第531話 竜の女神の試練2
「……か……う……か……鏡華っ!」
「っ!……双魔?」
聞き慣れた、心地よい、愛しい声にハッとする。目の前には双魔の顔があった。何故か白いレースの向こうにだったが。鏡華の両肩に手を置いて心配そうに覗き込んでいる。
「ん、良かった……急に目が虚ろになったから身体の具合でも悪いのかと……」
「……ここは…………」
如何やら少しボーっとしてしまったようだ。状況がよく分からない。思わずきょろきょろと視線を漂わせた。まずは、目の前の双魔。純白のタキシードに身を包んでいる。鏡華を心配する燐灰の瞳は優しくて愛おしい。自分の手元に目を落とす純白の手袋に包まれた手には花束が。真っ白なかすみ草の花の中に深紅の曼珠沙華が嫋やかに咲いている。
右を見れば多くの人たちが座ってこちらを見ていた。イサベルとその膝の上のユー。ティルフィング、レーヴァテインが並んで嬉しそうにこちらを見ている。その隣の左文は滂沱している。ロザリンも微笑んでこちらを見ている。アッシュやフェルゼンがいる。双魔の両親も、浄玻璃鏡の隣には束帯姿の祖父も立っていた。
左を見れば神々しく輝くステンドグラスに十字架、そして、双魔とティルフィングと激闘を繰り広げた聖剣デュランダルとシスター・アンジェリカが威厳を纏って立っていた。鏡華は思い出した。今日は二人の新たな門出を皆に祝ってもらう日。
(……せやった……今日、うちは……双魔と……)
幸せな気持ちがこみ上げてくる。こんな大事な時間にボーっとしてしまうなんて何をしているのだろう。
「伏見双魔、問題が起きたか?」
「ん、いや、大丈夫そうだ」
「そうか!それでは、誓いの問いに移ろう!新郎、伏見双魔!貴様はここにいる六道鏡華を、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、夫として愛し、敬い、慈しむことを誓うか?」
「誓う」
「新婦、六道鏡華!貴様はここにいる伏見双魔を、病める時も健やかなる時も、富める時も貧しき時も、妻として愛し、敬い、慈しむことを誓うか?」
「はい、誓います」
「よろしい!それでは、誓いの口づけを!」
「……鏡華」
双魔が鏡華の顔に掛けられたヴェールを優しく取り払った。双魔の顔が、不愛想だけど照れていて可愛らしい顔がはっきりと見えた。両肩に再び手を添えられる。双魔の顔が近づいてくる。誓いを二人の身体に封じ込める聖なる接吻。それが交わされる。
「違うわ……これは……違う」
手にしたブーケから紅蓮の炎が上がる。そのまま、幸せな空気が炎に置換される。鏡華を中心にそこにあった全てが焼き尽くされる。双魔も、皆も炎に飲み込まれる。
純白のウエディングドレスに包まれていた鏡華の身体は曼珠沙華の紋様の漢服に様変わりし、深紅の羽衣を肩に掛け、黒い冠を頂く。目元にも紅の隈取紋様。地獄の炎の中に閻魔の姫君立っていた。
ガシャーン!
広大な屋敷中の窓ガラスが全て砕け散ったようなけたたましい音が鳴り響き、空間自体が崩壊した。鏡華は一度瞼を閉じる。そして、ゆっくりと開く。その瞳に映ったのは、美しい石畳の敷き詰められた広い間だった。
「……大したものよのう。妾の見せる幻術を自らの力で、斯様に速やかに打ち破るとは」
嫋やかさと恐ろしさの中に甘露を垂らして煮詰めたような声が耳を撫でた。声の主は目の前にいる。閻魔の姫君は初めて“千魔の妃竜”に対峙した。
国を幾つも傾けようほどの美貌、半人半竜の肢体。頭から生える二本の角、豊かな黒髪の房からなる漆黒の蛇頭。まさに、神。神話に語られる邪悪なる女神がそこにいた。
しかし、鏡華の心は全く落ち着いていた。恐怖など微塵も感じない。数秒、紫水晶のような瞳と見つめ合った鏡華は…………。
「お初にお目にかかります。双魔がお世話になっております……双魔の許嫁、閻魔王の孫、六道鏡華と申します。以後よしなに」
挨拶と共に深々と頭を下げた。初めて会う恋人の親にするように深々と、丁寧に、心を込めて。
が、女神は答えないしばらくの間、沈黙が広い部屋を支配する。一分、二分……五分が経った。そこでようやく空気が動きを取り戻す。口火を切ったのは女神の方だった。
「……気に食わん。妾は気に食わない!何じゃその姿は、その口の利きようは!妾を全く恐れておらぬ!誠に気に食わぬ!」
女神は拗ねたように唇を歪めた。鏡華はそれまで畏怖すべき存在であったのが一歩、こちらに歩み寄ってきたような心地だ。
「主、お認めになるしかありますまい。双魔殿の奥方として、まさに相応しき胆力かと存じますが……」
陰に隠れていたらしきザッハークが姿を現した。機嫌を損ねた主をなんとか宥めようと苦心しているのが鏡華にも伝わってきた。
「フンッ!分かっておるわ。我が名はアジ・ダハーカ。妾の可愛い双魔に魔術の手解きをしたしがない女神だ。敬い、崇め奉るが良い!」
「アジ・ダハーカ様、双魔のお師匠はん。勿論、うちにとっては姑はんも同じこと。改めてよろしゅうお願いいたします」
「……ザッハーク……こ奴本当に癇に障るぞ!」
「このザッハークめも驚きいったる次第です……主にここまで申すとは……予想以上の女傑。そして、主はご自重なさいませ。鏡華殿に何かしては双魔殿に嫌われてしまいます故……」
愛弟子の許嫁を睨みつけながら歯ぎしりをするザッハークが殺し文句を放った。漏れ出ていた殺気がそれで這うように消えていった。
「……双魔に嫌われては妾は生きてゆけぬ………………やむを得まい…………六道鏡華、主が双魔と番うことを、神の名において認める!」
「おおきに」
「その笑みの苛立たしきことよ……」
双魔を巡る駆け引きは愛を貫き通した鏡華の勝利となった。閻魔の姫君は満面の笑み。アジ・ダハーカは明らかに不満げ。長く仕えた中でも見たことのない状況に、ザッハークは肝が潰れそうなのをローブを頭から被って何とかやり過ごすのだった。
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