、強烈な胴打ちが、僕の体に打ち付けられた。


「小手!」

 ギャアア!一番地面に近い枝が小手打ちを食らい、折れた時のような痛さが全身を駆け巡った。


 その後も、僕の体は隆也の竹刀で滅多打ちといっていい位に打ち込まれた。

 ようやく、隆也の竹刀の動きが止まった時、僕はこれでもう痛い思いをしなくていいのかな?とホッとすると同時に、これでもう終わってしまうだなと、どこか物寂しさを感じた。

 隆也は僕に向かってお辞儀すると、竹刀を地面に置き、僕の体を両手で軽く抱きしめた。


「じゃあな。また、いつか会おう。お前もここで、いつまでも元気に生き延びろよ」

 小声で僕にそうささやくと、隆也は手を離し、手を軽く振って、自宅へと戻っていった。

 僕は、隆也の突然の行為にあっけにとられてしまった。

 けど、これは隆也なりの僕への感謝の表現だったに違いない。

 彼が自宅へ戻った後、僕は隆也が赤ちゃんだった頃から今日までの隆也の姿が、走馬灯のように頭の中をよぎり、涙……いや、樹液が漏れてきてしまった。

 や、やばい、この公園に聳え立つ大人のケヤキとしては恥ずかしいことをしてしまった。でも、やっぱり悲しみがこらえきれず、ドクドクと樹液が流れてきてしまった。


 翌朝、隆也は大きなショルダーバッグを手に、自宅を出発した。

 両親が隆也を見送りに、玄関前まで出てきていた。


「今まで、世話になったね。本当にありがとう」


 隆也は軽く一礼すると、手を振って両親から離れて行った。

 君枝は、ハンカチを目に当てていた。

 敬三は表情を変えず、腕組みしながら隆也の方を向いていた。

 隆也は僕のそばを通り過ぎると、僕の方を見て軽く笑いかけた。

 そして、再び背中を向けると、高速バスのバス停に向かって歩き出していった。


 隆也が通り過ぎた後、暖かい春風が、そよそよと僕のそばを通り抜けて行った。

 春風に乗ってやってきた数匹のモンシロチョウが、僕の体にくっつくと、チュウチュウと樹液を吸い始めた。

 昨日流れ出た樹液が、まだ乾いていなかったようだ。

 う~ん、僕としたことが……。


 今日まで隆也と過ごした思い出は、これからもずっと忘れはしないだろう。

 彼は僕と唯一、心を通わすことのできる人間だから。

 またいつか、この町に帰ってきたら、剣道の相手になってやろう。

 今はただ、胸にぽっかり穴があいたような気持ちだけど、隆也の活躍をこの公園からずっと祈り続けたいと思う。




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