第558話 ”金蛟・道紐鎖切断”

 「双魔君っ!!」

 「イサベルはんっ……はぁっ……はぁっ……待ちぃ!」


 部屋を飛び出したイサベルは一心不乱に成都城内を走っていた。後ろから叫んでいる鏡華の声も今は耳に入っていない。


 燃え盛るような不安に襲われて、イサベルは身体を躍動させている。この城に来たのは初めてだ。けれど、双魔が何処にいるのかがはっきりと分かる。そして、双魔の傍へ行かなくてはならない。それだけがイサベルの頭を満たしていた。


 目覚め直前、夢を見たのだ。それは見たくもない悪夢。口から大量の血を吐き、胸を押さえて血だまりの中に倒れ込む双魔と、その胸に縋って泣き叫ぶティルフィングの姿が、イサベルの脳裏を焦がした。

宮殿の庭を走り抜け、門を出る。民を避難させる兵や各所の防御結界の強度を高める道士たちの中を潜り抜ける。


 やがて、巨大な城門の前へと辿り着いた。


 「はぁっ……はぁっ……双魔君……」


 双魔の名を呼び、開く気配のない、目の前に聳える城門を見上げたその時だった。


 『がっ……ガアアアアアアアアアアアアアアアーーーーッ!………………』


 ギシ……ギシギシ…………ミシミシミシ…………ピシッ!……ピシッピシッ!……


 門の向こうから天を裂くような絶叫が響き渡った。同時に膨大な魔力の爆発が発生する。堅固な城門を軋ませ、堅牢な城壁にひびが入る。全てを飲み込まんばかりに白銀の魔力が暴走を起こしていた。


 「ッ!!双魔君ッ!」


 イサベルは血相を変えた。何故なら、姿は見えないが、この魔力は双魔の魔力。絶叫は双魔の声だった。すぐに行かなくてはならない。


 (この門を壊せばっ!)


 イサベルは双魔の危機を察知してはいるが、成都城の置かれた状況を理解しているわけではない。故に、開かぬ城門を内側からこじ開けようとした。常に持ち歩いている宝石ポーチから紅玉を取り出し、握り締め、ゴーレム形成の詠唱をしようとしたその時だった。


 「イサベルはん!門を壊したらあかん!!こっちから外へ!」

 「ッ!鏡華さん!?でもっ!!」

 「いいから!こっちきぃ!」


 後ろから低空飛行で突っ込んできた鏡華がイサベルの手を取って、城門の横へと移動する。


 その姿はいつか見た、曼珠沙華紋様の漢服に深紅の羽衣、黒い冠を被った、自らの力と浄玻璃鏡の力を解放したときのものだ。


 鏡華は何の変哲もない岩の一か所を思い切り蹴った。普段では考えられない荒々しい行動。蹴られた岩は不自然に押し込まれる。それがスイッチだったのか、すぐ傍に地下へと続く隠し階段の入り口らしきが現れた。


 「舌噛まんといてなっ!」


 返事を待たずにイサベルを背中から抱いた鏡華は隠し階段へと飛び込んだ。狭く暗い通路を上下どちらもすれすれの状態で二人を抜けていく。明かりが見えた。一切、スピードを緩めずに勢いのままに飛び出た。


 一瞬、土煙で視界が遮られていたが、鏡華が袖を振るとすぐに霧散して視界がクリアになる。イサベルの目に映ったのは……。


 「ソーマ!ソーマ!どうしたのだっ!!?目を開けてくれ!ソーマァッ!!!」

 「ッ!!?」


 イサベルが見た悪夢と全く同じ。血だまりの中で胸を押さえて仰向けに倒れる双魔と、泣きじゃくるティルフィングの姿だった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 時間は少し遡る。全ての魔力と剣気を吸収するという凶悪にして厄介至極な能力を持つ混元金斗と黒姫の相手を一手に引き受けた双魔は賭けの一手に出ていた。


 「応えよ!我が魂魄よ、心の臓よ!我が身は転じず!されど神の力はここにあり!古の力!女神の息吹!解放の時は来た!!」


 特殊な呼吸法と詠唱を終えた瞬間。双魔の全身が白銀に光り輝き、神気が溢れ出す。これに、混元金斗は驚きを露にする。


 『ッ!その力は…………なれは何者……そうか、汝が“神器保持者”とやらか。神の臓器を持って生まれ落ちた人間か』

 「答える義務はない!が、そこまで分かってるなら、混元金斗……アンタは俺がしようとしていることが分かるはずだ!」

 『ふん、侮るでない。貴様が幾ら仙気を放出できようと、妾の敵ではない。全て吸い尽くして殺してくれるわ!黒姫!』

 「承知しました!」


 黒姫の身体を覆う黒い剣気が光を増し、混元金斗は双魔の身体からとめどなく溢れる神気を吸引しはじめた。


 混元金斗のいう仙気とは神気の中華での呼称だ。双魔が仕掛けたのは単純な力比べだった。底知れないフォルセティの神気を混元金斗が吸収しきれば双魔の負け。混元金斗の容量を双魔の放出し続ける神気が上回った時は双魔の価値という戦法だ。


