第7話 冬の夜の出来事

 暑い夏が終わり、秋風が吹きすさぶようになると、僕の枝を覆いつくしていた葉っぱは次々と赤や茶色へと色を変え、やがて、風に吹き飛ばされながら地面へと落ちて行った。

 今年も、寒くつらい冬の日々がやってくる。

 僕を強風から守ってくれた葉っぱ達がなくなり、山から下りてくる冷たく強い北風がストレートに僕の体に直撃してくる。

 早く春にならないかなあ……そう思いつつ、今年も憂鬱なこの季節をひたすら耐えている。

 今夜も北風が吹きすさび、公園を通り抜ける人もほとんどおらず、暗闇と風の音だけが辺りを支配する。

 そんな時、物凄い怒号が近くの民家から響き渡った。


「言うことを聞けないなら、二度とこの家に戻ってくるな!」

「ああ、こんな家、二度と帰ってくるか!バーカ!」


 その後、何かが玄関から外へ放り出されたような音がした。

 玄関から出てきた少年は、荷物を持って、玄関をバチン!と強い音を立てて閉めると、駆け足で公園の中を通り抜けて行った。

 やがて、少年の両親と思しき夫婦が、玄関から出てきて、暗闇の中、少年の後を追おうとしていた。


「ちょっと、隆也!待ちなさい!どこに行くのよ!」

「いいんだよ、あんな聞き訳の無い奴、二度と帰ってこなくていいんだ」


 夫婦は、隆也の両親である敬三と君枝であった。

 どうやら、隆也が両親とケンカし、家出してしまったようだ。


「剣道で勝てないからって、勉強ができないからって、テレビゲームばっかりやって。そんなことをしている暇があるなら、少しは練習し、勉強するのが当然だよ。あいつは今年から中学生になったんだ。いつまでも親が面倒を見る小学生じゃないんだからさ」

「そりゃそうだけど、あの子はあの子なりに、悩んでるんじゃないの?あの子の言葉をちゃんと聞かないで、上から目線で怒鳴りつけたって、反抗されるの当たり前じゃないの?」

「うるさいな、お前は何もわかっちゃいないんだよ。あいつはこれから社会に出たら、そこで嫌が応でも競争にさらされるんだ。甘ったれた奴はどんどん脱落していくだけだ。そのことを、早いうちから分かっていた方がいいんだよ」

「そんな、あの子だって、剣道、一生懸命やってたのよ。試合に勝ちたくって、そこのケヤキの木に向かって面打ちの練習したり、部活の朝練だって欠かさず行ってたのよ」

「ケヤキの木相手に?ちゃんと人間を相手に練習しろって。馬鹿かあいつは」


 僕は正直、父親の言葉には虫唾が走った。

 隆也は、いじめに打ち勝つために、小学校の頃から僕を相手に剣道の練習を始めた。毎日、枝を折っては僕の体に面打ちや小手を食らわし、次第に腕を上げて行った。

 やがて隆也が中学校に入り、剣道部に入って本格的に剣道を始めた後も、僕に向かって面打ちの練習を続けていた。

 僕はそのたびに痛くて仕方がなかったが、いじめられっ子だった隆也が日に日にたくましくなっていくのを見ると、多少の痛みも我慢できるようになった。

 しかし、剣道部には上手な選手が何人もいるようで、隆也は試合に出してもらえず、次第にやる気を失い、最近は僕を相手に練習もせず、部活をサボって早帰りする姿もしばしば目にしていた。


 家出した隆也はいつまでも姿を見せず、両親も諦めて家に戻り、しばらく静寂が続いていた。

 やがて、日付が変わる位の時間になって、隆也がとぼとぼと公園の中を歩きながら、僕の方へ近寄ってきた。

 コンビニエンスストアのマークが入った袋を手に、僕の前のベンチに腰掛けると、袋から煙草の箱とライターを取り出した。

 煙草を一本取り出し、ぎこちなく口にくわえると、ライターで火を灯した。


「ちくしょう、どいつもこいつも、偉そうなことばかり俺に言いやがって」


 隆也はタバコをふかすと、煙が気管に入ったようで、ものすごい勢いでむせ始めた。

「ぐはっつ!グホッツ、ゲホッツ!ち、ちくしょう!」


 隆也は咳き込み、苦しそうな表情を浮かべたが、落ち着くともう一服した。

 吸い終えると、吸殻を地面に落として火をもみ消そうとしたが、なかなか消えずくすぶったまま地面を転がり続けた。

 その時、強い風が吹きつけ、吸殻が近くの落ち葉に引火し、次第に燃え広がり始めた。


「え?ま、まさか!ど、どうしよう!?」


 このままでは、落ち葉だけでなく、僕の体にも引火してしまう。

 しかし、ご存じの通り僕の体は土中にしっかりと植え付けられ、ここから逃げ出すことはできない。ケヤキの木である自分の体と、いきがって煙草に手を出した隆也をひたすら恨んだ。


 隆也は、慌てて自宅の玄関の戸を叩いた。

 必死に、何度も何度も叩いた。


「隆也だよ!ごめんなさい!もう、二度と家出なんてしないから、だから戸を開けて!」


 すると、君枝が玄関を開けると、隆也に手を引かれて僕の近くまで一緒に歩み寄り、火が燃え広がるのを見て驚き、慌てて家に戻った。


「あなた!一緒に来て!火が燃え広がってる!」


 君枝が周りの家に響き渡るような声で叫ぶと、敬三は消火器を手に、隆也と君枝はバケツ一杯の水を持って僕の方へ駆け寄ってきた。


 何度も家を往復し、水を持ち寄ってはかけるうちに、火は鎮火したようであった。

 隆也の一家三人は、安堵した表情とともに、冬にも関わらず額には汗が光っていた。

 やがて、敬三は隆也の方を振り向くと、思い切り拳を振り上げ、隆也の頬を殴りつけた。

 隆也は殴られた勢いで地面に叩きつけられ、鼻からは血が流れた。


「この大馬鹿野郎!お前はどれだけ人に迷惑をかけりゃ気が済むんだよ!いつまでも甘えてんじゃねえよ!」


 そういうと、倒れかかった隆也に再び殴りかかろうとした。


「ごめんなさい!本当にごめんなさい……」


 隆也は地面に土下座し、深々と頭を下げた。

 敬三はしばらく鬼の形相で健太を睨みつけていたが、泣き崩れながらひたすら頭を下げる隆也を見ると、額の汗を拭い、


「さ、行くぞ、立てよ!」


 そう言って、隆也の手を思い切り引っ張り上げると、そのまま手を引いて、自宅に向かって歩き出した。

 隆也の手を引く敬三のもう片方の手には、煙草とライターの入ったコンビニエンスストアの袋があった。


「こいつは没収するからな。お前が成人した時に、ちゃんと返すから」


 君枝は、バケツや消火器を持って、敬三の後を付いていくように一緒に家に戻った。

 僕の周りには、黒焦げになった落ち葉たちが風の中を漂っていた。

 とりあえず、僕としてはもらい火を受けず、一命をとりとめたので、ホッと胸を撫でおろした。

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