第539話 成都城防衛戦

 「……さてさて、どーしたものかなー?」


 謎の青年、洪仁汎が呉を手中に収めてから三週間。その魔の手は隣国、蜀まで伸びていた。既に上帝天国の軍勢は荊州を横断し、蜀王都成都も目前としていた。そんな危機的状況の中、蜀王、劉具白徳りゅうぐはくとくは玉座に深く腰を掛け、大きな耳を飾り付ける玉のピアスを弄びながら思案に耽っていた。重臣たちは侵攻してくる上帝天国への対応で出張っていて傍にいるのは契約遺物の雌雄一対剣だけだ。


 上帝天国は荊州の民をも味方に取り込み、無血のまま此処に向かっているとのことだ。呉でも民を瞬く間に味方につけた。そこが気になる。いつの時代も民は不満を抱えてしまうものだ。その大小は問わず。


 「……反乱軍は放っておけないなんて意気込んだけど、太公望様の話じゃ今のところはまだ動けない。叩くなら頭しかないって感じかな?」


 ドッゴォォォォォーーンンッッ!!!ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!


 ガタガタガタガタッ!


 城外から凄まじい轟音が響き、それによって部屋が揺れる。劉具は耳を塞ぎながら楽しそうに笑った。


 「翼桓よくかんちゃんは今日も頑張ってくれてるみたいだね?太公望様の話もあったし、もう少しか」


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 「オラァァァァーーーーーー!!!」


 成都城を揺らした轟音の発生源では女物の衣の上から鎧を纏った禿頭の偉丈夫が雄叫びを上げていた。手には一丈八尺(四・四メートル)の長物。波打つ刃は敵を悉く薙ぎ払う。三国志演義に謳われる燕人張飛の伝説級遺物、蛇矛だぼうが握られている。偉丈夫の名は張翔翼桓。劉具を支える両翼の一片だ。


 「ッ!」


 雄叫びと共に放たれた横一振りの一撃に相対していた者が吹き飛ばされる。こちらは黄色の衣を纏った小柄な少女だった。少女は翼桓の力を利用して、空中で数回身体を回転させて距離を取って着地した。


 「降魔杵ごうましょとぶつかって、こんなことになるなんてっ!なんて馬鹿力なのよー!!?」


 少女は手に握った自分の得物と翼桓を見比べて忌々し気に叫んだ。降魔杵と呼ばれた少女の得物は柄の大きな短剣を二つ合体させたような、独鈷杵(どっこしょ)のような見た目で黄金に光り輝いている。


 「オホホホホホッ!誉め言葉として受け取っておくわ!貴女も俺と蛇矛と闘(や)り合えるなんて大したものだわ!でも!これで何度目かしら?そろそろ名乗るか目的を教えてくれたないと……俺も本気になるしかないわ……よっ!!!」


 翼桓は野太い声と上品な言葉遣いで応答しながら蛇矛を振り被って地面を思い切り蹴った。鍛え抜かれた肉体が躍動し、黄衣の少女が取った距離を瞬時に埋める。


 「くっ!?降魔杵!全力よ!」


 黄衣の少女の声に応えて降魔杵がその輝きを増した。蛇矛と降魔杵、それぞれの刃が再び交叉する。


 ギィンッ!


 薛なの衝撃、今度吹き飛ばされたのは翼桓の方だった。しかし、巨体からは想像もできないしなやかな動きで、黄衣の少女がしたように空中で数回転してから着地して見せた。


 「やるじゃないっ!けれど、それで全力なら俺を抜くことは一生できないわよっ!」


 余裕綽々な翼桓に黄衣の少女は歯噛みした。このままでは成都入場の露払いという、主命を守ることはできない。


 (くっ!まさかこんな化物がいるなんてっ!呉の大将軍は一撃で倒せたのにっ!なんとか……何とかしないと……そうだっ!)


