第508話 いつかの約束を、未来へ

 コンッコンッコンッ!


 ロザリンの部屋の扉を叩く。


 「ロザリンさん、おはようございます。入っていいですか?」

 『後輩君?うん』

 「……服は着てますね?」

 『うんうん、大丈夫』

 「…………」


 如何やら服を着ているらしいが、一応そーっと扉を開ける。僅かな隙間から見えたロザリンはしっかりTシャツと短パンを穿いて、首にはタオルを掛けていた。


 「後輩君、どうしたの?」

 「いや……なんでもないです」


 双魔の慎重な様子を見て不思議そうに首を傾げるロザリンは確かに風呂上がりのようで白い肌を火照らせて、ホカホカと湯気を上げていた。


 「ごめんね?ちょっと眠くて……」

 「いや、気にしなくて大丈夫です……ゲイボルグにロザリンさんの髪を乾かしてやれって言われたんですが……」

 「本当?」

 「……ん、任せてください」


 双魔がそう言うとロザリンが目を輝かせた。よく分からないが、前にやったのを気に入ってくれたらしい。嬉しくなって思わずはにかんでしまう。


 鏡台の前の椅子に座るロザリンを横目に双魔は洗面台を借りて手を洗う。別に手は汚れていないが、ロザリンの髪にそのまま触るのは気が引ける。


 双魔が手を洗っている間にロザリンはすっかり準備万端だ。ロザリンの方へ行くと鏡台には見覚えのある小瓶が置いてあった。


 「……ロザリンさん、せっかくですし……使ってみますか?ヘアオイル」

 「後輩君、できるの?」

 「まあ……一応は」

 「じゃあ、お願いしようかな?」

 「分かりました。んじゃ、やってきましょう。タオル借りますね?」

 「うん」


 双魔はロザリンが首にかけていたタオルを手に取ると、まだ濡れたままの髪を優しく包んで水気を取っていく。鏡に映るロザリンの顔は期待に満ちていて少し恥ずかしい。


 「櫛、借りますよ」

 「うん」


 タオルドライした髪に目の粗い櫛を通して髪の流れをある程度整えていく。ロザリンの髪は真っ直ぐ綺麗なので櫛は引っ掛かることなく素直に通る。そのおかげですぐに大体いつもの髪型に整えられた。


 「それじゃあ、オイルをつけていきますよ」

 「うん。ちょっとドキドキするね?」


 双魔は小瓶を手に取って蓋を開けた。その瞬間、鼻腔を爽やかで仄かに甘酸っぱい匂いがくすぐった。


 「……レモングラスと……杏ですか?」

 「ピンポーン。どうかな?私に合うかな?」

 「……そうですね、ロザリンさんらしくていいと思いますよ?」

 「……そっか」


 一瞬だけ、不安にそうに形のいい眉を崩したロザリンだったがすぐに表情は晴れた。双魔も状況によっては鈍くはない。自分に気に入ってもらえなかったらどうしよう、とでも思ってくれていたのだろう。心臓の鼓動がだんだん早くなっているのを感じている。


 オイルを適量手の平に出し、小瓶を置いてから両手に馴染ませる。それからロザリンの髪の中ほど、襟足あたりに優しく指を通した。


 「んっ……大丈夫」


 ロザリンがくすぐったそうに身体を振るわせたが、大丈夫だというので、そのまま毛先に向けて何度も手櫛を通しながらオイルを髪に馴染ませていく。表だけでなく、髪の裏や襟足などの見落としがちなところにもしっかりと。そして、全体にオイルを馴染ませた双魔は再び櫛を手に取って髪を梳いていく。これで漏れなく髪にオイルが行き渡るのだ。


 「ん、これでいいはずです。乾かしていきますね」

 「うん。この前の楽しいブワッってやつ。よろしくね」


 双魔は両手に魔力を集中させると風に変換してロザリンの髪を乾かしていく。


 (…………心地いい香り……それに、綺麗……だな)


