2023バレンタイン書き下ろし!

想いをカタチにバレンタイン

※とりあえず、時系列はあんまり気にしないで読んでください。後でいい感じに並べ替える予定です。   

                               by精神感応



 セイントバレンタインデー、もしくはそのままバレンタインデー。三世紀、ローマ帝国において禁じられていた兵士たちの結婚を秘密裏に承認し、神の名において愛を清廉なものとした一人の聖人、テルニのウァレンティヌスの殉教にちなんだとされるそれ、は恋人たちの特別な日。大切な人たちに感謝を伝える特別な日である。世界各地で文化の違いはあれど、愛の告白と贈り物は万国共通。今年、冬のロンドンにも聖人の加護が訪れる。


 「あー…………」


 今日はバレンタインデー。年に一度の特別な日。そんな日にもかかわらず、双魔は芝生の上に寝転んで気の抜けた炭酸飲料のような声を出していた。視界には青い空と巨大な樹。黒と銀のぼさぼさ頭を撫でる風は春のように気持ちがいい。休日の町の浮かれた雰囲気に胸焼けしそうになったので、箱庭に避難してきたのだ。


 「……バレンタインデー、な」


 別にバレンタインデーに嫌な思い出があるわけではない。去年は魔術科棟の準備室前に置いてある課題提出箱一杯にチョコレートや手紙が入っていた。貰って嬉しいことには間違いないが、誰から贈られたのか分からないものには警戒してしまう、何よりお返しができないのがモヤモヤする。だから、今年は課題提出箱もしっかり準備室に押し込んできた。


 「……鏡華が少しそわそわしてたのもそうだよなー」


 昨日の夜から鏡華はいつもよ気合が入った感じだった。というか、そもそもティルフィングが……


 『明日はキョーカとイサベルとロザリンとチョコレートを作るのだ!』

 『お姉様!私もお姉様のために心を込めてチョコレートをお作りしますわっ!』

 『う、うむ……ええい!抱きつくなっ!』


 と金色の瞳をキラキラ輝かせて言っていた。直後にいつもの如くレーヴァテインに抱きつかれて、ぷんすか起こっていたが。


 別に出て行けと言われたわけでも何でもないが、いない方が女子だけで気兼ねがないだろうと勝手に気を遣って出てきたのだ。


 家を出て、少し通りに街は出ればバレンタインデー一色。テムズ川沿いも恋人たちで一杯だ。見ているだけで胸焼けしてしまう。Annaに顔を出そうとも思ったが、セオドアは変なところでお節介だ。何か言われては堪らないので、結局人目の少ないところで箱庭に転移してきた。


 「…………俺も」

 「う?」


 双魔が身体を起こそうとした時だった。くりくりとした緑色の目が顔を覗き込んできた。見上げている巨樹の精霊、ユーだ。今日も機嫌が良さそうに頭に生えた大きな双葉がぴょこぴょこ揺れている。


 「おー、ユーか。ほれ」

 「ぱぱー」

 「よしよし。んじゃ、おっちゃんたちのところ行くか。今、どうなってるのか確かめないとな」


 双魔は腕の中に飛び込んできたユーを抱いて、のっそり立ち上がり、腰を伸ばすと水車小屋へと足を向けるのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 「うん、それじゃあ、作りはじめよか。チョコレート」

 「はいっ!」

 「うんうん」

 「うむ!」

 「よろしくお願いしますわ!」


 双魔が箱庭で巨樹を見上げている頃、赤レンガアパート、双魔の家のキッチンにはチョコレートを作るメンバーが揃っていた。割烹着姿の鏡華、エプロンを着たイサベル、ロザリン、それにティルフィングとレーヴァテインだ。鏡華は薄紅色の頭巾、イサベルはシックな紺色のエプロン。ロザリンもイサベルに貸してもらったので同じもの。ティルフィングとレーヴァテインもお揃いの白いフリルで飾られた可愛らしいものを使っている。


