第585話 竹皮包みの温もりと

 「双魔君」


 二人で魔術科棟を出て、そのまま学園の中を歩き、正門を潜ったタイミングでイサベルが口を開いた。恋仲になってから数か月経ち、二人きりの沈黙も心地よい関係だが、さすがに気になることがあるようだ。


 「ん?」

 「学園を出たけれど、どこへ連れて行ってくれるの?」

 「ん、まあ、場所は決まってないけどな。食べるものはあるんだ」


 予想通りのと質問に、双魔は手に持っていた小さめの藤籠をぶらぶらと振って見せた。


 「それは……お弁当?」

 「そんな感じだな。さてさて、騒がし過ぎない穴場なんてのはあるかね……どこか知ってるか?」

 「騒がし過ぎなくて……お弁当を食べるのにいい場所……あ」


 イサベルは少し考えると、何処か思いついたようだった。


 「思いついたか?」

 「ええ。ちょっと複雑だけれど、遠くないし、いい場所だと思うわ」

 「複雑?まあ、いいか。んじゃ、そこに行こう」

 イサベルの”複雑”が気になったが、いい場所だというならそれでいい。

 「わかったわ。こっちよ」

 「ん、待った」


 目的地がはっきりして、すっきりしたのかイサベルは双魔の一歩前に出た。その後ろ姿に双魔は声を掛ける。


 「どうかした?」

 「学園も出たし……人もあまりいないしな」

 「え?ああ……うん……それじゃあ、ん」


 そう言って双魔は藤籠を持っていない左手を差し出した。イサベルはその手を見つめて一瞬きょとんとしたが、すぐに双魔の意図を察したようだ。きょろきょろと辺りを見回して、顔見知りがいないのを確認すると、双魔の手を取ってそっと指を絡ませてきた。双魔はそれをしっかりと握り返す。


 「なんだか、二人きりでこうするのは新鮮な感じがするわ」


 手を繋いで歩きはじめてから少し経って、ウエストミンスターの辺りでイサベルは嬉しそうにそう言った。その言葉に、双魔の胸の中には罪悪感が湧いてきた。自分は普通の恋人のようにイサベルと二人きりの時間を取ることがほとんどできていない。しかも、シャーロットによく言われているが、外から見れば三股をかけている最低な男だ。イサベルの笑顔を見て、ずしんと心に重しが降ってきたような心地になる


 「ん……悪いな」

 「ううん、ティルフィングさんや鏡華さんが良くしてくれて楽しいから、全然気にしないわ。だから、そんな顔はしないで。双魔君がそんな顔をしている方が嫌よ。私は」


 双魔の考えていることなどお見通しなのか、握った手に軽く力を籠めて、イサベルは眉間に皺を寄せた。


 「……フッ……あ」

 「そうそう、そんな風に笑ってくれていた方がいいわ。双魔君が考えることは私たちも考えているんだから」


 イサベルの普段見せない顔に思わず吹き出してしまった双魔を見て、イサベルの顔には笑みが戻ってきた。


 「……敵わないな」

 「鏡華さんに鍛えてもらってるからかしら?」

 「それは、益々敵わないな」


 双魔の苦笑に、イサベルは冗談交じりに得意げな顔を見せた。それを聞いて、今度は双魔の顔に楽し気な笑みが戻ってきた。


 「さ、着いたわ。ここは穴場だと思うのだけれど……」

 「……なるほどな。複雑って言うのは、そういうことか」


 目的地に到着した双魔は、正門前でのイサベルの言葉が腑に落ちた。着いたのはそこそこの広さに人気の感じられない閑静な公園。双魔がオーギュスト=ル=シャトリエとイサベルの婚約者としての立場を賭けて決闘した場所だった。