 黄衣の少女は閃いた。単独で分が悪いのならば、数の力で隙を作ればいい。一キロほど後方には呉と荊州の兵が控えている。十万率いてきたが、奇怪な陣に阻まれて十分の一ほどしか辿り着いていないが、それでも十分だ。これは遺物使い同士の決闘ではない。神の国を実現するための戦争なのだ。思いついたならすぐに実行。黄衣の少女は大きく右手を上げた。進軍の合図だ。


 合図に呼応してすぐに大軍の鬨の声が響き渡る。全速力で突撃する配下の兵たちの影は既に忌々しき禿げ頭の門番にも見えたはずだ。一万の兵を相手にすれば必ず漏れが出る。そこが好機だ。しかし、少女の機転は一瞬にして崩れ去ることとなる。それは、張翔翼桓を侮ったが故である。


 「オホホッ!貴女の考えなんて俺でも簡単に見抜けるわ!だから、正面から打ち破ってあげる!姉上に兵は傷つけないように言われているけれど、それならば心を折ってあげればいいだけ!スゥゥゥゥゥーーーーーー…………」


 翼桓は深く息を吸った。肺が屈強な大胸筋を膨らませるほどに、同時に全身に蛇矛の濃緑色の剣気を纏う。迸る剣気に虎髭がそよそよと揺れた。握りしめた蛇矛を水平に構える。そして、溜めた力を一気に喉から放出した。


 「燕人張翔ちょうしょう翼桓ッ!!!!!貴様らが眼前に在りっっ!!!この手に掛かりたくばッ!!!その蛮勇を示せッッ!!!」

 「ッ!ギャッ!」


 戦場に響き渡る雷鳴の如き大音声。全身を殴られたような重い衝撃を黄衣の少女を襲った。思わず悲鳴が上がる。剣気の乗った雄叫びは少女だけでなく、その後方を突き進んでいた一万の兵たちにも当然届いた。雄叫びを受けた兵のほとんどがその足を震わせ、前進さえままならなくなる。数秒遅れて意識を刈り取られれる者も続出し、ただの一声を以って一万の大軍が壊滅した。


 その解技の名を“万人の敵は此処に在り”。長坂ちょうはんの戦いにおける張飛の勇猛を模倣、剣気との融合により解技に昇華した大咆哮。


 木霊こだまが去っていった頃、戦場に立っているのは数分前と同じ、翼桓と黄衣の少女のみであった。


 「翼桓殿っ!助太刀に!」

 「あら!子虎!いいところに来たわ!あの子を生け捕りにするの手伝って頂戴!」

 「承知!」


 禿げ頭の守っていた城門を飛び越えて、白い制服の上から鎧を纏った少年が現れた手には穂の根元の紅色の飾り房が美しい全長三メートルほどの槍を携えている。恐らく遺物使い。これで一対二。少女の不利は明確だった。しかし……


 「禿げ頭!覚えてろなさーいっ!次は必ず!この降魔杵でぺちゃんこにしてやるんだからっ!」


 黄衣の少女がどう聞き取っても負け惜しみな言葉を吐き捨てた。それと同時に小さな身体は謎の光に包まれ、瞬きをする間もなく、跡形もなく消えてしまった。気づけば戦意を挫いた大軍も姿を消している。翼桓も子虎も驚かざるを得なかった。


 「どういうことなのかしらっ!?」

 「……我々が相手にするのは奇怪な者たちであることをこの目で確かめてしまいましたね……それよりも、白徳様からお話があると」

 「姉上が?分かったわ」


 翼桓は白徳に飛ばれたと分かった途端、衣の裾を持ち上げてそそくさと門の中に入っていった。人型に姿を戻した蛇矛もその後をついていく。


 「では、異変があればすぐに伝えてくれ」


 子虎も門衛に声を掛けると、涯角槍がいかくそうを担いだまま翼桓を追った。門衛たちは拱手で二人の将軍を見送ると持ち場に戻った。見下ろす門前は、つい先ほどまで遺物使い同士の戦いが繰り広げられていたとは信じられないほど、静寂が漂っていた。


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