第533話 竜の女神の試練4

 「……ッ……グ……グッ…………グッ……グッ……ギッ……」


 真っ白な空間に苦悶の呻き声が響いていた。一本角の漆黒の蛇、その碧玉の瞳には声の主が……身体中を鮮血に染めたイサベル=イブン=ガビロールの姿が映っていた。


 ガビロール宗家の娘は既に立っていられずに座り込んでいる。腕の、脚の血管が破れているのかブラウスやズボンには血が滲んでいる。それでもイサベルは手に握った白い結晶を、マグスに「離すな」と言われたそれを手放そうとしなかった。


 結晶を握る血に濡れた自分の手を見つめる濃紺の瞳からも血涙が流れ落ちる。形のいい鼻からも口へと、口から漏れ出た血が顎へと伝っていた。ただ、白い結晶を持っているだけ。それなのにイサベルは満身創痍だった。精神力で何とか意識を保っているが、息も絶え絶えだ。そんな姿を、マグスは無機質に見つめていた。


 「ドウダ?ソロソロ諦メタラ?オ前、死ヌゾ?」

 「……グッ……ガッ……わた……し……は……し、死なないわ!あ、なた……の…………試練も……乗り越え……て……見せるっ!」


 ガビロール宗家の娘はマグスに一切視線を向けて来なかったが、声は届いているのか強がりにも聞こえる、否強がりを返してきた。


 「ソウカ、ソレナラ止メナイ。俺カラスルトオ前ハコノママ死ヌダロウケドナ」


 マグスは冷たく言った。ガビロール宗家の娘の身体は既に内側からズタズタになっている。マグスが渡した白い結晶は触れているものに魔力を流し込み続けるものだ。それは、触れている間は止まらない。逆に手から離せば納まる。血塗れの娘は自分のキャパシティーを超えた魔力を身体に流し込まれてパンク寸前なのを必死に押し込めているのだ。このままでは確実に破裂する。


 (…………期待外レダッタカ。ツマラナイネェ……)


 「……貴方……は……私の……質問……に……答えな……い……けれ……ど……なんと……なく、分かる……わ!これ……は……双魔君の……傍……に……いるため……の試練……だって!」


 (……コイツ)


 絞り出した必死な声が興味を失いつつあったマグスを再び、強烈に引きつけた。マグスはガビロール宗家の娘の言う通り、ほとんど説明をなしていない。それでも、この娘はマグスの目的を推理したのだ。故に諦める素振りを見せなかった。


 (……この試練を……乗り越えないと……)


 一方、イサベルは生来の聡明さから試練が始まった直後にはその目的に気づいていた。自分は試されている。では、試すのは何者か、何のために。自分が会おうとした存在。恐らく神霊。神は人を試すものだ。目的については論理的に理解したわけではない。けれど、女の勘で察した。


 「……グ…………ギッ…………」


 脳の奥から異常な熱を感じる。身体中も焼けるように痛む。限界が近い。赤く染まった視界が霞みはじめる。思わず瞼が落ちる。闇に落ちた濃紺の瞳、そこに浮かんだのは……愛しい双魔の、片目を閉じた困り顔だった。


 『イサベル、もっと頭を柔らかくな。流石に真面目過ぎる……そんな、イサベルが………………ん、まあ…………き……でもあるけど……心配だ……兎に角、もっと頭を柔らかく、だ』


 一瞬、照れて口を濁したが、イサベルには「好き」と言ってくれたのがしっかりと分かった。それが嬉しい。苦しいのに、それだけで口角が上がったのが自分で分かる。


 (そう……私は……負けない……絶対に、双魔君の傍に立ちたいから……だから…………だから…………………………そうか…………頭を柔らかく…………そういうことなのね……)


 「ンン?」


 無機質だったマグスの瞳に光が戻った。それは、試練に立ち向かう少女に変化が起きた故。今まで結晶の魔力を自分の魔力で抑え込んでいた少女がそれを完全に止めたのだ。抑圧から解き放たれた魔力は抑えられていた分だけ一気に膨れ上がる。さらにそのまま膨張を続けていく。


 「…………」


 それをガビロール宗家の娘は穏やかに受け止めていた。苦悶の表情はそこにはない。悟りを得た行者のように、神の啓示を得た聖女のように、白い結晶を両手に包み、白天を見上げていた。


 白い結晶の魔力はそのまま膨張を続けた。しかし、イサベルが破裂することはなかった。全てを受け止めていた。自分の魔力容量が流れ込む魔力によって広げられていく。やがて、流れ込む魔力は静かに止まった。イサベルは閉じていた瞼をゆっくりと開いた。視界から鮮血は消え、いつの間にか元通りになっていた。


 「ハハハハハッ!イイゾ!ガビロール宗家ノ娘!俺ハ満足ダッ!合格ダッ!コノ試練!オ前ハ見事ニ乗リ越エタ!」


 最初に聞いたのと同じ、一本角の蛇の楽し気な声が聞こえる。


 「……そう」

 「モット喜ベ!オット、約束ダ!俺ノ名ハ、マグス!コノ試練ハオ前ガ双魔ノ傍ニ必要ナ者カ確カメルモノダ!俺ハオ前ヲ認メルゾ!」

 「…………」


 マグスと名乗った蛇が答えを明かしてくれた。イサベルの想像していたのと同じ答えを。今、どんな表情をしていいのか、イサベルには分からなかった。けれど、マグスの問いかけで穏やかな笑みに変わった。


 「俺ハ諦メカケタゾ!ソレガ突然、試練ノ意図ニ気ヅイタナ?ドウシテダ?」


 試練の目的は「結晶の魔力を封じ込めること」ではなく、「結晶の魔力を全て受け入れること」だった。それに気がつくことができたのは…………。


 「双魔君が…………また、私を助けてくれたから」

 「ソウカソウカ!ソレハ良カッタ!ソレジャア試練ハ終ワリダ!ガビロール宗家ノ娘、イヤ、イサベル!俺ハオ前ノ味方ダ!双魔ニシッカリ労ラッテモライナ!アッチデ顔ヲ合ワセヨウ!」

 「あっちでって………きゃっ!きゃーーーーーっ!!」


 イサベルの足元に真っ黒な穴が開いたと思うと、イサベルは悲鳴を上げて穴に吸い込まれていった。穴はそのまま消え去り、白い空間にはマグスだけになる。


 「ナカナカイイ魔術師、ソレニイイ娘ダ!双魔ガ幸セデ俺ハ嬉シイ!双魔、イサベル頑張レヨ!ハハハハハハハハハッ!」


 マグスは高らかな笑い声と共に碧玉の瞳を輝かせて白の空間から消え去っていった。


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