第530話 竜の女神の試練1

 「本当に真っ暗だね?」

 「せやねぇ……地獄と同じくらい真っ暗」

 「……鏡華さんはやっぱり日本の地獄に行ったことがあるんですか?」

 「行ったことあるも何も、もう一つの実家みたいなもんやし」

 「……確かにそうですね」


 ザッハークが主への奏上を済ませた頃、少し時間を空けて部屋を出発するように言われた鏡華、イサベル、ロザリンは三人並んで暗闇の岩窟を進んでいた。イサベルとロザリンに挟まれてランプを持つ鏡華はイサベルの質問にさらりと答える。


 異界というものに馴染みのないイサベルだけが不安気で、緊張しているのが二人には分かった。


 「……それにしても……本当に暗いですね……道は合っているんでしょうか?」

 「合ってると思うよ?匂いはこの先だから」

 「匂い……双魔君の?」

 「うんうん、そう。だけどそれだけじゃない」

 「ロザリンはんの言う通り。もうすぐイサベルはんにも分かると思うんやけど……」

 「私にも?……ッ!!!?」


 鏡華が軽く首を傾げた直後、イサベルの全身に悪寒が走った。心臓を直接つかまれたような感覚に襲われる。呼吸が乱れ、息が苦しくなる。そして、闇に満たされた視線の先に強大かつ邪悪な、何もされていないのに押し潰されてしまいそうなほどの魔力を感じた。


 「着いたみたいだね?」

 「あら、ほんま。大きい扉やねぇ」


 三人の目の前に見上げるほど巨大な石造りの扉が姿を現した。その大きさは二十メートルほど。その奥には魔術師としての本能が最大級の警鐘を鳴らす何かが存在している。イサベルは以前、似た感覚を得たことをも思い出した。


 「……こ、これは……ロズール……の時と……同じ……」


 脳裏に蘇るのは一面に犇めく異形の軍団、巨人、二頭の神獣、そして神。大きく華奢な身体が震えた。その瞬間、巨大な扉が大きな音を響かせて開いた。


 現れた扉からは闇を塗り潰す閃光が溢れ出る。三人の影はその光に飲み込まれて何処かへと消え去った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「………………うん?ここは……何処かな?」


 ロザリンは気づくと砂塵舞う荒野に立っていた。斜陽に照らされ、生命の気配を感じさせない静寂しかない平坦な地に、ポツンとロザリン一人が立っていた。


 「鏡華ちゃん?イサベルちゃん?…………いない?」


 ロザリンは目の前に広がる景色を眺めながら少し記憶を辿った。ついさっきまで自分は双魔の師匠が住むという岩窟にいたはずだ。鏡華とイサベルも一緒だった。場所も巨大な石造りの扉の前。その扉が開き、光に包まれたと思った直後、ロザリンは気づくとここに立っていた。


 「……スンスンッ…………幻じゃない。転移?」


 ロザリンの鼻は枯れた大地の匂いを、朽ちた動物の遺骸の臭いを、枯れた植物の香りを、遠く微かに感じる水の流れを感じ取った。確かな匂いが嗅覚を刺激する。つまり、幻術の類ではない。両の手を握り、開き、握る。身体の感覚も確かだ。ロザリンはそれを加味して自分は再び転移魔術を行使されたと結論付けた。


 「……あのローブの人?……でも蛇の臭いは……っ!!?」


 ザッハークを疑ったロザリンだったが、突然現れた強力な魔力の香りと気配を感じ取り、瞬時に警戒、戦闘態勢に入る。


 「流石流石!“クランの猛犬”ノ末葉ノ中デモ強イッテ聞イタケド、コノ空間ニ現レル前ニ気ヅクナンテ!」


 大層愉快そうな女の高い声が聞こえたと思うと、沈みゆく太陽が映っていたロザリンの目の前に空間の歪みが発生した。そして、そこからずるずると身体を這わせてナニかが出現した。


