第535話 ティヤム
「……む」
イサベルとマグス、ダエーワの会話を退屈そうに聞いていたアジ・ダハーカが御座に預けていた上半身を起こした。その次の瞬間だった。丁度、御座と鏡華とロザリンが座る椅子の間に紫色の魔法円が出現した。回転する魔法円の中心に二人の人影が現れる。双魔とティルフィングだ。二人が石床に足をつくと魔法円は溶けるように消えた。
「双魔」
「双魔君!」
ロザリンは椅子かラら飛び上がり、イサベルもマグスとダエーワとの会話を中断して双魔とティルフィングに駆け寄った。
「む!ロザリン!イサベル!キョーカも来ていたのか!ソーマ!」
「……ん、知ってる……」
ティルフィングは三人を見て嬉しそうにしているが、双魔は疲労困憊といった様子で、ティルフィングに支えられて何とか立っているように見えた。
「双魔君、大丈夫?ひどく疲れているようだけど……」
「ん……ああ、大丈夫だ……ありがとさん……イサベルこそ……大丈夫か?疲れてるみたいだが……」
「私は大丈夫よ!それより双魔君が……」
どう見ても自分の方が疲れているのに、自分の心配をしてくれる双魔が愛おしいやら、心配やらでイサベルはあたふたしてしまった。そこに鏡華も寄ってくる。
「ティルフィングちゃん」
「む?うむ、分かった!」
ロザリンに声を掛けられたティルフィングは双魔を支える役目を交代した。身長差がほとんどないロザリンに支えられた方が双魔も楽だろう。
鏡華はハンカチを取り出すと、双魔の額に浮かんだ汗を優しく拭いはじめた。
「また、無茶してきたん?」
「ん?……いや、そんなことはないぞ……多分」
「もう、いつも言うてるけど、あんまり心配掛けんといて」
「…………悪いな。ロザリンさんもありがとうございます。自分で立てますから大丈夫です……その、当たってるので……」
双魔はロザリンから目を逸らしたまま遠慮がちに言った。ロザリンは抱きつくように双魔の身体を支えているので、豊かな胸がふにふにと双魔の背中で形を変えていた。
「?ゲイボルグが男の子はこうすると元気が出るって……」
「ロザリンさん!双魔君も大丈夫って言ってますから!」
双魔の内心を察したイサベルがやんわりと双魔とロザリンの間に割って入った。ロザリンは不思議そうに首を傾げていたが、双魔はホッとしていた。そのまま、しっかりと自分の足で立つ。
「……ザッハーク」
「は。双魔殿、こちらを」
「ああ……ありがとうございます……んっ…んっ……んぐっ……プハーッ!生き返る!」
頃合いを見計らったアジ・ダハーカに命じられたザッハークが金と宝石で彩られたガラスのゴブレットを双魔に差し出した。双魔はゴブレットを受け取ると、なみなみと注がれていた葡萄酒を一気に
「妾の愛しい双魔……上手くいったことは知っておるが、ほんに大事はないか?」
「ん、大丈夫です。師匠のお陰で何とか形にできました。ありがとうございます」
「うむうむ!それは良かった!妾も満足じゃ!」
双魔に頭を下げられて、アジ・ダハーカは大層嬉しそうに微笑んだ。鏡華たちの相手をしていた時とは全く別人だ。
「……ティルフィングちゃん、双魔、何してたの?」
「む?それは秘密だだ!ソーマと約束したからな!」
「そう。約束なら仕方ないね」
「うむ!」
双魔が何をしていたのかロザリンがティルフィングに聞いたが、秘密の約束と聞いてそれ以上は聞かなかった。聞き耳を立てていた鏡華とイサベルもそれで諦めた。
「……ん、そうだ……師匠」
「うむ!何じゃ?」
「えーと……その……もうお互いに紹介は済んでいるとは思うんですが……一応、俺から紹介します」
