第525話 出発前、空港にて

 朱雲と青龍偃月刀が遺物科評議会室を訪ねてきて一週間後、出発の朝は抜けるような青空だった。初夏の輝きを増した日光差し込む空港ラウンジで、双魔は外の様子をちらりと見てから広げていた新聞に顔を戻した。 


 双魔が腰掛ける円形のソファーでは飛行機に乗り込むまでの時間を同行するメンバーが各々楽しんでいる。最終的に一緒に行くことになったのは、鏡華と浄玻璃鏡。イサベル。アッシュとアイギス。ティルフィングと離れる選択肢のないレーヴァテイン。以上、二ペアと一人と一振りだ。フェルゼンとカラドボルグも誘ったのだが……


 『ロザリンとアッシュも行くなら俺くらいは残らないとな。評議会皆で学園を離れるわけにはいかないだろう?こっちは俺とシャーロットに任せてくれ』

 『フェルゼンったら、真面目なんだから!まっ、そんなところも好きよっ!!お土産、期待してるわね!』

 『っ!?カラドボルグっ……だっ、抱きつかないでくれ!むっ、胸……』


 なんて、いつものやり取りをしていた。フェルゼンのいうことは尤もだった。因みにシャーロットは「話しかけるな」というオーラを分厚く纏っていたので、声を掛けなかったのは言うまでもない。


 もう一人、誘われてもいないのについてこようとしていた不届き者というかダメな大人がいた。思い出すと思わず笑ってしまいそうになる。


 『おい!双魔!聞いたぞっ!国賓待遇で蜀に行くんだってな?しかも、お前の同行者なら全部タダ!私も連れて行ってくれ!頼むっ!』


 わざわざ遺物科棟から魔術科棟の双魔の準備室にまで押しかけてきたハシーシュは部屋に入ってきた瞬間、両手を合わせて頭を下げてきた。何とも日本人的なお願いの仕方だった。


 『いや、仕事は?』

 『馬鹿っ!仕事サボりたいから連れてってくれって言ってるんだろうが!』

 『……何つーか、プライドとかないのか?』

 『最近、あの爺のせいで休みがないんだよ!私だって休みたい!』

 『普段限界までサボってる報いだろ……やればできるんだからやろうぜ?な?』

 『くっ!そんな風に笑いかけられたら変な気分になるからやめろ!!話はお前が首を縦に振ってからだ!』


 突然、苦虫を嚙み潰したような顔で照れはじめたハシーシュがズカズカと双魔の仕事机の前まで迫ってくる。が、その後ろ、開けっ放しにされたドアの方に見慣れた姿を見て、双魔はいつもの流れを察した。


 『……残念ながら話は終わりだな』

 『あん?……あ……』


 双魔の視線を追ったハシーシュは顔を引きつらせた。そこには……安綱が穏やかな笑みを浮かべて立っていたのだ。安綱は目にも止まらぬ速さでハシーシュの首根っこを掴んだ。


 『忙しいところ申し訳ない』

 『いえ、慣れてますから』

 『中華も何やら物騒らしいですからね。お気をつけて。主、本日の仕事もまだ終えていませんよ』

 『安綱っ!離せ!チクショー!』

 『土産は買って来るよー』

 『高い酒なぁぁぁ…………』


 一瞬で準備室の外へと引き摺られていったハシーシュに部屋から出ずに声を掛けると、廊下から小さな声が聞こえてきた。もう階段を昇っているらしい。隠してハシーシュの双魔に便乗した逃走計画は破綻したのだった。


 (……とは言え……来てもらった方が良かったかもしれないな)


 双魔が一抹の不安を覚えているのなど露知らず。ティルフィングとロザリンはお決まりの食事に夢中だ。国賓扱いなのでファーストクラスラウンジ。提供される料理も味がいいのか、口と手を休まずに動かしている。


 「うむ!美味だ!」

 「むぐむぐむぐ……ごくんっ……うんうん」

 「ヒッヒッヒ!中々美味いエールだな!」


 ゲイボルグもちゃっかり器に注がれた黄金色の高級ビールに舌鼓を打っている。


 「お姉様!お口にケチャップが!拭いて差し上げますね!」

 「む?うむ……むぐ……」


 レーヴァテインもいつも通りティルフィングのすぐ隣に陣取って世話を焼いている。ティルフィングもほとんど受け入れて拒否反応を示さなくなったので、仲の良い姉妹にしか見えない。傍から見ればレーヴァテインが姉で。ティルフィングが妹と思われるだろう。


