第543話 美しき冷艶鋸
「双魔殿!拙と青龍を先に地上へ転移させていただけますか?」
「いや、俺とティルフィングも一緒に行く」
「承知しました!青龍!関帝の名の下に命じます!汝、真の姿を我が手に!!」
「承知!」
朱雲の呼び掛けに青龍偃月刀が答えるのと同時に、客室内を満たしていた赤色灯の明かりが青緑に輝く光の奔流に塗り潰された。それは一瞬のこと。光は朱雲の手に収束する。そこに握られていたのは青緑色の龍鱗紋の刃とその付け根の黄金に輝く龍頭び装飾が美しい長柄武器。水平に構えているが、柄の長さだけで朱雲の身長を優に超える巨大な青龍偃月刀。
「……まさに美しき
緊迫した状況であるのに思わず、双魔は吐息を漏らした。“冷艶鋸”とは青龍偃月刀の別称だ。そも、青龍偃月刀とは一般武器の名称でもある。朱雲と契約を交わす青龍偃月刀、関羽のそれは特に“冷艶鋸”と呼ばれることがある。鋭く艶のある刃の美しさはその名にふさわしかった。
『その名で呼ぶのは止めてもらおう。我は義を胸に滾らせる者。冷たいと思われては些か具合が悪いゆえ』
「青龍は青龍と呼ばれる方がお気に入りなのです!申し訳ありません!」
姿を変えた後なので、表情は窺えないが不機嫌そうな声の青龍偃月刀を朱雲がすかさずフォローする。
「ん、分かった。気をつける。ティルフィング!」
「うむ!」
双魔の呼び掛けに応じてティルフィングも白銀と紅、黒の刃へと姿を変える。双魔は空いた左手を朱雲の腰に回した。
「ひゃっ!?そっ、双魔ど……」
「座標指定、“
朱雲の動揺する声は最後まで聞こえることはなかった。空間魔術の燐灰の光が弾け、そこにはもう二人の姿はなかった。
「……主」
「玻璃、うちらも準備はしとこ。もしもの時はイサベルはんだけやなくて、機長はんや他の人も助けな。二射目以降も来るかもしれへん。油断はできひんよ」
「……承……知……」
浄玻璃鏡は主命により紫水晶の鏡へと姿を変え、鏡華の胸元に収まった。その時だった。
「鏡華の嬢ちゃん、無事だったか!」
「ゲイボルグはん?ロザリンはん!?どうしたん!?」
客室に飛び込んできたのは、鏡華の警告を聞いて機体の上へと迎撃に向かったはずのロザリンとゲイボルグだった。ロザリンはぐったりとした様子でゲイボルグの背中に負ぶさっている。
「一言で言えばカロリー不足だ。しくじっちまって迷惑かけるな……」
いつも飄々としているゲイボルグが申し訳なさそうに尻尾を下げて、ロザリンに至っては失神しているようにも見える。鏡華から見ても規格外の強さを誇るコンビの弱弱しい姿に、鏡華はさらに奮起した。
(イサベルはんだけやない、ロザリンはんも……うちも踏ん張りどころ)
「レーヴァテインはんも、頼りにしてるからね?」
ティルフィングに置いていかれて不貞腐れているレーヴァテインにも声を掛ける。ティルフィングがいない時は気難しい性格になってしまうのは分かっているが、掛けた方がいいと鏡華は思ったのだ。
「鏡華さんたちが死んでしまっては、お姉様が悲しみますから」
レーヴァテインは素っ気なく応えたつもりのようだが、問い掛けから間がなかったので、元々そのつもりでいてくれたらしい。その頼もしさに、鏡華は思わず顔を綻ばせてしまうのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「っ!これが双魔殿の転移魔術!」
『大した物だっ!神仙の領域と言っても過言ではない!』
双魔に抱きかかえられて上空三万フィートから一瞬にして百五十フィートの空中に転移した朱雲は感嘆の声を上げていた。青龍偃月刀も同じだ。メートル法換算で単純に垂直方向約九・一キロメートルを一秒足らずで移動したことを実感すれば、その反応も仕方ないだろう。
一方、自分の術には慣れ切っている双魔は転移後すぐに上を見上げた。堕ちてくる飛行機はまだ見えないが猶予はないはずだ。下を確認すると、朱雲の言った通り鬱蒼とした森の中に細い川が幾本も流れていた。
「朱雲!青龍!このまま離すぞ!俺はもう一度飛行機に戻る。こっちは頼んだ!」
「お任せください!必ず飛行機を受け止めて御覧に入れます!」
『承知した!そちらも健闘を祈る!』
「座標……指定……“転移”!」
二人の返事を聞き終えると、双魔は宣言通りすぐに朱雲を離し、もう一度転移魔術を発動した。目の前の景色がまた切り替わる。今度はアッシュとアイギスの障壁の内側、飛行機の真下だ。打ち抜かれて燃え盛るエンジンが放出する熱が肌を焦がす。
「っ!熱っ!」
『ソーマ!大丈夫か!?』
思わず出した声にティルフィングが心配そうな声を出した。双魔はそれに声を出すことなく、ただ笑って答えた。
「ティルフィング、やるぞ。アレの処理が俺たちの仕事だ」
『あの燃えているやつだな?』
「ん、爆発したら敵わないからな。燃えたまま落ちて火を巻き散らすのも森に悪い」
『分かった!』
「いつも通りだ。“
広く放出された剣気の霧が燃え盛るエンジンを包み込んでいく。ついでにもう片方のエンジンと燃料タンクのある左右の主翼も紅に染まっていく。火災のリスクは最小限に止めておきたい。そして、完全に霧が行き渡った所で一気に凍結させた。雲間から差し込む日光に紅氷が輝いて芸術品のように見える。双魔の胸中にはそんな余裕も生まれていた。
危機はまだ去っていない。が、アッシュとアイギスを、朱雲と青龍偃月刀を信じているが故に生まれた余裕だった。
『ソーマ、これで終わりなのか?』
「ん、俺とティルフィングの役目は、な。」
双魔は視線を下に向けた。機長と操縦士たちが懸命の努力をしてくれているようだが、既に地表は見えている。墜落までの時間はもうほとんどない。しかし、双魔は笑った。その眼差しの先には、上から見ただけでも数キロに渡る大河のような水の帯が煌めいていた。
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