双魔は鏡華、イサベル、ロザリンに視線を送った。三人はすぐに察して双魔の隣に並んだ。愛しい人が自分たちと師に筋を通そうという心意気を削ぐようなことをしてはならない。
「こちらは六道鏡華さん、イサベル=イブン=ガビロールさん、ロザリン=デヒティネ=キュクレインさん……俺の大切な人たちです」
四人の真摯な視線が御座のアジ・ダハーカを見上げた。神は神を欺く者を許さない。されど、誠を示す者は認め、時には祝福をもたらす。アジ・ダハーカは古き女神である。愛すべき弟子とその恋人たちの誠意を認めないということはない。
「……うむ、其方の愛する者たちのことは妾も認めた。己の惚れた娘たちを悲しませるでないぞ?」
「はい!師匠に誓って!」
「良い返事じゃ……それと……」
愛弟子に慈愛を以て説いたアジ・ダハーカは少し恥じらうような仕草を見せながら、するりと御座から離れると双魔の前に立った。
「何ですか?」
「……妾のことも忘れないように、な」
「ん、勿論です。俺の心の中にはいつでも師匠がいますから!」
「うむうむ!妾は良い弟子をもって幸せじゃ」
アジ・ダハーカは嬉しそうに双魔を抱擁した。そろそろ別れの時間だ。双魔も師の抱擁を受け入れる。が、ここで一つ双魔の知らない女たちのやり取りがあった。
「…………」
双魔には見えなかったのだが、双魔を抱きしめたアジ・ダハーカは鏡華、イサベル、ロザリンを挑発するように、思いっきりにんまりと笑っていたのだ。俗に言う「ドヤ顔」だ。
「……ほほほ」
「うんうん」
「……ははっ……は……」
鏡華は正面からアジ・ダハーカの挑発に立ち向かい、ロザリンはアジ・ダハーカの意図が分からなかったのか、双魔と抱き合った喜びの笑顔と理解して頷いた。アジ・ダハーカの思い通りの反応を示すのはイサベルだけで、乾いた笑い声を上げていた。
それから、数分、師と弟子は別れを惜しんで抱き合っていたが、何時までもそうしているわけにもいかない。流石の関係というべきか、二人はほとんど同じタイミングで抱擁を解いて向き合った。
「師匠、そろそろ。俺は……」
「うむ……分かっておる。蜀に行くのじゃな?中華は今、戦火の最中じゃ。十分、気をつけるようにな」
「……戦火の?」
師の意外な発言に双魔は引っかかったが、それ以上言うつもりはないのかアジ・ダハーカは静かに頷くだけだった。「その目で確かめ、乗り越えろ」、そう言いたいのだろう。双魔には師の考えがそれだけで分かった。
「ザッハーク」
「は。それでは双魔殿、契約遺物殿、お三方。飛行機までお送りいたす。前へ」
「師匠、ありがとうございました。今度はまた近いうち会いに来ます」
「アジ・ダハーカ、また会おう!」
「お師匠はん、おおきに」
「アジ・ダハーカ様、マグスさんとダエーワさんも!ありがとうございました!」
「ばいばーい」
それぞれが挨拶を終えると来た時と同じ蛇眼紋様の魔法円が双魔たちの足元に浮かび上がり、そして転移が発動した。アジ・ダハーカの神殿に久しぶりの賑やかさをもたらした愛弟子と契約遺物、恋人たちはもういない。
「……無事、飛行機に転移完了いたしました」
「うむ。下がってよい。暫し一人にさせよ」
「…………」
優秀な従者は恭しく首を垂れると音もなく姿を消した。静寂を取り戻した謁見の間で、“千魔の妃竜”は物想いに耽る。
“ティヤム”という言葉がある。それは「初めてその人に会った時の自分の目の輝き」、すなわち愛すべき者、幸福であらんと願うべき者を指す。永き時を生きる彼女にとって、愛弟子は二人目にして最後の“
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