 鏡華とイサベルは双魔の両隣で紅茶を楽しんでいる。茶葉も高級なものなのか双魔の鼻腔を上品で心安らぐ香りがくすぐっていた。


 更に少し離れたとテーブルではアイギスと浄玻璃鏡が盤双六を挟んで対峙していた。アッシュはそれを熱心に見ている。


 「あっ!」

 「…………私の負けね。かなりの腕ね。家に籠ってないでたまにはサロンに顔を出せばいいのに」

 「……考……え……て……おこ……う」

 「それじゃあ、もう一戦。今度は負けないわ」


 勝負は浄玻璃鏡の勝ちのようだ。しかし、アイギスは負けず嫌いだ。もう一勝負するようだ。


 周りに聞き耳を立てながら、双魔はもう一度開いている紙面を見て、顔を顰めた。既に三度読み返しているが何とも気になるニュースが報じられていたのである。


 「双魔、何や難しい顔して……気になる記事でもあったん?」

 「これは……昨日のペルシャの地震の記事?かなり長くて異様な地震だったらしいわね」


 双魔の表情が気になったのか、鏡華とイサベルが新聞を覗き込んできた。身を寄せてきたので二人の胸が二の腕に触れて胸の鼓動が速まったが顔には出さない。顰め面を維持する。


 イサベルの言う通り、双魔が睨んでいたのはペルシャ王国北部で昨日未明に発生した歴史的な大地震であった。町々に半壊以上の甚大な被害を出したようだが、奇跡的に死亡者は出なかったらしい。この地震に双魔は不可解さを感じざるをえなかった。


 「ん……多分、ただの地震じゃない」

 「どういうことかしら?」

 「……それは……」

 「皆さま!お待たせいたしました!」


 双魔が鏡華の疑問に所感を教えようとしたその時だった。一行を蜀へと招待する張本人の元気な声が聞こえた。声の方を見ると朱雲と青龍偃月刀が立っていた。


 朱雲は遺物科の制服ではなく鮮やかな桃色に緑の美しい刺繍を縫い込んだ日本の浴衣に似た中華の長裾袍を身に纏っていた。


 「ん、何から何まで悪いな。その服は正装かね?よく似合ってるな」

 「ふわっ!…………お褒め戴き光栄です!」

 「ん?」

 「ああ、気にせずともよい。搭乗の準備が整った。乗り込まれるが良い。案内する」


 朱雲が礼を言いながら、大きめの布で顔を隠してしまったのが不思議に思えた双魔だが、青龍偃月刀に促されて立ち上がった。そんな双魔の後ろでは鏡華とイサベルがこそこそと話していた。


 「イサベルはん、今の見た?」

 「見ました……」

 「言うた通りやろ?」

 「中華についてからもよく見ていた方がいいかもしれませんね……」


 双魔に聞こえないように話すと二人は頷き合った。朱雲が双魔に気があるのは一目瞭然。平和を守るためにも、そんな女性は出来る限り把握しておく必要があるのだ。


 双魔に続いて皆も立ち上がった。。大きな荷物は台車に載せてティルフィングとレーヴァテイン、ゲイボルグが運んでくれる。


 「……あんなに大きな鉄の塊が飛ぶのですか?」

 「うむ、ヒコーキだ。意外と楽しいぞ?」

 「そ、そうなのですか……」


 飛行機に初めて乗るらしい不安気なレーヴァテインにティルフィングが教えてやっている。今度はティルフィングが姉らしく、本来の姉妹という感じで微笑ましい。


 「飛行機、あまり好きじゃないのよね。貴女は?」

 「……さ……て…………」

 「……嫌いじゃないのね?」

 「まあまあ!飛行機の中で勝負の続きをすれば気にならないよ!」

 「それもそうかしら?それじゃあ、行きましょう」


 アイギスはアッシュに宥められて重くなっていた腰を上げた。浄玻璃鏡はふわりと浮かび上がり鏡華の傍に侍る。


 「ロザリンさん、飛行機の中でも食事は出ますから」

 「むぐ?むぐむぐむぐ……ごくんっ……そうなの?」

 「はい。ま、勿体ないですからね。あまりは包んで離陸までに持ってきてもらいましょう」

 「うんうん。そうしよう」

 「……口、ついてますよ」

 「むぐっ……ありがとう」

 「いえ……っと……いきなりは危ないですよ」

 「うんうん」


 双魔に口の周りを拭ってもらったロザリンはそのまま腕に抱きついて甘えてきた。双魔は少し恥ずかしそうにはにかむ。


 「……あれはうちらにはできへんね?」

 「はい。ロザリンさんの大胆なところは少し羨ましいですね……」


 鏡華とイサベルは双魔とロザリンを見て、またこそこそと頷き合った。せっかくの旅行だ。チャンスがあれば二人だって双魔とイチャイチャしたいのだ。


 こうして、いつもと変わらず賑やかに蜀国専用機に乗り込んだ。この旅路がどんな方向へ向かうのか。双魔が抱いた不安は的中するのか。それは一日と経たずに分かることとなるのだが、皆それはまだ知らない。

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