 「皆さま、頑張ってくださいませ。何かあれば左文もお手伝いいたします」


 キッチンの主の左文は割烹着姿で五人に微笑みかけた。今日は見守り兼サポート役だ。ついでに言うと、夕食は皆で取る予定なので、ディナーシェフも左文が務める。五人は双魔とチョコレートのことだけ考えていて欲しいという気遣いだ。


 (レーヴァテインさんは少し違うかもしれませんが……)


 「左文はん、おおきに。各自違うもの作ると思うんやけど……チョコレートは皆で作ろうか」

 「はい!これを用意してきましたっ!」


 イサベルは持参した大きな包みを開いた。中に入っていたのは大量のナッツのような物。カカオ豆だった。


 「イスパニアはヨーロッパのチョコレート発祥の地といっても過言ではありませんから。お母様にお願いして最高級の物を用意しました!選別と洗浄も済んでいます!」

 「……これがチョコレートになるのか?」

 「うんうん、不思議。だけど、チョコレートの匂いはするよ?」


 ティルフィングとロザリンは初めて見るカカオ豆をじっと見つめたり、匂いを嗅いで興味津々のようだ。


 「他の材料はうちが揃えておいたから。カカオバターにお砂糖。あと、お塩。道具も。そしたら、早速はじめようか。ロザリンはんとティルフィングはん、レーヴァテインはんの出番もあるからね」

 「そうなの?」

 「うむ!よく分からんが任せておけ!」

 「お姉様のお力になれるように頑張りますわ!」


 「最初は焙煎ですね……というわけで、レーヴァテインさん出番です」

 「わ、私ですか?」

 「はい。ティルフィングさんも手伝ってあげてくださいね!」

 「うむ!」

 「では……こうしてっと……ティルフィングさん、これを持っていてください。時々声を掛けるので、そうしたら揺らすようにお願いします」


 そう言ってイサベルがティルフィングに手渡したのは大きな金属製のざるを二つ合わせて中にカカオ豆を入れた状態にしたものだった。


 「うむ!時々揺らせばいいのだな!」

 「はい。レーヴァテインさんは焙煎をお願いします。高温だと焦げてしまうので、弱火でお願いしますね」

 「……私の蒼炎は料理をするためのものでは……」

 「よいから、早くしろ」

 「はい!お姉様!」


 明らかに不満気だったレーヴァテインだったが、ティルフィングの一声で両手を広げると、掌から小さな小さな蒼炎を出して、焙煎がはじまった。


 普通なら時間のかかるこの作業も、全方向からの熱と意外にも器用に温度調節を行ったレーヴァテインのお陰であっという間に香ばしいカカオの匂いがキッチンを満たしていく。


 「イサベルはん、どう?」

 「……いい感じだと思います。レーヴァテインさん、ティルフィングさん、ありがとうございました!」

 「もう、よろしいんですの?」

 「はい!これ以上やると焦げてしまいますので。次は殻を剥いていくんですが……」

 「ほほほ、今度はうちの番やね。イサベルはん、カカオバター湯煎しといて」

 「分かりました!」


 鏡華はカカオバターを湯煎する準備をはじめたイサベルを横目に凄まじい速さでカカオ豆の殻を剥いていく。焙煎したての熱をものとしないスピードと正確さ。「熱いのは地獄で慣れてるさかい」、鏡華は鼻歌混じりに、五分とかからず山盛りのカカオ豆を剥いて見せた。


 「私も何かする?」


 今まで作業をする鏡華たちをじっと見ていたロザリンがそう言って首を傾げた。ロザリンは普段料理をしないと聞いていた鏡華とイサベルだ。しっかり、適材適所の仕事を用意してある。


 「ロザリンさん、いいタイミングです!左文さんお願いします!」

 「はい、かしこまりました……よいしょ……っと!こちらですね」


 イサベルに頼まれて左文が棚から取り出したのは……なんと本格的な石臼だった。鏡華やイサベルの細腕では持つことは叶わない重量の塊がゆっくりと置かれる。それを見てロザリンは自分の役目を察してくれたようだ。


