第10話 ファースト・キス
この公園に僕が植えられて、もうすぐ20年が経とうとしていた。
人間の背丈程度だった僕の体は、昔から想像できない位に大きくなり、幹はどんどん太くなり、たくさんの枝を付け、枝にはたくさんの若葉が所狭しと生い茂った。
時々造園のおじさん達が来て枝を剪定していくけど、あっという間に次の枝が生えて、伸びて、沢山の葉っぱを付けて行く。
葉っぱや枝が生い茂ると、僕をねぐらにする鳥たちの数も自然と増えるようになった。
最近は、枝と枝の間に、ムクドリが巣を作るようになった。
親鳥が何度も往復しながら沢山の小枝を拾っては、僕の枝の上につなぎ合わせて、あっという間にすり鉢状の巣が出来てしまった。
やがてその中で親鳥が卵を産み、そして沢山のひなが産まれた。
ひな達が次第に成長すると、親鳥とともに枝に足を乗せて、昼夜関係なく鳴き続けるので、僕としては眠ることもできず、たまったものではない。
さらに、他の木のムクドリたちが僕の所に寄ってきて、ひどい時には僕の枝という枝が彼らに占拠されてしまう。
また、彼らは糞の量も多く、僕の根っこの辺りは、糞であっという間に真っ白になりそうである。誰か綺麗にしてほしいんだけど……
僕の真下には木製のベンチが置かれているが、日差しや雨を避けるため、多くの人達が利用している。
特に、木陰でのデートは親密さを上げる不思議な雰囲気があるらしく、公園や近くのデパートでデートしているカップルが座ることが多い。
僕としては、目の前で男女がいちゃつかれるのは、正直目を防ぎたくなるし、愛してる、とささやき合うのを耳にすると、耳を塞ぎたくなる。
けど、ご存じの通り僕はケヤキの木。目も耳も防げず、ひたすら見せつけられるのを耐えるしかない。
今日は、白いYシャツに黒い学生ズボン姿の少年と、ポニーテールが可愛らしい、リボンのついたブラウスにひざ丈のチェックのスカート姿の少女が、楽しそうにおしゃべりをしながら僕に近づき、ベンチに腰かけた。
少年は、近所に住む隆也である。
地元でも名門と言われる進学校に入学した隆也は、最近、高校の学園祭で行われた催し物「ねるとんDEデート」で、生まれて初めての彼女が出来た。
隆也は、高校でも中学時代に同様、剣道部に入ったようであるが、中学時代に比べると帰る時間が早く、最近は彼女と一緒にデートしながら自宅に帰ってくることが多い。
「あれ?隆也君、今日は部活じゃないの?」
「いいんだよ。あそこには俺より強い奴が沢山いる。最初はがんばってみたけど、自分の力だけでは最早どうにもならなくてさ。レギュラーは諦めて、最近はほどほどに参加してる感じかな」
「ええ?諦めちゃうの?」
「違うよ。俺たちの学校って進学校だし、少しでも勉強をおろそかにすると、あっという間授業についていけなくなるじゃん。だから、中学の時みたいに部活に打ち込むんじゃなく、ほどほどにやっていこうと決めたんだ」
「けど、勉強するつもりなら、私とこんなおしゃべりしてる時間なんて、ないでしょ?」
「いいんだよ。今の俺にとっては、部活よりも勉強よりも、あずさと一緒にいる時が楽しいんだよ」
「う、うん。ありがとう……」
隣にいるあずさという少女は、部活も勉強もせず自分に付き合っている隆也を気遣ってはいるものの、隆也と過ごす時間がまんざらでもなさそうな様子であった。
隆也は、カバンから缶ジュースを2本取り出すと、1本をあずさに手渡した。
「喉乾いただろ?どっち飲む?」
「じゃあ、アップルジュースもらうね」
隆也は、あずさと一緒にジュースを飲みながら、自分の体を少しずつあずさの体に寄り添おうと近づけた。
ジュースを飲み終わったあずさは、いつの間にか自分のすぐ隣にいる隆也の姿に驚いた。
その時、隆也はあずさの手を取り、そっと握っていた。
「な、何よ、隆也君」
「俺たち、付き合い始めてそろそろ1ヶ月になるけど、俺はあずさが大好きだ。だから、俺は……」
「隆也君……」
隆也は、あずさの顔にそっと自分の顔を近づけた。
ヒヨドリが煩く鳴き続ける夏の夕暮れ。
公園を行き交う人通りも減って、二人の姿を見て居る人は僕以外、誰も居ない。
これまで女性と口づけはおろか、彼女すら出来なかった隆也が、ついに、ついに……僕は息を飲みながら、そっと二人の決定的瞬間を見守ろうとした。
「ギャアアアアアア!」
その時、あずさが公園中に轟くほどの大声を上げてベンチから飛び上がった。
隆也はぽかんと口を開いて、一体何があったのかという表情であずさを見ていた。
「隆也君の頭に、白いものがいっぱいついてる!」
「え?そ、そうなの?」
隆也は頭をそっと触ると、べっとりと黒いものが混じった白い液体が手にまとわりついた。
「こ、これは!」
隆也が真上を見ると、たくさんのヒヨドリたちが、枝の上から矢のように次々と糞を落としてきた。
「やだ、私の髪の毛にも付いちゃった!やだ~、もう、最低!隆也君、何でこんな所に私を連れてきたのよ!」
「ま、まさか、俺、そんなつもりじゃあ……」
「デリカシーが無いというか、空気を読めないというか……せっかくのファーストキスが台無しじゃん!もう会いたくない!じゃあね!」
「あ、あずさ!待ってよ!俺、本当に悪気はなかったんだ!」
あずさはあっという間に公園を駆け抜け、夕闇に紛れて町の中へと走り去ってしまった。
あずさを見失った隆也は、肩をがっくりと落とした。
「あと少し、あと少しだったのに……邪魔しやがって!」
そういうと、隆也は僕の幹に手をかけ、力いっぱい揺すった。
ぼ、僕は何も悪くないのに……とんだとばっちりだったが、枝の上にいたヒヨドリたちは驚いて、一斉に飛び立ってしまった。
その時、隆也の頭や手に、再び真上から白い液体が降りかかった。
「ああ~~!またか!ちくしょう!」
隆也は慌てて、自宅へと走り去っていった。
あずさとの千載一遇のファースト・キスのチャンスは、こうして水の泡と消えてしまった。
ヒヨドリたちはやがて僕の所へ次々と舞い戻り、隆也の気持ちなどつゆ知らぬ様子で、僕の枝の上で再び甲高い鳴き声をあげていた。
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