 「……ええ。その、嫌だったかしら?」

 「ん、そんなことない。腹も減ったし、日当たりのいいところで飯にしよう」

 「……ええ、そうしましょう」


 おずおずと聞いてきたイサベルの不安を吹き飛ばすように、双魔は朗らかに笑って場所を探しはじめた。イサベルはそれを見て安心して、表情から力が抜けるのを感じた。


 「ここにするか」


 双魔はすぐに日当たりの良い芝生広場を見つけると、ローブの中から茣蓙を取り出して、レジャーシートのように敷いた。イサベルは思わず目を丸くする。それもそうだ。ティルフィングと同じくらいの巻かれた茣蓙が突然姿を現したのだから。


 「もしかして……今のも空間魔術?」

 「ん。師匠のところで修行し直してから、かなり細かいコントロールもできるようになったんだ。だから、ほれ」


 双魔は茶目っ気溢れる笑みを見せて、何もないローブの内側に手を突っ込む仕草をして、銀色の水筒を取り出して見せた。


 「……凄いわね」

 「まあ、ちょっとした隠し芸みたいなもんだ。さ、座って座って。昼飯にしよう」


 双魔は靴を脱いで茣蓙の上に胡坐をかくと、自分の隣に青いハンカチを敷いてポンポンと叩いた。


 「ありがとう。失礼するわ」


 屋外で座る時に双魔がハンカチを敷いてくれることに最初は遠慮していたイサベルだが、それも失礼だと思うようになった。靴を脱いで、揃えると双魔の隣に腰を下ろす。すると、双魔がウェットティッシュを渡してくれたので、それで手を拭う。


 「んじゃ、これがイサベルの分」


 そう言って双魔が藤籠の中から出して、手渡してくれたのは何か植物の皮で出来た包みだった。しかも、まだ温かい。


 「温かい……これは……あ、もしかして!おにぎり?」


 見慣れないものではあったが、イサベルはすぐに思い出した。以前読んだ和食の本に、これと全く同じようなものが載っていた。


 「ん、正解」


 双魔は楽しそうに頷くと、自分の分の竹皮包みも取り出した。


 「開けてみてもいいかしら!?」

 「もちろん。開けないと食えないからな」

 「それじゃあ……わぁっ!」


 イサベルはワクワクしながら、紐を解いて、竹皮を剥がす。その中から、まさに本で見たのと全く同じ綺麗な三角形のおにぎりが三つ出てきた。その横には黄色いたくあんがいい味を出している。


 おにぎりを一つ手に取って見てみると、白米は艶々と輝いていて、それを海苔がしっとりと包んでいる。これまでも左文や鏡華におにぎりをご馳走になったことはあるが、今手にしているおにぎりは不思議と今までのおにぎりよりも美味しそうに見える。


 「具は食べてのお楽しみだ。召し上がれ」

 「ええ!いただきます!はむっ!もぐもぐ……っ!んーっ!酸っぱ!!!」

 「クックック!いい顔だな!あぐっ……むぐむぐむぐ……うん、我ながらいい塩加減だな」


 双魔に促されて、手に持ったおにぎりにパクリと齧りつく。米と海苔の食感の直後、口の中に酸味と塩気が広がって、イサベルは思わず口をすぼめてしまった。その顔を見て双魔が声を上げて笑った。


 「もぐもぐ……ごくんっ……びっくりしたわ……梅干しって美味しいけれど、なかなか慣れないわね。はむっ、もぐもぐもぐもぐ……ごくんお米の甘さを引き出すいいスパイスだけれど……」