 「これで粉にするの?」

 「はい、結構な重労働だと思いますけれど……」

 「大丈夫、任せて」

 「ほほほ、頼もしいね。そしたらカカオ豆、入れてくさかい。よろしゅうね」

 「うんうん」


 鏡華が上からカカオ豆を入れると、ロザリンは力強く石臼を回しはじめた。グググググッ、グググググッと音を立てて下から茶色の粉が香ばしい香りとともに出てくる。かなりの力作業だが、ロザリンは何ともない顔でカカオ豆を挽いていく。それも当然、スピードを活かした戦闘スタイルのロザリンだが、大英雄クーフーリンの末裔は伊達ではない。実はかなりの怪力だ。


 グググググッ、グググググッ


 普通では考えられない速さでカカオ豆が粉になっていく。鏡華はそれに合わせて豆を追加したり、一定の量が溜まると粉を違う容器に移し替えたりする合いの手を入れていく。一からのチョコレート作り、一番の難所はロザリンの活躍で難なく終わった。完成したカカオパウダーは優に十人前以上はありそうだ。


 「カカオバターの湯煎も終わりましたよ」

 「イサベルはん、おおきに。ロザリンはんもお疲れ様」

 「うんうん」

 「そしたら、カカオバターを入れて攪拌して行こか。ロザリンはん、上の棚に大きなミキサーが入ってるから取って」

 

 ロザリンは鏡華に言われて少し背伸びをしながらミキサーを取り出した。確かに大きなミキサーで、ポタージュスープなら六人前くらい作れそうだ。


 鏡華がミキサーにカカオパウダーを静かに入れると、イサベルがお玉で湯煎して溶かしたカカオバターを注いでいく。ミキサーのスイッチを入れると、今まで粉状だったカカオにとろみがついて液体になっていく。やっとチョコレートらしくなってきた。ティルフィングとロザリンは興味津々にミキサーを覗き込む。レーヴァテインでさえ、興味深そうにミキサーを眺めている。


 「イサベルはん、もう少しバター入れようか?」

 「そうですね。これで……はい、そろそろお砂糖を入れてもいいと思います」

 「そしたら、よろしゅう」

 「はい!」


 いい具合にトロトロになったカカオのペーストにイサベルが褐色の砂糖を入れていく。今回はミネラル豊富で身体に優しいハニーココナッツを使う。この後、各自で加工するのでとりあえずは砂糖は控えめにしておく。ミキサーの中身はもう完全にチョコレートだ。食いしん坊コンビはもう我慢の限界。


 「フフフフッ、ティルフィングさんとロザリンさん、テイスティングをお願いしてもいいですか?」

 「よいのかっ!?するぞっ!」

 「……」


 見かねたイサベルの提案に二人とも大喜びだ。ティルフィングは目を輝かせ、ロザリンは無言のまますごい勢いで首を縦に振っている。


 「それじゃあ、はい」

 「いただきますだ!あむっ……むっ!!!」

 「……美味しい」


 鏡華がスプーンでミキサーの中身を掬って差し出すとティルフィングとロザリンはパクリと一口。次の瞬間には顔を綻ばせた。如何やら上手にできたらしい。鏡華とイサベル、左文も一口。なかなかいい味だ。


 「レーヴァテインもどうだ?」

 「わっ、私ですか!?お、お姉様が食べさせてくださるのなら……」

 「仕方ないな!ほらっ」

 「おっ!お姉様が……私に手づから!!?あ、あーん……あむっ…………てっ、天にも昇る心地ですわ……」

 「ああ!熱が!チョコレートの質が変わっちゃう!」

 「ティルフィングはん、中和してくれへん?」

 「仕方ないな……むんっ!」


 チョコレートを食べて上機嫌な敬愛する推しの予想外のサービスに逆上のぼせ上って発熱するレーヴァテインをティルフィングの冷気が包み込んだ。これでチョコレートは無事だ。


 「あとはお塩を少しと、乳酸菌を入れて……最後にテンパリングやね」


 鏡華はテンパリングとはチョコレートの温度を調節して、滑らかな口どけと美しい艶を出す、チョコレート作りで最も重要な行程だ。冷水で一度冷やして、もう一度温め直したりして行うのだが、今回はかなりの量があるので大変……と思いきや?


