第537話 差し伸べられた手

 「……皆様……拙もこのようなことになるとは知らず……申し訳ないです……」


 朱雲は青龍偃月刀に関節を極められたままで滑稽な体勢なのだが、目に涙を浮かべている。その心情のいかばかりかが分からない薄情者は今、この空間には一人もいなかった。そして、アッシュが朱雲の前に立ち、手を差し伸べた。


 「……」


 それを見た青龍偃月刀は何も言わずに朱雲を解放した。アッシュが何を言いたいのか分からないのか、朱雲はピシッと姿勢を正しながらパチパチと瞬きをした。浮かんでいた涙が赤い絨毯に落ちて消えた。


 「……アッシュ殿?」

 「まず、僕の手を取って」

 「は、はい……」


 朱雲がポカンとしたまま言われた通りにアッシュの手を取る。アッシュは朱雲の手を握りしめると腕を引いて朱雲を立ち上がらせた。小柄な見た目からは想像もできない力強さだった。


 「うん。立ったね。朱雲さん、僕は君に手を差し出した。君は僕の手を取って立ち上がった。これだけで十分だよね?」

 「じゅ、十分というのは……」


 朱雲はまだ状況の整理ができていないようだった。だから、アッシュは笑って見せた。


 「謝ることなんてないよ。朱雲さんは僕の手を取ってくれた。だから、僕たちは君を助けるよ」

 「っ!?」


 朱雲はハッとして目を見開いた。桃色の瞳に、アッシュの笑みが映っている。


 「アハハ、どうして?って顔かな?僕は双魔と同じ“聖騎士”だからね。中華で動乱が起きたなら、それは世界の秩序の乱れに繋がるよ。必ず。だから、蜀が叛乱軍と戦うなら手を貸すよ。それに“聖騎士”じゃなくても、遺物使いじゃなかったとしても、僕が君を助けたいんだ。僕の親友は意外とお節介だからね。いつの間にか僕にもうつっちゃったんだ!アイもいいよね?」

 「アッシュがそうしたいのなら別に好きにすればいいわ。私は貴方の意思を尊重するから」


 アッシュが振り返って同意を求めると、謎の魔術師が転移してきてからも碁盤を見つめていたアイギスは手に持った白の碁石を弄びながら首を縦に振った。


 「ヒッヒッヒッ!俺も乗るぜ。何やらキナ臭いしな!そう言うのは嫌いじゃない!ヒッヒッ!心配するなよ、嬢ちゃん。ロザリンも文句は言わないだろうぜ!あとで飯でも食わしてやればな!」


 アイギスの首肯を見て、ゲイボルグも体を起こして楽しそうに加勢を宣言した。アイギスと向き合っていた浄玻璃鏡も朱雲を視線に捉えた。


 「主も……拒む……こと……は……な……い……何より……婿殿……は……貴殿……を見……捨て……な……い……」

 「アハハ!玻璃さんもああ言ってるよ!だから、大丈夫!」

 「……ありがとう、ございます……ありがとうございます!」


 朱雲はアッシュの手を両手で握って頭を下げた。精一杯、朱雲が今示せる最大限の感謝だ。その姿を見て、青龍偃月刀も静かに頷くのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「と、いうことが双魔殿のいらっしゃらなかった間の出来事です。アッシュ殿の言った通りでした……」

 「ね?僕の言った通りだったでしょ?」

「……くらえっ」

 「痛っ!?何するんだよー!」


 朱雲が双魔がいない間のやり取りを説明し終えると、アッシュは得意げに双魔を見上げてきた。何となくムカついたので双魔はアッシュにデコピンを食らわせてやった。アッシュは怒って頬を膨らませたが無視する。


 「朱雲、話はよく分かった。さっきも言ったが、俺はお前さんの、蜀の力になる。状況は未詳、何ができるかも分からない。それでも、協力する。上帝天国とやらの好きにはさせない」

 「はい……はいっ!ありがとうございますっ!とても心強いです!」

 「っと、泣くのはまだ早いぞ」


 双魔は緊張の糸が切れたのか、ほろりと涙を流した朱雲の頭に手を置いて優しく撫でてやった。何処までも真っ直ぐな朱雲を見ていると自然にそうしてしまった。


 「あわわっ!たっ、確かに双魔殿の言う通りです!気合を入れます!」


 朱雲は顔を真っ赤にしながら両腕を上下にぶんぶん振った。気合を入れる時の癖らしい。


 「勝手に話を纏めちまったけど……三人もそれでいいか?」

 「双魔がそうしたいなら」

 「私も、朱雲さんの故郷を助けるために助力は惜しまないわ」

 「うんうん」


 鏡華もイサベルも、ロザリンも同意してくれた。初めから反対されるとは思っていないが、これで双魔の心も固まった。「蜀を救援する」ということでこの場にいる全員の心が重なる。後は、敵勢力に警戒しながら飛行機が蜀に到着するのを待つだけだ。


 「少しいいかしら。双魔」


 話がまとまったと思った時だった。碁盤を見つめていたアイギスが顔を上げて双魔を呼んだ。全員の視線が彼女に集まる。


 「ん?何ですか?」

 「その子、もう出してあげてもいいかしら?」

 「その子?…………あっ」


 アイギスの視線を追うと……そこにはアイギスの剣気の球体の中で蒼炎の剣気を盛大に漏らしながら目を真っ赤に泣き腫らしたレーヴァテインがいた。声も遮断されているせいで聞こえはしないが、視線と口の動きで「おねえさま―――っ!!!!」とティルフィングを呼んでいるのがよく分かった。


 「……ティルフィング」

 「……ソーマ……まさか……」

 「お姉さんだろ?ちゃんと、慰めてやってくれ」

 「ま、待つのだ!」

 「もういいわよね?アッシュ」

 「う、うん!“球体スパイラ”解除っ!」


 双魔が球体の中で流動するレーヴァテインの剣気を鎮静化させると同時に、ティルフィングの制止を無視して、アッシュとアイギスは障壁を解除した。


 「お゛ね゛ぇさまーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」

 「ぬあーーーーーーーーーーーーー!!!???」


 客室にレーヴァテインの泣き声混じりの叫び声と、ティルフィングの珍妙な悲鳴が響き渡った。


 蜀国成都到着まで、後九時間二十分。

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