 両者一歩も引かずに、双魔は白銀に身体を輝かせ、混元金斗は自らの中に渦巻く闇の中に神気を吸い込んでいく。完全に力と力が拮抗していた。


 『ソーマ!これで勝てるのか?』

 「大丈夫だ……俺とティルフィングならなっ!」


 ほんの少しだけ、不安気な声のティルフィングに双魔は威勢よく声を掛け、安心させるように柄を握り直した。


 『戯言を!汝如きに妾が負けるものか!』


 双魔の不遜な態度が気に食わなかったのか、混元金斗はさらに吸引力を強める。並の“聖騎士”クラスの遺物使い、“枢機卿”クラスの魔術師ならば死に至っているほどの魔力量を失っているが、双魔はびくともしない。さらに、双魔はこの状況で勝ち筋が見えはじめていた。


 (確かに……この力は数多の仙人を無に帰した力かもしれない……俺も気を抜けばすぐにでも全てを吸い込まれる……が、ここは神話の世界じゃない!!)


 「フッ!」

 『小癪な!』


 双魔は気合を入れると神気の放出量をさらに浄化させた。混元金斗は苛立ちを見せながら対抗して白銀の輝きを飲み込んでいく。そして、ついに異変が起きた。


 『……?黒姫!何をしておるか!力が弱まっておるぞ!!黒姫っ!』

 「……ごめん……なさい……がはっ!」

 『黒姫ッ!?』


 黒姫が喀血してその場に崩れ落ちたのだ。それと同時に、その身体を包んでいた黒い剣気が徐々に霧散していき、やがて混元金斗の“混元吸消穴”は完全に停止した。


 「狙い通りだ!混元金斗!アンタの今回の契約者は、妙な力で強化されているとはいえ、ただの人間なんだ!アンタの全力に耐えられるわけがない!」

 『ッ!?なんだとッ!!?』


 混元金斗は最上級クラスの仙人である雲霙の手によって猛威を振るった。されど、その力は契約者あってのものでもあった。強力な遺物はその力の代償として契約者の遺物使いの精神と肉体に負担を強いる存在だ。黒姫は洪仁汎より力を与えられてはいたが、神気を吸引し続けるという行為によって限界を迎えてしまったのだ。そして、その隙を双魔とティルフィングは見逃さない。


 「ティルフィング!」

 『うむ!』


 「『“紅氷の一斬ルフス・セッカッーレ”ッ!!』」


 二人の声が一つとなり、放たれた紅の剣気は凍てつく斬撃となって混元金斗へと向かっていく。黒姫の倒れた今、混元金斗は咄嗟に為す術がなかった。


 『ッ!おのれッ!仙人擬きっ…………ガァ!!!』


 “紅氷の一斬”は黒姫の手から離れた混元金斗に直撃し、混元金斗の黒い剣気が大きく削がれる。その瞬間だった。


 混元金斗の真下に太極図が浮き上がった。そして、それは天へと届く光の柱となって一瞬にして消え去った。そこに、混元金斗の姿はなかった。遠方の何処かから戦況を伺っている太公望が“封神”を発動させたのだろう。五王姫四人のうち、ここに一人が脱落した。


 『我が妹を打ち倒すとはなかなかの腕だ。されど、貴様は此処で退場だ』

 「なっ!?」


 双魔が、その目で混元金斗が崑崙山に送り返されるのを確かめた数瞬後だった。低く重厚な男の声が聞こえたかと思うと、白姫がすぐ傍まで迫っていた。その手には金色に輝く巨大な鋏が握られている。


 「“金蛟きんこう道紐鎖どうじゅうさ切断せつだん”!」


 ジャキンッ!!


 透き通った白姫の声と共に大きく広げられた鋏が閉じられた。同時に何かが切断される音がはっきりと響いた。


 その直後だった。


 「ぐっ!!?がっ……ガアアアアアアアアアアアアアアアーーーーッ!………………」

 「ッ?何が起きたのだ!?ッ!!?ソーマッ!!?」


 突如、双魔が左手で胸を押さえて絶叫した。剣の姿だったティルフィングは何の前触れもなく、少女の姿へと戻ってしまう。何が起きたのか、ティルフィングはまだ理解していなかった。白銀の神気が爆発する。


 「がふっ!!……」


そして、伏見双魔は口から鮮血を噴き出すと、そのまま蜀の大地へと墜落した。


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