 「ティルフィングさん、レーヴァテインさん、もう一度お願いしますね」


 冷やすのにはティルフィング、温めるのにはレーヴァテインがいるのでなんのその。二人がボールを抱えるだけでことは済む。鏡華とイサベルが二人で手分けしてかき混ぜる。これで、チョコレートの完成。ここからは個人作業だ。


 「皆さま、お疲れ様でした。ロザリン様とティルフィングさん、レーヴァテインさんはこちらに。不肖、私がご指南いたします。鏡華様とイサベル様はご存分に」


 料理初心者の三人は左文が受け持ってくれtる手はずになっている。少し手狭だったキッチンには鏡華とイサベルの二人が残る。


 「そしたら、はじめよか」

 「はい!鏡華さんはどんなチョコレートを?」

 「うちはこれを使って、和洋折衷やね」

 「なるほど……意外な組み合わせですね……合うんですか?」

 「ほほほ、イサベルはんの分も作るさかい、食べてからのお楽しみ。イサベルはんは?」


 驚き顔のイサベルに、鏡華は悪戯っぽく微笑みかけて訊ね返した。


 「私はトレスレチェケーキをチョコレートでコーティングしようかと思ってます」

 「とれ……すれちぇ?」

 「トレスレチェケーキですよ!イスパニアのお菓子で、スポンジケーキを牛乳に浸して作るんです。チョコレートと合わせて冷やしたら美味しいと思って……双魔君も喜んでくれるといいんですけど……」

 「……大丈夫、きっと双魔は喜んでくれるさかい」

 「……そうですね。はい!喜ばせて見せますっ!」

 「ほほほ!その意気その意気」


 双魔の反応を想像しながらはにかみ合う。二人して、頬が少し赤くなっているのが可笑しくてもっと笑ってしまう。


 「そうそう、お三方ともお上手ですよ」


 食卓の方からは左文の声が聞こえてくる。如何やら向こうも順調なようだ。こうして、セイントバレンタイン、乙女たちの午後は穏やかに過ぎ去っていくのだった。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 「そろそろいいかね?……この香りは……まあ、そうだよな……ただいま」


 箱庭で時間を潰して、夕闇が街を満たそうとする頃に帰ってきた双魔を迎えたのは、想像していた甘い匂いと……


 「ソーマ!お帰りだ!」

 「お帰り、外は寒かったんとちゃう?大丈夫?」

 「お帰りなさい……その、気を遣ってくれてありがとう」

 「おかえり。お邪魔してます」

 「ふふっ……ふふふっ……ああ、双魔さんお帰りなさい」

 「おかえりなさいませ」


 つい先ほどまで料理をしていたのか、割烹着姿とエプロン姿の六人だった。六人とも上機嫌、特にレーヴァテインは異常なほど上機嫌だ。双魔は思わず眉をひそめてしまった。左文が勧めるのでそのまま椅子に座る。


 「それでは、坊ちゃま。早速ですが、皆さまからプレゼントです。まずはレーヴァテインさんから」

 「私ですか?まあ、いいですわ!今はとっても良い気分ですから!別に双魔さんのために作ったわけではありませんけれど、どうぞ!」

 「……おお」


 そう言ってレーヴァテインが双魔の前に置いたものを見て、双魔は思わず感嘆の声を上げた。それはマグカップに注がれた熱々のホットチョコレート。ふんわりと香るラム酒の芳醇な香り。そして、何より目を引いたのは美しく燃える蒼い炎だった。恐らく、ラム酒にレーヴァテインが自分で火をつけてくれたのだろう。まるで芸術品のようなホットチョコレートだった。冷えた身体にも嬉しい逸品だ。


