第555話 ”混元金斗”
「青雲剣の一撃を防ぐか。大したものだ」
神々しい白い剣気に守られた城壁を眺めて呟いたのは、白姫の後ろで腕を組んで立つ男だった。身の丈は百八十センチメートルほど。白い戦装束の上に金細工で彩られた龍鱗紋様の白い鎧をつけた精悍な顔つきの美丈夫だ。浮かべる笑みは虎のように獰猛。口元からは龍のような長い髭が一対生えて、戦場の空気を感じ取っているのか、一切の鋭い鉄線の様に張り詰めている。
「兄様、ここは妾が」
鈴のなるような声で男を兄と呼んだのは、黒姫の後ろで淑やかに立っていた女だ。身の丈は百六十センチメートルほど。白姫と黒姫とほとんど同じだ。黒く艶やかな衣に、金細工の耳飾や腕輪で豪奢かつ上品に実を飾っている。女性らしいふくよかな体型と顔つき。雪兎のような可愛らしさを感じさせる美女。頭の後ろからは龍の角が一対生えており、これも金細工で飾り立てられている。
「許す。金斗、お前の力があればあの障壁もすぐに破れよう。青雲剣では全てを破壊しかねない故な。止めは我に任せておけ。虻の如き遺物使い共は降魔杵と青雲剣が片付けてくれよう。手に余るようなら我がやる。存分に力を振るってやれ。我らの悲願……幾千年振りの戦である」
「はい、かしこまりました。兄様。黒姫、良いですか」
「はい」
「それでは参りましょうか」
龍角の美女が瞼を閉じる。すると、その身体から黒い剣気が渦を巻いて迸り、やがて金色の光に包まれて、黒姫の腕の中に収まった。
輝きが収束し、現れたのは一メートルほどの大きな口の広い金色の斗だった。四つの側面にはそれぞれ神々しさと禍々しさを兼ね備えた黒竜の紋様が計四頭刻まれている。実に異様な雰囲気を漂わせていて、その口は、目にした者に全てを吸い込まれて、無に帰されてしまような恐怖心を感じさせる。
そして、龍角の美女が本来の姿に戻った時、契約者である黒姫の目には、いつの間にか現れた紅の氷の小山を滑って、こちらに接近する黒い外套を纏った遺物使いの姿が目に映った。右手に持っている白銀の剣が遺物だろう。
「
黒姫は混元金斗、そう呼んだ契約遺物に訊ねた。黒姫は姉の白姫と共に戦や仙道とは全く無縁に生きてきた。故に戦闘に関しては契約遺物の思いのままに動く。否、動くしかない。
『全体を狙いましょう。一人に固執するよりも、悉く力を奪って、苦しむ所を見物させてもらいましょう』
「分かりました」
黒姫は混元金斗を脇に抱えると、その口を城壁で闘う敵へと向けた。底の見えない混元金斗の口の中には、ただ、漆黒の闇だけが音もなく澱んでいた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『ソーマ……あの遺物、何だか不気味だぞ?今まであったことのない感じだ』
紅の氷山の斜面を滑り降りて、敵へと疾走する双魔にティルフィングが少し嫌悪の混じった声を掛けてきた。ティルフィングがこんな声を出すのは珍しい。しかし、その気持ちはよく分かった。
双魔は黒姫と呼ばれていた黒い衣の遺物使いを標的に定めていた。丁度、黒姫との距離を半分詰めた時点で遺物が真の姿を現したのだ。黒い剣気を纏う黄金の斗。ティルフィングの言う通り、これまでの経験が黄金の斗の底知れない力への警鐘を鳴らしている。
「ん……アレは恐らく直接戦闘するタイプの遺物じゃない……搦手専門……嫌な予感がするな。まさか……ティルフィング!」
『うむ!任せておけ!大きいのか?多いのか?』
ここは接近する前に遠距離で様子を見ておきたい。双魔が声を掛けるとティルフィングはすぐに応えてくれる。
「ん、どっちもにする」
双魔は右足でブレーキを掛けて滑落の速度を緩めると、ティルフィングを掲げた。紅の剣気が迸り、数十本の巨大な氷の剣を形成する。
「“
鋭い声で解技を発動し、ティルフィングを振り下ろすと紅氷の大剣はタイミングと軌道を異にしながら黄金の斗の口をこちらに構える黒姫へと飛んでいく。
(さあ、どう捌く?)