 「美味いか?」

 「ええ、美味しいわ!とっても……え?もしかして……」

 「ん、俺が作った」

 「っ!そうなの?てっきり左文さんが作ったものだと!」


 驚くイサベルを見ながら、双魔は一つ目のおにぎりを口の中に放り込んで、少し照れ臭そうにはにかんだ。


 「んぐっ……ふう……いつも作ってもらってばかりだからな。たまにはお返しってやつだ。喜んでもらえて嬉しいよ。ほれ、熱いから気をつけてな」


 双魔は満足気に紙コップにお茶を注ぐとイサベルに差し出した。イサベルはそれを受け取りながら、右手のおにぎりと双魔を交互に見てしまう。


 「ん?もしかして疑われてるのか?」

 「う、ううん!そんなことはないけれど……双魔君がお料理しているの、見たことなかったから……まだまだ、双魔君のこと、知らない事ばかりだな……って」

 「それはお互い様だな。まあ、話は食い終わってからゆっくりしよう」

 「それも……そうね。双魔君がせっかく作ってくれたんだもの!しっかり味わうわ!はむっ!」

 「…………」


 そう言って、イサベルがおにぎりを頬張るのを双魔はやっぱり嬉しそうに眺めながら、自分の分のイサベルのものより一回り大きなおにぎりを頬張った。


 「ふう……ごちそうさまでした。すごく美味しかったわ!ありがとう、双魔君!」

 「ん、お粗末さん。ありがとうはこちらこそだけどな……んっ」


 残りの二つのおにぎり、鮭とおかかを食べ終えたイサベルはお茶を飲み干すと双魔の方に向き直って感謝を伝えた。双魔はそれに答えつつ、紙コップに口をつけた。


 二人で満腹になり、ゆるりとした雰囲気に包まれる。ブリタニアという大国家の王都とは思えない静かで心地よい時間が流れている。


 「双魔君……すこし横にならない?」


 双魔がさっきしたのと同じように、今度はイサベルが自分の太ももをポンポンと叩いた。言わずとも分かる膝枕のお誘いだ。


 「ん……日本だと、食ってすぐ寝ると牛になるって言われるんだが……」

 「そうなの?じゃあ、今だけ牛さんになって。ね?」

 「……ん」


 穏やかな笑みでそう言われてしまっては、逆らえない。双魔は降参してイサベルに自分の頭を預けた。


 「……おにぎり、美味しかったわ。ランチに誘ってくれたのも嬉しかったし」

 「ん……喜んでもらえて俺も嬉しい……イサベル」

 「なに?」

 「……いや、何でもない」


 双魔はに何か言いかけると、結局何も言わずに目を閉じてしまった。それを見たイサベルは、ふと、鏡華の言っていたことをも出した。


 『あんなぁ?双魔が何か言いかけた時は……』

 「……双魔君」

 「んー?」

 「もっと、今みたいに甘えてくれた方が私は嬉しいわ」

 「……」


 イサベルに図星を突かれて驚いたのか、双魔は閉じていた眼を見開いた。濃紺の瞳と燐灰の瞳が重なった。


 「その方がお互いのことをもっと知れるし……これからもずっと一緒にいるとは思うけれど、今はもっと、ね?」

 「……苦手なんだ、甘えるのは」

 「そこは、頑張って欲しいわ。鏡華さんにはできてるんだから、私にもできるようになってもらわないと。しっかり練習してね?……未来の旦那様?」

 「……ん、分かった。んじゃ」

 「え?んっ!?」


 双魔は突然頭を持ち上げると、その勢いのままイサベルの唇を奪って、今度は顔を横に向けて頭を膝の上に下ろした。


 「……ごちそうさま」

 「っ!!もう!」


 図星を突かれたお返しの口づけに、口調は怒っていても、イサベルの頬は淡く紅潮するのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 なお、愛元の道術で二人の様子を盗み見ていた応援団四人は大興奮で涙ぐむ者もいたとかいないとか……。


 「議長、この前、私と双魔君を何処かから見ていたりしませんよね?梓織たちと一緒に」

 「…………ちょっと!用事を思い出してしまったよ~!あとはよろしく!」

 「っ!議長っ!…………逃げられたわ。詩織も後で問いただしておかないと……」

 「くしゅんっ!」

 「梓織ちゃん、風邪っスか?」

 「いえ……悪寒が……」

 「天網恢恢疎にして漏らさず、ですなー」



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