 「ああ、火を消して差し上げないと召し上がれませんわね?ふー……ふふふっ!ありがたくお召し上がりくださいな!」

 「ん、ありがとさん……ふー……ふー……んっ……」


 蒼炎が消え、代わりに湯気が上がるマグカップに息を吹きかけて、口をつける。口の中で柔らかな甘みが広がり、喉を通って胃に辿り着いたチョコレートが身体の内側からジンワリと温めてくれる。そして、甘さの奥にピリリと熱い辛みを感じた。


 「これは……唐辛子か?」

 「よく気づきましたね?左文さんが合うと仰ったので……もっと入れて差し上げればよかったですか?」


 冗談めかしてそう言ったレーヴァテインに双魔は苦笑してしまった。あとから聞くと、ティルフィングにチョコレートを食べさせてもらったので、機嫌が良かったらしい。


 「次に行く前に……坊ちゃまにはこちらを。今年は皆さまのチョコレートをお楽しみいただきたく、左文からはこれを」


 左文が遠慮がちにおいた白い小皿の上には、よく映える小さな桜の花が盛りつけられていた。 


 「ん?……これは、桜の塩漬けか?」

 「はい、お口直しに。ご不満でしょうか?」

 「いや、まったく。左文の気遣いに俺は助けられてる」

 「左様ですか。それならばよかったです」


 左文の微笑みを横目に双魔は桜の塩漬けを一つ摘まんで口に入れた。塩っけと桜の香りが口の中に広がる。フローラルな芳香は洋菓子の味も損なわない。左文らしい贈り物が双魔の心に染みた。


 「次は我とロザリンだ!」

 「はい、これ。一緒に食べようね?」

 「受け取るがいいぞ!ハッピーバレンタイン?だっ!」

 「………ん、二人ともありがとさん。これは」……クックック……確かに一緒に食べるのが良さそうですね?」

 「うむ!」

 「うんうん」


 ティルフィングとロザリンが双魔に差し出したのは、よくあるハート形のチョコレートだった。ティルフィングの方は赤と白のグニャグニャな線、多分ティルフィングが自分で飾り付けたであろうベリー系のソースとホワイトチョコレートで彩られている。一方、ロザリンの方は所々に黄緑の帯が入っている。きっとピスタチオか何かを使ったのだろう。


 双魔が思わず笑ってしまったのはその大きさだ。ビニールとリボンで包んであるのだが……とにかく大きい。ティルフィングの頭と同じくらいの大きさだ。流石に双魔一人では食べきれない。が、ロザリンの提案通り、一緒にお茶をしながら食べるのを想像すると楽しくて、幸せな気分になってしまう。無邪気なティルフィングの笑顔と微かに微笑むロザリンに胸が温かくなる。


 「それじゃあ、次は私ね。はい、どうぞ!本当はもっとあるのだけれど……ディナーの前だから少しだけ」

 「ん、ありがとさん……これは、ケーキか?」


 イサベルがコトリッと双魔の前に置いた皿に乗っていたのはチョコレートでコーティングされたケーキだった。断面は白と薄黄色でチョコレートの香りの中に濃厚なミルクの匂いが混じっている。


 「そう、トレスレチェケーキをチョコレートでコーティングしてみたの……双魔君の口に合うといいのだけれど……」


 イサベルは両手の指を突き合わせて、少し不安そうに顔を逸らした。一生懸命、自分のために作ってくれたのだ。美味しいに決まっている。けれど、思っているだけでは伝わらない。双魔はフォークで一口サイズにケーキを切って、そのまま口に運んだ。


 (……ん……これは)


 口に入れると、最初にチョコレートの上品な甘さと香りが広がった。さらに、しっとりとしたスポンジから染み出すミルクがチョコレートと混ざって、味をよりまろやかに変えていく。一口で味の変化を楽しめる優しい味に頬が勝手に緩んでしまう。


