猫の日?悲喜劇?大騒ぎ?2

 「ん、誰もいないのか?」


 遺物科評議会室前に到着し、扉に手を掛けると、鍵がかかっていた。今日は誰も来ていないらしい。鍵を解除して部屋に入ると、陽射しが差し込んでいたお陰か部屋の中は暖かかった。


 「ソーマ、お湯を沸かすぞ」

 「ん、頼む。よっこいせっ……と」


 ティルフィングが電気ケトルのスイッチを入れるのを横目に双魔は自分の椅子に腰掛けた。勿論、黒猫は抱いたままだ。ここに来るまでの間もゴロゴロと喉を鳴らしながら大人しく抱かれてくれていた。


 「……お前さん、可愛いな?」

 「にゃ!?……んにゃ……ゴロゴロゴロ……」


 双魔は黒猫を机の上に下ろしてやると、じっと見つめて喉元あたりを撫でてやった。最初は目を大きくして驚いたようだったが、すぐに気持ちよさそうに喉を鳴らしはじめた。ついでに双魔の手にすりすりと身体を擦りつけてくる。


 「……なんか、見覚えがあるんだよな。お前さん……何となくだが、メスか?」


 毛並みといい雰囲気といい、双魔は黒猫に何処かで会った気がしてならない。なんとなく性別を聞いてみる。尻尾の付根あたりを見れば一目瞭然だが、流石に猫相手でも申し訳ないので聞いてみた。すると。


 「……にゃ……んにゃう……にゃぁ……」

 「……ん、よしよし」


 猫は少し間を空けて首を縦に振った。女の子で間違いなかったらしい。そのまま見つめ合っていると黒猫が悲しそうに鳴くので、双魔はもう一度猫を抱き上げてやった。喉や背中を優しく撫でてやる。少しすると安心してくれたのか、黒猫はまた喉を鳴らしはじめた。


 (そういや……猫はここも喜ぶって聞いたことあるな?)


 双魔はふと、聞いた話を思い出して、猫の背中を撫でていた手をスライドさせ、尻尾の付根あたりを軽く叩くようにポムポムと撫でてやった。


 「んにゃ!?にゃ!んにゃー!にゃ……にゃふ……んにゃぁぁぁ……」

 「驚かせちまったか?悪いな……」


 最初は身体をビクリと大きく揺らした黒猫だったが、次第に大人しくなり、気持ち良さそうな声を細く口から流しはじめる。聞いた話は本当だったようで、双魔もホッと一安心だ。


 ピー!


 電子ケトルがお湯の沸き上がったことを伝えるように鳴いた。さて、黒猫を抱いたまま茶を淹れるわけにもいかない。どうしたものかと、双魔が顔を上げたようとした時だった。今日何度目になるか。扉の方から視線を感じる。そちらに目を向けると、そこにいたのはアッシュとロザリンだった。


 「わ!もしかして噂の猫ちゃん!?」


 アッシュがさっきのティルフィングの同じように目を輝かせて部屋に入ってきた。アッシュも動物好きだ。実家のお屋敷や別荘にはたくさんの動物が住み着いていて、世話を焼いている。


 「ん、多分、その噂の猫だ」

 「綺麗な猫ちゃんだねぇ……女の子かな?」

 「そうらしい」

 「……双魔、猫ちゃんにまでモテるの?」

 「お前さんは何を突然怒ってるんだ?」

 「……にゃう」


 アッシュの凄みのある笑顔に驚いてしまったのか、黒猫は双魔の胸に埋めるように顔を逸らした。


 「あ、驚かせちゃったかな?」

 「アッシュ、お茶が飲みたいのだが……」

 「うん、僕が入れるよ!ティルフィングさんも座ってていいよ……あれ?ロザリンさん?どうしたんですか?」


 アッシュの声に双魔が顔を上げて、もう一度扉の方を見ると、ロザリンが扉から顔を半分ほど覗かせてこちらを見つめていた。なんだか遠慮しているようで、ロザリンにしてはかなり珍しい。


 「…………後輩君」

 「ん?なんですか?」


 じっと見つめたまま、ロザリンが声を掛けてくる。部屋の中に入ってくる様子はない。


 「…………後輩君は……猫派?」

 「……はい?」

 「…犬より……猫の方が……好き?」

 「いや、別にそんなことは……犬も好きですけど」

 「……本当?」

 「はい……」

 「うんうん、それならよかった」


 何を確認したかったのか。ロザリンは問答の末、部屋に入ってくると、いつものように後ろから双魔に抱きついてきた。双魔は前門の黒猫、後門の大型犬(人)状態になる。が、いつもより勢いよく抱きついたきたせいで、双魔の上半身が前に倒れる。


 「ロザリンさん、危な……」

 「んにゃ?」

 「「んっ」」


 奇跡か偶然か。双魔の上半身が倒れるタイミングと腕の中で顔を隠していた黒猫が顔を上げるタイミングが重なった。そして、なんと、双魔の唇と黒猫の口が触れ合った。分かりやすく言えば、双魔と黒猫はキスをしてしまったのだ。その瞬間だった。


 ボンッ!!