 何もせずにも美しい柳髪が、オイルを使ったおかげか艶を増して輝いているように見え、手を動かしながら見惚れてしまう。


 「……後輩君?」

 「っ!ああ、何でもないです……仕上げにもう一回オイルをつけますね」

 「……うん」


 双魔は一回目よりも少なめにオイルを手に馴染ませると、先ほどの同じようにロザリンの髪を手櫛で梳いていく。気持ち表面の髪の方を重点的に。生活で起こる摩擦から髪を守るためだ。


 (……ロザリンさんの髪は綺麗であって欲しい……理由は…………)


 「「…………」」


 それから、二人で一言も話さない時間が少し流れた。心地よい雰囲気が二人から言葉を奪う。しかし、髪の手入れには終わりがやってくる。


 「……終わりましたよ」

 「……うんうん、ありがとう。すごいね、髪がいつもよりサラサラ」

 「そうですね……綺麗ですよ……っと」


 双魔が小さな声で褒めるとロザリンは勢いよく椅子から立ち上がった。双魔は驚いて二歩ほど下がる。すると、ロザリンがクルリと身体をこちらに向けた。


 翡翠の瞳が双魔の視線を、心をがっしりと捕らえた。ロザリンはただ、いつもと同じように双魔を見つめているだけ。いつもと違うのは双魔だった。穏やかな時間。安らぎの時間。そんな時、思いは溢れ出る。


 「……ロザリンさん……その……好き……ですよ……俺は貴女のことが」

 「……っ!」

 「え!?ちょっ!んっ!!!??」

 「んっ……んっ……」


 双魔の告白を聞いたロザリンは前触れもなくくるりと振り返り、双魔の首に抱きついたかと思うとそのまま唇を奪った。啄むような二度のキス。


 「んんーーーーー……………………ぷはっ!ぺろっ」

 「…………」


 そして、永遠にも感じる長いキス。甘く心地よいとろけるような熱が二人の胸の鼓動を早める。


 唇を離したロザリンは軽く息継ぎをすると、双魔の唇をぺろりと舐めた。情熱的な口づけに呆然とする双魔。その燐灰の瞳には自分の手でより美しくなった髪をサラサラと揺らし、あの何よりも魅力的に感じさせるロザリンの微笑みが映っていた。


 「後輩君……ううん、双魔。約束、守ってくれてありがとう。鏡華ちゃんもイサベルちゃんもいるけど、私はあんまり気にしないから」


 双魔の腰にロザリンの腕が回り、ギュッと力強く抱きしめられる。いつもよりたっぷり愛情の籠められた抱擁に、双魔も我に返った。ロザリンの細い腰に手で回して抱きしめる。いつも抱きつかれてばかりで、こうしたのは初めてかもしれない。自分の手と同じ匂いに包まれた彼女が愛おしく感じる。


 「……これからもよろしくね?ちゅっ」


 ロザリンが今度は双魔の頬にキスをした。あの時のことを思い出す。


 『私のことも、好きになってくれなきゃ駄目だよ?ね?』


 「……ん、ロザリンさんには敵いませんね……これからも、約束は守りますよ……だから、俺からもよろしくお願いしますね」


 そうして二人は柔らかな朝の陽射しが暑さを帯びてくるまでの少しの間、互いを感じ合っていた。「ずっと一緒にいたい」。その願いを叶えることを誓うように。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「……ヒッヒッヒッヒッヒッ!!」

 「ちょっとゲイボルグ!いきなり笑いだしてなによ!?」

 「ついに気でも触れたかい?」

 「いーや、何でもねぇ!ヒッヒッヒッ!」


 同じころ、突然笑い声をあげ、楽し気にするゲイボルグが、サロンでカラドボルグとスクレップに鋭く突っ込まれていたことは双魔もロザリンも知らないし、これからもきっと知ることはないだろう。それでも、ゲイボルグは笑うのだ。可愛い契約者を祝福し、これからの幸せを祈るために、笑うのだ。


 「ヒッヒッヒッヒッヒッヒッヒ!!」


 深碧の狼の笑い声はしばらくの間、サロンに響き渡っていた。

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