 「……美味い……うん、イサベル美味い……あむっ……むぐむぐ……」

 「そっ、そうかしら?それなら……それならよかったわ」

 「むぐむぐ……毎日食べてもいいかもな……それくらい美味い……ありがとさん」

 「毎日……毎日だなんて……でも、喜んでもらえて私も……嬉しいわ」


 胸の前で指を突き合わせていた両手で、赤くなる頬を隠そうとするイサベルに、愛おしさと恥ずかしさがこみ上げてきて、双魔は少し俯きながらトレスレチェケーキを完食した。


 「最後はうちやね。早速、はい」

 

 桜の塩漬けで口直しをしていると、鏡華が見慣れた悪戯っぽい笑みを浮かべながら皿を双魔の前に置いた。一緒に添えられている黒文字、和菓子を食べる時に使う竹製のフォークが目を引く。


 「これは……」

 「ほほほ、食べてからのお楽しみ」

 「ん……んじゃ、いただきます。あむっ……んんっ?」


 答えてくれそうにないので、双魔は一口鏡華のチョコレートを口に放り込んだ。上品な甘さはこれまでのチョコレートと同じだが、同時に味に不思議な奥深さがある。桜の塩漬けの風味が微かに残る舌に良く馴染むその味は、どこかで覚えがあるのに何だか分からない。味はもちろん美味しいのだが……少し考えて、双魔は結局、白旗を振った。


 「……降参だ……すごい美味いが……むぐっ……なんだ?」

 「ほほほっ、正解は……」

 「正解は?」

 「あ・ん・こ」

 「……………………なるほど。予想外過ぎて分からなかった……確かに……むぐっ……餡子だ。一本取られた…………美味いよ、ありがとさん」

 「ふふふっ……どういたしまして」


 答えを教えてもらうと急に舌が味を思い出したのか、チョコレートの向こうにいる滑らかな舌触りと奥深い甘さがこし餡であると分かった。意外な組み合わせと味は勿論、鏡華の満足気な笑みに釣られて、双魔も笑うしかない。とても、幸せな時間だ。


 「……ごちそうさまでした……んじゃ、俺からも……全員手を広げるように」

 

 手を合わせたと思いきや、全員を見回して突然、右手の人差し指を天井に向けた双魔を不思議そうに見ながら鏡華も、イサベルも、ロザリンも、ティルフィングも、左文も言われた通りに手を広げた。レーヴァテインは一瞬戸惑ったようだったが、結局ティルフィングの真似をして手を広げた。


 「ん、では……俺からも日頃の感謝を込めて」


 「あらぁ?」

 「えっ?えっ?」

 「うん?」

 「むっ?」

 「まあ!」

 「なっ、何ですの?」


 双魔が上に向けた指を軽く振る。すると、各々の手元に何かが現れた。空間魔術を使った演出だろう。現れたのはそれぞれ、鏡華、イサベル、ロザリンには深紅の薔薇の花束。その数は九本。ティルフィングとレーヴァテインには紅と蒼の大きなリボンがついたお揃いのバレッタ。左文には浅黄水仙の花束。


 女性が思いを寄せる男性にチョコレートを贈るのは日本の風習。多くの国では男女問わず、愛する人に、大切な人に、愛と感謝を込めて贈り物をする聖なる祝日。それがセイントバレンタインデー。


 不器用な貴方は照れ臭そうに、「少し……気障だったか?」とボヤきながら、いつものように片目を瞑って右手の親指でこめかみをグリグリ刺激している。そんな貴方が愛おしい。


 身を焦がすような恋もいいけれど、誰かと一緒に穏やかで幸せな愛も美しい。それが天に召された聖人の思い描いた何よりも大切なことなのだろう。









 


 



 














 


 










◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



深紅の薔薇の花言葉 「あなたを愛しています」


薔薇九本の花束   「いつもあなたを思っています」「いつも一緒にいてください」


浅黄水仙(フリージア)の花言葉 「感謝

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