 「何だ!!?」

 「えっ!?何!?何!?」


 突然、小規模な爆発音が発生し、同時に評議会室は白い煙で満たされてしまった。ティルフィングとアッシュが驚きの声を上げる中、双魔から離れたロザリンが部屋の窓を開けると、煙が外に流れ出ていき、段々と遮られた視界が晴れていく。


 (なんだ?……この感じ、猫はない……これは……)


 一方、三人と同じように視界を奪われた双魔は、それだけでなく、自分の腕の中にいた猫の変化を感じていた。猫は一気に巨大化して双魔の膝の上に体重がかかる。それが何者なのか、双魔が察する頃には、白煙は既に消え去っていた。取り戻された双魔の視界に映っていたのは……


 紫黒色の艶やかなサイドテール。理知的な紫色の瞳。整った美しい顔と白い肌。見慣れた魔術科のローブに白系のブラウス、黒いスキニーパンツの組み合わせ。双魔の膝の上に跨っていたのは黒猫ではなく…………イサベルだった。


 「にゃ?」


 自分の身体に起きた変化に気づいていないのか、イサベルは猫の鳴き真似をしてきょとんと首を傾げて双魔の顔を見つめている。


 「…………イサベル、何がどうしてこうなった?」

 「にゃ!?え!?……私……元に戻ってる!?」

 

 双魔に名前を呼ばれたイサベルは、目を大きく見開いて自分の身体を隅々まで見回す。やがて、紫色の綺麗な瞳からほろほろと大粒の涙を流した。


 「よかった……私、もう……戻れないのかと…………」

 「…………ん」


 双魔は何も言わずにそっとイサベルの手の背中を撫でてやった。つい少し前まで黒猫にしてやっていたのと同じように、優しく、イサベルが落ち着くまで背中を撫でてやるのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 「…………殺して……」


 十五分後、イサベルは魔術科評議会室の隅で双魔たちに背を向けて三角座りをしていた。ほとんど動かないのと、すすり泣くように呟いているので、まるで夜泣き石だ。ちなみにあんな状態なので、詳しい話は聞けていない。


 「えーと、つまり……」

 「あの猫ちゃんは、イサベルさんだったってこと?」

 「……まあ、そうなるな」

 「イサベルちゃん、変身魔術使えるの?」


 イサベルの様子を窺いながら双魔たちはこそこそと話していた。そっとしておいてあげたいが、一人にさせるわけにもいかない。そんな、事態を目撃した全員の精一杯の配慮だ。


 「多分、使えないと思います……」


 魔術師の中には動物などに変身する魔術を行使する者もいるが、イサベルは生粋のゴーレム使いだ。変身魔術は使わないはずだ。すると、どうしてイサベルが猫になってしまっていたのか分からない。


 コンッコンッコンッ!


 すると、そこに誰かが訪ねてきた。控えめに扉がノックされる。


 「はーい!どちら様ですか?」

 『こ、こんにちは!クラウディアです!入っても大丈夫ですか?』

 「ん、いいぞ」

 「し、失礼します……」


 おずおずと部屋に入ってきたのは、錬金技術科の白衣を羽織った瓶底眼鏡と一本にまとめた三つ編みがトレードマークの錬金技術科評議会副議長、クラウディア=フォン=ホーエンハイムだった。錬金技術科の良心、双魔の主治医的な存在でもある良い子だ。


 「クラウディア、どうした?」

 「そ、その、クッキーを焼いたので皆さんに召し上がっていただこうかと……思いまして」


 そう言って、クラウディアは両手で大事そうに持っていた木製の菓子皿を机の上に置いた。更には色のいい焼き目とバターの香る美味しそうなクッキーが沢山並んでいる。形はクエスチョンマークのようなものや、細長くて曲がったものなど、少し変わっているが、実に美味しそうだ。、


 「わー!可愛いね!いいの?」

 「はい!たくさん作ったので……美味しくできてると思うので!」

 「クラウディアちゃん、ありがとう。いただきます。はむっ……」

 「僕も!いただきまーす!はむっ……」

 「感謝するぞ!いただきますだ!ぱくっ!」


 ロザリンに、アッシュ、ティルフィングはクラウディアに礼を言うと早速クッキーを口にした。折角、紅茶を淹れたのにお茶請けがなくて困っていたところに、ベストタイミングだった。双魔は形が気になったので、食べる前にクラウディアに聞いてみた。


 「クラウディア、これは……何の形だ?」

 「は、はひ!あの!猫の尻尾です……可愛いと思って……」

 「猫の尻尾か。なるほどな、たしかに……………………猫?」


 ボンッ!!


 双魔が眉を顰めた瞬間だった。ついさっき聞いたのと同じような小さな爆発音が評議会室に響いた。


 「まさか……」

 「え?え?なんですか!?」

 「む!?」


 そのまさか。なんと、クッキーを食べたロザリンとアッシュが座っていた椅子の上には…………


 「んにゃ?」

 「にゃー!」


 若草色の毛並みが美しいロングヘアーの猫と、金色の毛並みで愛嬌のあるショートヘアーの猫が座っていた。


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