第504話 水精夫婦は恐妻家?
コンッコンッコンッ!
水車小屋の前まで来ると双魔はいつものようにドアをノックした。水精夫妻のどちらかが出てきてくれるはずだ。
『おーう!ちょっと待てー』
返ってきたのは特徴的なガラガラ声。如何やら今日はヴォジャノーイが出迎えてくれるらしい。少し間を空けて扉が開いた。
「おう、坊主元気……る、ルサールカー!ルサールカー!坊主がまた新しい女連れ来たーーー!!」
扉を開けて顔を出したヴォジャノーイは元々大きな目をさらに大きくしてドタドタと家の中に入ってしまった。言葉から察するにロザリンに驚いたらしい。
(……新しい女って…………)
正式に恋人になったわけではないが双魔もロザリンのことが嫌いではないし、むしろ好きだ。ロザリンからも思いを伝えられているが気持ちの整理がついていない。そんな状況でロザリンと恋仲であると認識されると心中複雑な双魔だ。
「かえるさん!」
「うんうん、蛙さんだったね?」
一方のロザリンは何も気にすることなくユーと顔を合わせてうんうんと頷き合っている。
『もう!騒がしくしないで頂戴!その娘さんと双魔さんがお付き合いしてるかどうかなんて聞いてみないと分からないでしょう?それを慌てて……失礼でしょう!?』
『そ、そんなに怒るな……びっくりしてつい……だな……』
洗濯でもしていたのだろうか。川へと繋がる通路の奥からルサールカがヴォジャノーイを叱る声とヴォジャノーイのしょげた見た目にそぐわない情けない声が聞こえてくる。
『全くもうっ!』
『……ゲロォ…………』
『貴方にはあとでまたお説教するとして、双魔さんたちを待たせたら悪いわね。貴方、しっかり反省しなくちゃ駄目よ!』
『……はい……』
如何やら説教はとりあえず終わったようだ。ヴォジャノーイが入っていった通路からルサールカとヴォジャノーイが出てきた。ルサールカはいつもの優しく楽し気な笑みを浮かべているが、ヴォジャノーイは見るからに落ち込んでいた。
「双魔さん、いらっしゃい!若草色の髪が綺麗な貴女は初めましてね?私の名前はルサールカ!こっちのおかしな顔をしているのが夫のヴォジャノーイよ!」
「……ゲロ……」
「初めまして。私はロザリン。ロザリン=デヒティネ=キュクレイン。後輩君には今、お嫁さんにして欲しいって頼んでるところ。よろしく」
「っ!?」
ルサールカの明るい挨拶にロザリンもいつも通りの憎めない無表情で返しつつ、ちゃっかりと双魔と自分の関係を自分の有利になるように簡潔に説明してしまった。双魔は咄嗟に右斜め下に置いてあった釣用の魚籠に視線を送った。
ロザリンの自己紹介を聞いてヴォジャノーイが「ほら!間違ってないじゃねえか!」、と言いたげに目玉を動かしたが、ルサールカはロザリンを見ているので気づいていない。
「まあ!まあ!そうなの?双魔さんったら、本当にモテるんだから!でも、素敵だから仕方ないわよね!!」
ルサールカもロザリンを気に入ったようだ。前に鏡華とイサベルを連れてきた時と同じくらい機嫌がいい。
「うんうん。後輩君は優しいし、いい匂いがするし……かっこいい」
「あらあら!まあまあ!ウフフ!鏡華さんもイサベルさんも、可愛らしかったけど、貴女もとっても可愛いわ!お名前で呼んでもいいかしら?」
「うん。ルサールカさんとヴォジャノーイさんは……この子と同じ?」
「う?」
ロザリンはそう言うと抱いていたユーを二人に差し出した。差し出されたユーはよく分からないのか首を傾げている。
「あら!おチビちゃんとももう仲良しなのね!ええ、そうよ!正確には少し違うかもしれないけれど、私も夫も水の精。色々事情があってここに住まわせてもらってるの。ねえ、貴方?」
「お、おう!坊主に世話になってるぜ……あー、ロザリンの嬢ちゃん。よろしくな?」
「うんうん。よろしくお願いします」
「う?します!」
「うんうん。ユーちゃん、いい子いい子」
「えへー!」
ロザリンが改めて挨拶をすると、ユーもその真似をして元気に挨拶をした。意味が分かっているかまでは不明だが、ロザリンに頭を撫でられてユーは嬉しそうに笑う。
「……チビ助がここまで懐くとはな……先に会ったことがあったのか?」
「ううん。さっき初めて」
「へぇー……大したもんだ!」
ヴォジャノーイは感心して目を丸くしている。ここに来てからずっと二つの大きな目玉は忙しくしている。
「せっかく来てくれたのに立ったままお話するなんて悪いわ。さ!座ってちょうだい!お茶とお菓子を出しましょうね!」
「お菓子だって、座ろうか?」
「う!」
ロザリンは遠慮なく、ユーを抱いたまま空いているクロッキングチェアに腰を掛けた。
「双魔さんも、そんなところで立ってないで座って!」
「……ああ」
ロザリンが双魔に好意を抱いていることをサラッと言ったので何か突っ込まれるのではないかと警戒していたが、ルサールカは特に何か言うつもりはなさそうだった。心の中でホッとしながら、いつも通りヴォジャノーイの隣の椅子に深く腰掛けた。すると、ヴォジャノーイが顔を寄せてきた。
「おい、坊主」
「ん?」
「お前、三人もとびっきりの美人に好かれて……後ろから嫉妬した野郎に刺されないように気をつけろよ?」
「……ほっとけ」
からかっているのかと思いきや、ヴォジャノーイの顔は真剣そのものだった。本気で双魔を心配してくれているらしい。ありがたいはありがたいのだが、つっけんどんに返してしまう。双魔は自分の女性関係についてはデリケートなのだ。
「…………それに……」
「ゲロ?」
「ロザリンさんとは…………そんなんじゃない」
「……まだ、だろ?」
「……おっちゃん」
「ゲロロロロロ!坊主!自信持て!お前の甲斐性は俺が保障してやる!あと五人は大丈夫だ!!ゲロロロロロ!」
「…………勘弁してくれ」
バシバシと四本指の大きな手で背中を叩かれた双魔は戸惑い気味で少し拗ねたような表情だ。ヴォジャノーイの謎の励ましには納得していないらしい。
「楽しそうだね?」
「う!」
「スンスンッ……いい匂い。お菓子楽しみだね。ユーちゃんも食べられる?」
「うー?」
「分からない?」
湿っぽい雰囲気の双魔と違ってお菓子を待つロザリンとユーは楽しそうだ。水車小屋の中にふわりと心を穏やかにする良い香りが漂う。今日はどんな話をするのだろうか。楽しい楽しいお茶会のはじまりはじまり。
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