“紅氷大剣多重乱舞”は相手の能力を見極めるための、いわば小手調べだ。そして、次の瞬間、双魔は目に映った光景で黒姫の遺物の正体を確信した。
四方八方十六方から直線曲線蛇行と無数の軌道を描いて黒姫の身体に向かっていた紅氷の大剣は全て、黄金の斗の口へと吸い込まれ、そこに満ちる闇へと消えていった。
「相手の攻撃を吸い込む黄金の斗……間違いないな」
『ソーマ、あ奴を知っているのか?』
「ん……あの遺物の名前は混元金斗!『封神演義』にその名を謳われる、全てを吸収し、無に帰する最強格の宝貝……ッ!?」
双魔が黒姫の遺物が混元金斗であると見抜いた、その直後だった。黒姫が脇に抱える混元金斗から黒い剣気が迸った。そして、一メートルほどだった混元金斗は三メートルほどに巨大化する。
「全て、全て無に帰りなさい……“混元吸力消穴”!!」
黒姫の叫び声で、混元金斗の解技が発動した。戦場に数瞬の凪が訪れ、徐々に混元金斗の中に澱む漆黒が引力を発生させる。引き寄せられ、吸い込まれるのは剣気と魔力だ。
『ぬあっ!?何だこの感覚は!気持ち悪いぞ!?』
「くッ!」
ティルフィングが不快感全開の悲鳴を上げた。双魔も身体から少し力が抜けるのをはっきりと感じた。視線を一瞬、横と後ろに送ると、赤姫に迫っていた朱雲と翼桓の動きは明らかに鈍くなり、アイギスの障壁も僅だが輝きが減退していた。
そも、“混元金斗”とは『封神演義』において太公望側の
その力が発動して、僅か一分に満たないこの時間でこれだけの威力を発揮されては敗北は必至だ。
(どうする?真っ先に叩いて混元金斗を呂尚殿に封じてもらう?いや……)
混元金斗と黒姫の隣に堂々たる姿で立っている白い遺物もまた、只ならぬ剣気を纏っている。その手は難しい。そもそも、双魔とティルフィングは決定的な一撃を有していない。そこで、双魔は閃く。
(一か八かの賭けはしたくないが……奴を釘付けにできれば……よし)
「ティルフィング!混元金斗を俺たちだけに引きつけるぞ!」
『む?よく分からないが、分かった!』
「“
双魔は剣気を濃密な霧へと変化させて、混元金斗と左翼で闘う朱雲と翼桓、城壁とを遮るように拡散させた。“紅氷の濃霧”はその名の通り、通常の“紅氷の霧”よりも剣気の密度が十倍以上高い。よって、混元金斗の剣気をある程度封じ込めることができると予測した。
そして、その判断は的中した。“混元吸力消穴”の効果範囲は確実に狭まり、双魔の周囲だけに限定させることに成功した。それに、向こうも気づく。
『中々、面白いことをなさるのね?異邦の宝貝遣いさん。でも、妾の相手を一人でするだなんて、少し傲慢が過ぎるのではなくて?』
混元金斗の嫋やかな声が、双魔の耳に届く。殺気の孕んだ恐ろしい声色でもあった。されど、双魔は怯まない。
「俺は一人じゃない。ティルフィングがいるからな」
『うむ!コンゲンキントとやら!我とソーマの力を思い知らせてくれるぞ!』
『面白い。やって見せよ』
「俺たちとアンタ、どっちが耐えきるか……根競べといこうか!!」
勇ましく不敵な笑みを浮かべた双魔の身体と、ティルフィングの剣身は白銀の輝きを帯びていた。
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