幕間『愛情表現、足りてますか?』

第581話 愛情表現、足りてますか?

 七月の頭。ロンドンに一年で最も暑い季節がやってきている。といっても、平均気温は二十数度で灼熱の暑さとは程遠い。数日空を覆っていた灰色の雲が風に吹かれて旅路へと発ち、代わって太陽が顔を出した昼過ぎ。


 ウエストミンスター寺院近くの人気パブ”Anna”はランチタイムの名物、絶品シェパードパイを求めて多くの客が訪れていた。アルバイトの看板娘、ブリタニア王立魔導学園魔術科のアメリア=ギオーネの明るい声と客の賑わいの響く店内、その喧騒から少し離れた奥のバーカウンターに季節外れの外套を肩に掛けた青年が二人。黒いローブの方が我らが伏見双魔。白いローブの方が悪友兼兄貴分、伊達=テオフラストゥス=宗房。


 先月、双魔が中華からの留学生、関桃玉朱雲の依頼で急遽訪れた蜀の地で、宗房に頼まれた漢方を仕入れてきた礼に一杯奢ってもらう約束を果たしてもらっている最中だった。


 アルコール度数のそこまで高くないカクテルを三杯ほど飲み干した双魔に、スコッチウイスキーをストレートで四、五杯呷って、陽気さが増してきた宗房がニヤニヤしながら口を開いた。


 「双魔。お前は今のところ三人、いや、もう一人中華の猪娘が増えたんだったな。あ、あと、クラウも入れたら五人か」

 「……また、ろくでもない話しようとしてるだろ?」

 「まあ、お前は五人も女を囲ってる今どき珍しい、男ならだれもが憧れる器の大きなむっつりドスケベ野郎なわけだがな?」

 「…………ツッコむ気にもならないな……まあ、鏡華、イサベル、ロザリンさんのことは……心の底から好きだって言えるのは間違い……って!どうして宗房相手にこんな話をしなくちゃいけないんだ!!?」


 双魔の辟易とした顔はばっちりと見ているはずなのに、全くもって意に介す様子の無い宗房に仕方なく付き合おう、と思ったのだが、聞き捨てならない話題が飛んできたので思わず食い気味に言い返してしまった。


 「そう、照れるなよ!猪娘とクラウは?」

 「いや、二人は別に俺のことを男として好きってわけじゃないだろう?何というか、リスペクトしてくれてるのかな?とは思うけどな………………なんだよ、その信じられないような珍獣でも見つけたような顔は!?」

 「……お前はつくづく、抜けてないようで抜けてるやつだと呆れて果てただけだ」

 「そういうことは、あまりはっきり言うもんじゃ……いや、言わなきゃ宗房の偽物か」


 それまでのにやけ面から一変、チベットスナギツネが如く虚無染まった宗房の表情に、双魔のツッコミは冴えわたる。


 「これ以上は話が進まなくて時間の無駄だからな。ひとまず、双魔の嫁は、六道の嬢ちゃんにガビロールの嬢ちゃん、それにキュクレインってことにしておく。口にするだけでおっかないな!富士山みたいな女だけ。あ、胸の大きさじゃないぞ?人としての器ってことだからな?」

 「……まだ嫁じゃない……じゃなくてだな!さっさと、本題に入ってくれよ。ツッコむのも疲れるんだからな?」

 「っと、からかい過ぎたか?思ってることをそのまま言っただけだけではあるが……」

 「それはからかってるって言うのか?」

 「本題だ!本題!くだらない長話は好きだが、今はそんなことしてる場合じゃないからな」

 「もう、本当にツッコむの止めるからな?いいよな?」


 双魔がきっぱりとそう宣言したところで、再びにやけ面に戻っていた宗房の表情が真剣そのものに変わった。流石に双魔も身構える。


 「双魔……お前……」

 「……な、なんだよ?」

 「しっかり、嫁たちに愛情表現してるか?」

 「だから!まだ三人共嫁にはもらってな……ん?」


 また、聞き捨てならない放言が飛び出したので、ツッコミを再開しかけた双魔だったが、気になる言葉に口を閉じた。


 「愛情表現をしてるかどうか聞いてるんだ。愛の言葉は囁いてるか?ボディータッチは?抱き締めたやったりしてるか?」

 「……ん?ん?いや、あー……何が言いたいんだ?」


 ”愛情表現”、宗房の言わんとしていることが分かるような、分からないような、何とも判断のつかない様子の双魔に、宗房はまた、チベットスナギツネが如き面相、略してチベスナ面を浮かべていた。


 「その様子じゃしてねえな?まあ、そうだろうと思ってたよ。変なところで照れ屋だからな。照れ屋って言うのか?違うな度胸がないのか?」

 「……突然罵倒するなよ」

 「罵倒じゃない!俺からのありがたい助言だ!いいか!女ってのは、たまには、はっきりと!しっかりと!ばっちりと!愛情を正々堂々真正面からドカンとぶつけられたいもんなんだよ!控えめな嫁たちに甘えすぎるなよ!キュクレインは違うかもしれないけどな」

 「…………宗房にまともなことを言われると調子狂うな……」


 普段から基本的にふざけたことしか言わないので、まともなことを言われて衝撃を受けるというより困惑する双魔に宗房は右手の人差し指を突きつける。


 「うるさい!いいから俺の言う通りにしろ!抱きしめてやれ!色々柔らかいところも楽しめて役得も、いや、好きな相手だ!役得しかないぞ!」

 「まともなことを言ったと思えば……クラウディアと寿水さんにチクるぞ……ん?ちょっと待て。それだけ言うってことは、宗房も寿水さんに……」

 「っと、俺は忙しいからな!多めに払っとくから双魔はゆっくりしてけよ!」


 一瞬、まともかと思えばすぐに身も蓋もないことを言ってのけた宗房に、今度は双魔が呆れる番だったが、気になったので聞いてみる。ちなみに”寿水さん”とは、宗房が国元、日本の仙台に残してきている許嫁のことだ。破天荒を絵に描いたような宗房にはうってつけというか、もったいないほど美人でしっかりした人で、双魔も面識がある。


 そして、宗房は自分の許嫁の名が出た瞬間、劣勢の空気を感じたのか、「三十六計逃げるに如かず」を実行して風のように店から去っていった。


 「あ!おい!……ったく…………………愛情表現、か………」


 独り言ちた双魔は、いつの間にか置かれていた新しいカクテルグラスを手に取った。硝子で形作られた小さな杯の中では、今日の空のようなブルーキュラソーに真っ赤なさくらんぼがぷかぷかと漂っていた。

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