 「……蛇?」


 現れたのは漆黒の鱗にその身を包み、額から鋭利な一本角を生やした大きな蛇だった。“界極毒巨蛇”とは比べ物にならないほど小さいが、それでももたげた鎌首だけで高さは五メートルほどある。爛々と光る紅玉の瞳がロザリンを値踏みするように見下ろしている。


 「……ローブの人のお友達?臭いが似てる」

 「ローブノ人?アア、ザッハークノ事?失礼シチャウナァ!私タチノ方ガオ洒落ニ気エオ遣ッテルノニ!チョット怒ッタヨ!!」


 ロザリンの問いが遺憾だったのか、一本角の蛇は身体をくねらせた。


 「?ごめんなさい?それで、ここは何処?鏡華ちゃんとイサベルちゃんは?それに……双魔は?」

 「ソウダヨネ!ソウダヨネ!気ニナルヨネ?ソレジャア!早速始メヨウ!!私ノ名前ハダエーワ!ヨロシクネ!ロザリン!!」

 「ッ!!!?」


 紅玉の両眼が怪しい輝きを帯びた。ロザリンは全身を突き刺すような感覚を覚えて後ろに大きく跳んで距離を取る。蛇の頭の周りの宙には幾つもの魔法円が大小色とりどり浮かび不気味に、ゆっくりと回転していた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「ここは…………鏡華さん?ロザリンさん?…………いない……」


 一方、ロザリンと同じく転移魔術を行使されたイサベルも突然放り込まれた空間に警戒していた。こちらはまさに「白の空間」だった。上下左右、何処に視線を映しても映るのは白。果てはイサベル自身の影すら黒は存在しない。そこに、ただ一人立っている。


 (……さっきまでの岩窟にいたのに……また、空間魔術?術者はザッハークさん?……私たちは双魔君の師匠に会うためにあの部屋を訪れた……ということは……術者は……)


 「ガビロール宗家ノ娘、オ前ノ考エテイル通リダヨ。ココニオ前ヲ転移サセタノハ、今カラ会オウトシテタ双魔ノ師匠サ!」

 「誰っ!?」


 突然掛けられた声、濃密な魔力、そして自分の思考をそのまま言葉にされた不気味さからイサベルは反射的に落としていた視線を声の方向に向けた。そこには一頭の蛇がいた。漆黒の鱗に包まれた不気味さと優美さを兼ね備えた蛇だ。眉間からは一本の曲がった角が生え、碧玉の瞳でイサベルを何処か楽しそうに見据えていた。


 「俺ガ誰カッテ?別ニ名乗ッテモイイケドナ、オ前ガココカラ出ラレタラ分カルコトダカラナ。俺ハ敢エテ名乗ラナイ!ソレデイイダロウ?イサベル=イブン=ガビロール!」

 「……貴方の目的は?鏡華さんとロザリンさんは?……双魔君は?」

 「ソンナニ質問攻メにサレタラ、オ喋リ好キノ俺デモ困ルナ!マア、ソレニモ答エナイ!ココカラ出ラレタラ分カルカラナ!ト言ウワケデ、サッサト用ヲ済マセヨウ!受ケ取レ!」

 「受け取れって何を……え?」


 蛇の言葉にイサベルが混乱していると、ふと、何も握っていなかったはずの右手に謎の堅い感触があった。恐る恐る胸の前で手を開く。すると、そこには白い結晶があった。それが何なのか、イサベルには分からない。ただ、邪なものではなく、逆に安心感を与えてくれる不思議な結晶だった。


「今カラ、合図ヲスル。ソレカラ俺ガイイト言ウマデ…………絶対ニソレヲ手カラ放スナ。イイナ?」

 「待って!これは……そうね……貴方は答えてくれない。私は貴方の言う通りにするしかない……分かったわ。始めて」

 「ソレデイイ!俺ガ見込ンダダケハアル!ンジャ……始メッ!」


 蛇の合図と共にイサベルが握った結晶は柔らかく光を帯びるのだった。

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